ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

いつか眠りにつく前に

2008-02-28 01:12:25 | Movie
ひどく間延びした一日。

「いつか眠りにつく前に」という映画を見た。
原題はEVENING。
男性はどう思うのかわからないけど、
いい映画だったな~共感したし、すごくよく出来てた。

死ぬ直前の女性が、幻想でも見るように一人の男性の名前を言う。
" He is a first mistake "
それを聞いた二人の娘は、その知らない名前にたじろぐ。
彼女が、昔愛して、一緒になれなかった彼―――
シーンはひと夏の恋へ。

これだけだと、まるで切ない映画だ。
一緒になるべきと思った人がいて、一緒になれず、
どうしようもないとわかっていながら死ぬまで思い続けてたのだから。
でも、この映画のメッセージはそうではなくて―――
見てのお楽しみです。
派手な映画ではないのに、多くの映画館でやっているみたいです。
Time after time っていう曲もよかったなぁ。

主演がクレア・デインズ。
目と鼻と口と背が大きくて美人だなぁと思っていたら、
借りてきていた『幸せのポトレート』って映画にも出てきた。
この映画は特に面白くはなかったです。


なんとなく、だけど、
女性は男性の気持ちが理解できるけど、
男性は決して女性の気持ちはわからないんじゃないか、って思う、
すなわち男性の感情範囲 ⊂ 女性の感情範囲。
それはやっぱり、人生の中で出産や子育てがある、と思ったり
ある、と聞いたりしながら生きたり選択したりしてるからじゃないかなぁ。

「人生に過ちはないのよ」―――なんて英語だったかな。
うーん、いい映画だった。

ダイオキシン問題の虚像

2008-02-25 10:06:40 | Public

私「そこの君、ダイオキシンって知ってる?」
弟「なにそれ、おいしいもの?」

私「・・・」
弟「冗談、ゴミ袋燃やしたら出てくるやつでしょ、小学校の焼却所が無くなった理由の」


でも、ダイオキシンはゴミ袋を燃やしたから出てくる、というものでもなく、
焼却所を減らして対処すべきものでもなかった・・・ダイオキシンは何を燃やしても
出てくるものだし、山火事でも発生する。
そしてその発生量は、たとえポリ塩化水素を含むものだとしても
超微量で、人体に影響を与え得ない。
土壌に蓄積されるものもしかり、である。
だから小中学校の焼却施設をなくしても、そしてもっと重要なことに、
超巨額を投じて市町村ごとに最新鋭の焼却施設を作っても、
解決するものでもなく、解決させるべきものでもなかったのである。

前回の疑問、
ダイオキシン問題はどこへ行ったのか?
特別措置法が解決したのか?
そもそも、超大騒ぎするほどの問題だったのだろうか?

その答えは、
ダイオキシン問題は科学の問題でも人体への負の影響を及ぼすものでもなく、
誤った事実認識と、メディアと、厚生省の過敏な対応が創造したものだったため、
ダイオキシン特別措置法だけを残してあとは消え去った、

というもののようだ。
この認識の出典はこちら『ダイオキシン―――神話の終焉』/渡辺正・林俊郎。
序章にはこの本を書く目的についてこうある。

「貴重な時間、労力、お金、資源の無駄遣いはやめよう。」

完成度の高い本だったので、ダイオキシンに興味がなくとも、
小中学生時代に焼却炉が撤去されたことを覚えている人は、
読んでみるといいと思う。

ゼミに入って一番最初に紹介された本は『社会調査のウソ』だったが、
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E2%80%95%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%B0%B7%E5%B2%A1-%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4166601105
これに並ぶ、分析視角を養える本だった。

・・・
学者・研究者がこのような告発本を書くとき、必ず触れるのは、
学者界の自浄機能である。すなわち、
論文という活字体を、匿名のレフェリーが審査をし、追試できる形で研究雑誌に発表される。
それによって、多くの研究者からその内容の軽重を判断され、
それが追加的な研究論文数などで現れる、といったこと。
そして、このような自浄機能のないメディアの、判断基準の危うさを問う。

「新聞の科学面は、ひどい。」

土曜日に高校の同級生と飲んだときの話。
理系専門分野の学生が、新聞社に来なくなった(となんとなく思う)のは、
日本の研究職の労働環境が良くなったからだろうか?

