洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

気付く。

2022-12-26 10:38:04 | つぶやき

今のところは 全くの私個人の妄想であるとして置く以外ないことであるが 

自然は「人間」の言葉は持たないが4次元~5次元~それ以上の量子言語を持ってい

ると推測できる。それどころか次元を上げる毎に桁違いの疎通力を発揮する。

 

3次元時空間で「人間」が自然に向かい人間の言葉で呼びかけても その音声は

虚しく四周に木霊するばかりである。だが 『人』に還り心魂からその想いの念を

発するとき 植物は花開き蝶は光に舞い風雲は万里を走る。

 

「人間」はこの次元の妙を知らないために2次元言語に拘泥し虚しい木霊に依存し

て生活をしている。頭では自然も神も知っていると言うが心魂では自然と語らえず

神の衣に触れることすら出来ないのだ。

 

『人』に還り平面の言葉を捨て 眞の神が与え給うた心魂より深い量子言語で語ら

うことである。そのとき「人間」は『人』に還り すでにこの地上は自然量子光に

輝く生命の楽園であったことに気付くであろう。

 

  


観えない。

2022-12-25 09:48:06 | つぶやき

かなり難易度は高いが 『人』は原初より生まれついての生命情報基盤である

自然量子網からより純粋なパワーを共振吸収して生きるのが最上である。

 

本来 表層脳情報も自然量子情報に準じた体系を網羅していれば 人類界は

これほど反自然的な悪習慣に染まらずに済んだかもしれない。

 

自然量子ネットワークに正しく繋がずその存在を忘れ 表層脳の反自然情報に

ドップリと浸かるゆえ 己自身の真実の姿が観えないのである。


眞の『言葉』

2022-12-24 10:55:00 | つぶやき

言葉は二次元記号の印象であるために「言葉」に全ての根拠を依存すると間違う。

そもそも生きたクライン環である『人』の高次元意識波を二次元の二元パルスに

置き換えているのが言語の実体なのである。

 

これが真実の波長透過した「言葉」の次元上の位置なのである。言葉を貶めている

のではない。言葉は純粋に意識の道具に過ぎないと指摘しているのである。

概念を移し替えた「言葉」は貴重ではある。組み合わせで概念世界は拡大する。

 

しかし 『人』の意識を代弁する五体も思惟思考を操るための概念(言葉)も

使い方によっては諸刃の剣となる。言葉が高次意識を無視して暴走すれば

「人間」は言葉によって神無き地獄へと突き落とされるのだ。

 

「言葉」がこの世の創成の原初にあったのではない。創成の原初は自然神の『光』

である。『人』はその創成の『光』(意念)により形成されている。その霊質光

を享けて生命体の個々のクライン環が輝くのだ。

 

その輝きを現世的に写し留め正しき拠り所となるのが眞の『言葉』なのである。


ダイレクトに。

2022-12-23 11:35:30 | つぶやき

「人間」が近年構築した表層意識文化は言語を伴うものではあるが

その言語は表層脳のものであり『自然』の深い意識層とは乖離している。

人間の二次元記号という道具であるゆえに翻訳作業を繰り返さねば意思疎通を

得ることが出来ない。

 

自然には「人間」の及ばない十数次元にも及ぶ波長層に意識波というか意念波が

ある。それは精霊であり神である自然量子ネットワークの枢軸領域にある。

それらの領域から創造効果されたものが『人』なのである。

『人』は自然との次元位置関係を鈍らな言葉に依らずダイレクトに享けることだ。


リコネクト。

2022-12-22 09:39:33 | つぶやき

永い間 平面概念に意識を貼り付け(=磔)られて地球人は生活して来た。

喩えれば メディアスクリーンを現実と思い込んでその渦中に身を投じアバター

を自ら演じているようなものなのである。

 

それもまた一つの「人間」の意識生活の在り方ゆえ否定も肯定も出来ない。

ただ『人』には原初発生の過程まで遡れば無限層の生命線があり世界線がある。

『人』成立までの無限の可能性を平面回線に封じ込むのは自然に反するだろう。

 

眞の『己の深層意識』を知らず眞の創造主も知らず それでは親不孝どころの騒ぎ

ではないであろう。過去の平面教科を卒業し 平面アバターから脱皮し眞の自然の

供給元である自然量子網にリコネクトすることである。