一年ぶりの登山は、標高327メートルの八曽山@犬山。山岳会の登山に参加しようと思っていた日だったが、ひとりで行くのは「人道的・倫理的にどうなの」と夫に言われたため(決してコロナのことを指しているのではなく、子ども3人を面倒見させることについて非難している)、長女と2人で登れそうな山へ。
予定していたキャンプ場の駐車場が、コロナ下でキャンプ閉鎖により使えず、そこに行くまでの道が閉鎖されていて歩かねばならなかった、などのアクシデントはあったが、怪我なく帰ってこられた。楽しめた。
結果的に平坦な道(キャンプ場へ行くまで、とか、その奥の登山口まで、とか)の多いルートになり、その平坦な道がやや辛かった。そして、登り始めると体は楽になっていった。長女も同じようだった。これってどういうことなんだろう。平坦な道だって落ち葉が敷き詰められて美しく、沢の横を辿っていたので気持ちも良い。でも疲れる。
登り始めると、「景色が変わる」ことが気持ちを楽にさせるのではないか。傾斜があると体は負担なはずだが、景色が変わっていき、登っている実感も出てくる。
仕事に行き詰まっているのでなんでも仕事に関連させてしまうが、仕事もそうなんじゃないかな。立ち止まってはないし、めちゃ忙しくしているので進んではいると思う。でも、景色が変わらない。登っている実感がない。延々と蛇行して平坦な道を行っている感じ。
景色を変えるには、工夫が必要だと思う。仕事の意味づけをするとか、客観的に見るとか、人と話すとか。そこが欠けているのはわかっていたけど、なぜそれが決定的に大事なのかわかってなかった。
9時10分、歩き始め、登山口まで1時間は歩いた。そろそろ、名古屋での仕事も登山口に立たなくちゃ。