あと、厚生省がありえない情報判断能力なのは(例えば、母集団が100くらいの統計データで
法律を制定しまうような)
彼らの能力の問題?マスコミの権力の大きさ?彼らが忙しすぎるから?

現在は国交省が発表した、道路特定財源についての計画のずさんさに批難が集まっているが、
(Wikipediaを引用するとはほとほとヒドイ。。)
なぜそんな程度の低い発表しか出来ないのか、(どの企業より高学歴集団のはず)
諦めとかではなく分析してほしいものです。

秋刀魚の味

2008-02-24 22:44:09 | Movie
「部屋で映画見るから」
ワインに一杯満たして部屋に上がる私に、
「下で一緒に見ようよぉーー」と父。
「何見るの?」と母。

「え、借りてきたのはポーランドの映画と、聞いたことのないアメリカのコメディで
 幸せのポートレートとかいうやつ。あ、そういえば
 『この男、凶暴につき』と『秋刀魚の味』も図書館で借りたわ。」

というわけで、一緒に「秋刀魚の味」を見た。

小津安二郎監督の代表作であるこの作品、
奇(く)しくも主人公は「みちこちゃん」24歳。岩下志摩。大変美人。
父や弟のために、気丈に「まだお嫁に行く気はないのよ」と言う。
父は今の幸せを噛みしめつつも、娘を嫁にやらねば、と思う。
それだけなのだが、なんとも染みる。
幸せは、「それが幸せなんだ」と決めてかかって、先手必勝で
勇気を出してみて初めて得られるものなのだと思った。
なんというか、そうあってほしいような気がする。

とくに、他人とその感想を言い合いたくないような、映画だな。

今日は、強風で電車が止まったり止まりそうになったりしながら
自分から友人に誘った落語を見に行って、
その子に合わせて落語の場所を出て、で即効で別れ、
手持ち無沙汰になって、でもそれでいいのだと思えるようになって、
本を買って家に帰って、親とワインを飲んだ、そんな一日だった。
けっこう、私の中では面白い一日だった。
同じ事象に対して、昨日と今日とで違う反応をしてる自分を
見たのだから、それは面白いといえると思う。
もう一本、映画見ようかな・・・本を読むには酔いすぎた感がある。

ダイオキシンとベトナムとメディア

2008-02-23 12:35:34 | Public
ダイオキシン、という単語を久しぶりに耳にした。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/080215.html
2007年製作のドキュメンタリー番組では、ベトナム戦争時に散布された
ダイオキシン(枯葉剤に含まれていた物質)の現状被害と、
枯葉剤製造の化学薬品メーカー訴訟とを扱っている。

被害とは、主に癌と、新生児における先天的障害―――いわゆる奇形児、である。
ただ、それらの障害とダイオキシンの因果関係は科学的には実証されていない。
動物実験では実証されているが、動物実験におけるほど大量にダイオキシンを摂取させての
実験は当然できないため、「実証されていない」が、
おそらく因果関係はある、と認識されている。

ベトナムの被害者の救済―――医療費の補償などを、枯葉剤を製造していた
ダウ・ケミカル社に求める裁判が、行われる。
「なぜ化学メーカーなのか?それを購入し、実際に使用したアメリカ軍の責任者、
アメリカ政府に訴えるべきでは?」
と思いながら見ていたが、どこかで
「政府は免責条項があり、時間の無駄なので」
とあった。
化学薬品メーカーは、「もしその毒性を知りつつ製造、販売していたのなら
国際法上違法となるので、訴訟対象になる」のだそうだ。

これは、日本で考えてみれば原爆被害者の訴訟のようなものか?
原爆被害者が、原爆の製造元であるアメリカ軍の研究所かどこかを
相手どって、補償を求めるようなものか?―――詳しくはわからないが、これは
サンフランシスコ条約のような、講和条約の中に定められており、
「国家責任」すなわち自国の政府にしか訴えられないものとなるようだ。
だから、アメリカ政府ではなくダウ・ケミカルなのだろう。
もしくはベトナム政府、ということか。
ここらへんは曖昧。

4回連続で流産をしたり、2人続けて奇形児を持つことになった親を見て、
久しぶりに化学での水俣病の授業を思い出した。

ところで、なぜ「久しぶり」にダイオキシンという単語を見たのだろう。
すなわち、ダイオキシンの問題っていうのがあったはずなのだけど、
それはどこからきてどこへいったのだろう?

