「オウム」という単語を憎悪し、臭いものに蓋をするように議論を閉じ込めた日本社会。果たして、「再発防止」という観点で徹底的に追求したと言えるだろうか?オウムの信者たちは、特別に馬鹿で、思考回路がおかしくて、我々とは違う人種の人間たちだったのだろうか?
1995年の事件から10年余りたってからのノンフィクション作品には、事件後にやらなくてはならないことを自ら追い、また社会に問いかける。著者自分に、そして著者の親友であるサリン事件実行犯、豊田被告にも―――。
・・・
オウム真理教が出来上がり、一連の事件を起こし、事件自体を毛嫌いされるように裁かれる―――これが日本社会の縮小図なのだと著者は言う。自らと同じように夢を持って東大物理学科で学んでいた豊田被告は、彼自身の弱さに起因する重罪を指摘しながらも、「死刑にすべきではない。普通の人間であった彼が出家=拉致され、サリンを撒くに至った経緯をつぶさに追い、社会がその再発防止策を立てられるように、彼に語らせなければならない」と説く。
著者による追跡によって、本書中では、
「人間誰しも離れられない性欲を逆手にとって、その快楽を、表立っては否定しつつ、段階的に肯定して評価する「修行」システムで、「靜慮」なる名の下にマインドコントロールすれば、かなりの人間は出家させることが出来る。出家修行者を最終的に「悟り」に導くくとは、絶対服従のロボットに洗脳することだ。・・・」
というプロセスを、松本被告が行った様々なマインド・コントロール手法(対面時にも決して松本被告と目を合わせないという手法、ラジオや出版物などによる洗脳、など)とその脳内反応実験、薬物投与の事実と日本の戦時に見られた薬物効果(特攻隊の現実など)、オウム本拠地であった上九一色村の巧妙な立地条件、等を織り交ぜながら主張する。
著者・伊東乾は、東大物理学科でオウム真理教豊田被告と席を隣り合わせにして学んだ人物だ。物書きを生業にしている人ではないので、文章はわかりにくい。オウムのことを言いたいのか、豊田氏のことを言いたいのか、戦時日本と現代日本のことを言いたいのか、まとまりのない感は否めない。それでも、読みきった。実際にオウムの事件から目をそらしたいと思っていた自分を確認したことと、やはり著者の言うように「オウムはその信者に特別な出来事ではなく、社会の一部で発生したものだ」という主張に納得したからだ。
豊田氏は、物理学の中でも素粒子論を専攻し、修士論文を書いていた。村上春樹が小説で書いたように「応用物理学」なんかじゃない。この世の神秘に興味があり、ノーベル賞に近いロマンある世界に没頭したかっただけなんだ。そんな若者に、「文献レビュー」のみを修士論文のテーマとして指示した教授がいた。(大変重要ではあるが)何の創造も許されない作業をするなかで、息が詰まりそうだった。・・・
豊田氏が出家した=拉致された背景(著者による分析)は私にはリアリティーがあって、真面目で、この背景によって危ういステップを踏みそうになる学生がいてもおかしくはないな、と思った。そういう身近な危うさと、ナチスやルワンダ紛争、戦時日本などの歴史上の経験を引き出して説得するメディアコントロールの恐ろしさで、オウム事件を踏み込む。目新しくもないのかもしれない。でも、私には新鮮なところも多かった。
豊田被告の死刑阻止のための提出書類として作られ、出版に至ったもの。やっぱり、この文章で豊田氏が語り始めなくては、読者として、日本人としては不完全燃焼で気持ちが悪い。
1995年の事件から10年余りたってからのノンフィクション作品には、事件後にやらなくてはならないことを自ら追い、また社会に問いかける。著者自分に、そして著者の親友であるサリン事件実行犯、豊田被告にも―――。
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オウム真理教が出来上がり、一連の事件を起こし、事件自体を毛嫌いされるように裁かれる―――これが日本社会の縮小図なのだと著者は言う。自らと同じように夢を持って東大物理学科で学んでいた豊田被告は、彼自身の弱さに起因する重罪を指摘しながらも、「死刑にすべきではない。普通の人間であった彼が出家=拉致され、サリンを撒くに至った経緯をつぶさに追い、社会がその再発防止策を立てられるように、彼に語らせなければならない」と説く。
著者による追跡によって、本書中では、
「人間誰しも離れられない性欲を逆手にとって、その快楽を、表立っては否定しつつ、段階的に肯定して評価する「修行」システムで、「靜慮」なる名の下にマインドコントロールすれば、かなりの人間は出家させることが出来る。出家修行者を最終的に「悟り」に導くくとは、絶対服従のロボットに洗脳することだ。・・・」
というプロセスを、松本被告が行った様々なマインド・コントロール手法(対面時にも決して松本被告と目を合わせないという手法、ラジオや出版物などによる洗脳、など)とその脳内反応実験、薬物投与の事実と日本の戦時に見られた薬物効果(特攻隊の現実など)、オウム本拠地であった上九一色村の巧妙な立地条件、等を織り交ぜながら主張する。
著者・伊東乾は、東大物理学科でオウム真理教豊田被告と席を隣り合わせにして学んだ人物だ。物書きを生業にしている人ではないので、文章はわかりにくい。オウムのことを言いたいのか、豊田氏のことを言いたいのか、戦時日本と現代日本のことを言いたいのか、まとまりのない感は否めない。それでも、読みきった。実際にオウムの事件から目をそらしたいと思っていた自分を確認したことと、やはり著者の言うように「オウムはその信者に特別な出来事ではなく、社会の一部で発生したものだ」という主張に納得したからだ。
豊田氏は、物理学の中でも素粒子論を専攻し、修士論文を書いていた。村上春樹が小説で書いたように「応用物理学」なんかじゃない。この世の神秘に興味があり、ノーベル賞に近いロマンある世界に没頭したかっただけなんだ。そんな若者に、「文献レビュー」のみを修士論文のテーマとして指示した教授がいた。(大変重要ではあるが)何の創造も許されない作業をするなかで、息が詰まりそうだった。・・・
豊田氏が出家した=拉致された背景(著者による分析)は私にはリアリティーがあって、真面目で、この背景によって危ういステップを踏みそうになる学生がいてもおかしくはないな、と思った。そういう身近な危うさと、ナチスやルワンダ紛争、戦時日本などの歴史上の経験を引き出して説得するメディアコントロールの恐ろしさで、オウム事件を踏み込む。目新しくもないのかもしれない。でも、私には新鮮なところも多かった。
豊田被告の死刑阻止のための提出書類として作られ、出版に至ったもの。やっぱり、この文章で豊田氏が語り始めなくては、読者として、日本人としては不完全燃焼で気持ちが悪い。