ぐぐってみて、ようやく思い出したのは、
所沢の野菜に高濃度ダイオキシンが含まれている、というテレビ朝日ニュースステーションの
報道が、所沢野菜の価格暴落を招き・・・という事件だ。
これは1999年だった。
朝日新聞のデータベースで見ると、高濃度ダイオキシンの問題は
日本でも80年代くらいから少しずつあって、
1997年の大阪 豊能郡美化センター というゴミ処理施設で史上最高の高濃度が検出されたことで火がつき、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%83%BD%E7%94%BA#.E3.83.80.E3.82.A4.E3.82.AA.E3.82.AD.E3.82.B7.E3.83.B3.E5.95.8F.E9.A1.8C
一気にダイオキシン特別措置法が出来上がった、というのが
超大まかな流れのようだ。
これによって、中学校に焼却所が撤去され、ゴミ捨て係の仕事が変わったことは記憶にある。
で、そのあとに上に述べたニュースステーションの問題。

ここで、疲れてしまった。
さて、ダイオキシン問題はどこへ行ったのか?
特別措置法が解決したのか?
そもそも、超大騒ぎするほどの問題だったのだろうか?
本でも読んでみなくちゃわからない。から外へ行こう。


ここまでの印象だが、
ダイオキシンに代表されるような化学物質の問題、これは今の
中国産ギョウザに入っていたらしいメタミドホスとも通ずるが、
こういう目に見えない、実証の難しい問題、かつ突発的に発生する問題における
メディアの反応は本当に大事、というか、決定的だと思う。
問題の大きさを決めてしまう・・・そしてその問題自体は忘れられていく。
メディアの自浄機能があるとしたら、どこだろうねぇとまで軽く考えてしまいました。

「アジアのドラマ(上)」/ミュルダール

2008-02-22 11:02:27 | Book
1971年に発表された、大研究報告書を読み物として編集しなおしたもの。
著者・ミュルダールは経済学の大家である。
内容は、アジアの発展途上国(この情緒的な呼び名に対しても著者は反対している)の
現状分析と開発政策批判で、代替策を提示することが目的ではない。
「アジア」とは、関心上、資料の制約上、主に「南アジア」であり、
インド、パキスタン、ミャンマー、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシアのことを指している。
開発経済学には詳しくないし、よって1971年以降の常識と食い違っているところもあると思うが、
上巻を読み終わったところで主張の要約と感想を。

上巻で目立って面白かったところは、
近代化という、ひとまずどの国も目指している一致した目的に対し、
「工業化以前の西欧諸国」と「現在の南アジア」の初期条件の違いを述べたところだ。

そして、一般的な途上国の状況把握である、
「利用可能な土地面積の割には、あまりにも多くの人々が農業に従事しすぎている」
よって
「各村むらの過剰人員の上皮を掬い取ることによって農村の過密状態を減少させなければならない」
「南アジアは極めて人口過剰であり、この人口過密の結果が、この地域の貧困の主要な原因である
 失業とか、不完全就業になる」
といったような見解が間違っていることを指摘している。

南アジアにおいて、というよりほとんどインドについてだが、
インドでは「一人当たり農地面積」はさほど小さいわけではないのである。

・農業の特徴―――「面積あたり産出高」も「一人当たり農地面積」も小さい

 農業の生産性は、一人当たり産出高(Y/L)で捉えられる。これは
 一人当たり産出高(Y/L) = 面積あたり産出高(Y/A) × 一人当たり農地面積(A/L)
 に分解できる。

 農地面積の小さい日本などは、面積あたり産出高を高めることで生産を伸ばし、
 農地が広大なアメリカやオーストラリアは、それを高める努力より、一人当たり農地面積を
 増やすことで産出を増やす。 

 インドでは面積あたり産出高が決定的に低い。
 インドでは一人当たり面積は、日本などに比べればさほど小さくはない。
 
 農業生産高を上げ、需要を充足する(貧困、飢餓を減らす)ためには
 面積あたり産出高を増やさなくてはいけない。

 
・西欧における技術進歩は、南アジアの発展に、「不利益」を与えてきた

 ここで登場するはずのものは、「技術」である。
 日本の経済発展などは、西欧の既存の技術を輸入、応用する形で有効に用いられたと
 言われるが、南アジアではこれらの技術が「不利益になった」と著者は言う。
 なぜなら、近年の農業技術は「農業人口の減少」を前提に、
 西欧における「技術」は、資本集約的、労働節約的なものになり、導入のための初期投資額は増大し、
 南アジアにとって導入は困難になった。

 それを鑑みれば、南アジアにおいては、労働者をもっと投入することで、
 産出を増やす、ということも正当な方策となりうるのである。

 「技術の不利益」については他にもある。
 西欧技術は農産物の代替物としての合成ゴム、合成繊維などを生み出し、
 南アジアの輸出物に対する需要そのものを激減させた。
 また医学の発達によって南アジアの人口爆発を可能にした。
 加えて、技術水準の発展が南アジア人に必要な教育投資額を増大させ、
 「技術者」ハードルを高めた。


よって、南アジアには、南アジアのための技術開発が必要なのであり、
ここではガーシェンクロンの命題はあてはあまらないのである。


その他にも、プランテーション農業(南アジアにおける数少ない「工業」部門)
における利潤蓄積の海外への流出が、資本設備への需要を増加させなかったこと、
熟練労働者を必要とする環境を作らなかったこと、などにも触れています。
もちろんもっとたくさん。

この本ではないが、中国とインドの飢餓について書いた文章で、
中国では農業を計画的に生産し、統制的に分配した。
インドでは、市場に任せて生産し、市場任せで分配した。
結果、インドでは「市場」規模しか生産されず、ニーズに対して過少生産となり、
飢餓が深刻化した、とあった。

なんだかまだよくインドという国はわからないが、
これらの記事をみていると、上のストーリーは未だ不幸にも当てはまっているようである。
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/agrifood/asia/news/07111201.htm
http://www.ide.go.jp/Japanese/Lecture/Sympo/pdf/chand_giji.pdf

(3月6日からインドに行きます、誰か一緒に行きませんか?)

高学歴ワーキングプア/水月昭道

2008-02-21 09:44:56 | Book
「高学歴ワーキングプア―――「フリーター生産工場」としての大学院」

というタイトルを見るだけで、おおよその(特に文系)大学院生には
内容がわかってしまうだろう。
急激に大学院生が増え、その先にあるべき教員市場は拡大しなかった。
その市場も、東大を始めとしたエリート校が上から順に
埋まっていくものであったため、
それ以外の大学院卒の学生が教員席を得られる機会は激減した。
(東大の大学院は、定員数が多いし、確か公共政策大学院なんかも近年できた)
これは、学生減少が必至となってきた大学(ここでは東大法学部、となっている)が、
収入の確保と教員の配置先創出のために、文科省を用いて
大学院生をむやみに「世界水準へ」と近づけようとしたことの結果なのだ・・・

さほど目新しい事実があったわけではなかった。
本書は上に書いたような
「高学歴ワーキングプアが生まれる構造がどのように出来たか」ということよりむしろ、
高学歴ワーキングプアがどれほど悲惨か、
どのような仕組みの中でもがいているのか、というところが
主要部分となっている。
高学歴ワーキングプア、とは、具体的には「文系博士課程学生、博士課程単位取得卒業の人、
博士号を取得した人」である。
「いまや、競争が激しくなっているから、博士号をとらなくてはマーケットバリューはない。
 だからがんばって取得するべく在学期間を延ばす。
 5年とか6年とかで必死に取っても、それでも職はない。
 かつて、博士号が要求されなかった時代に易々と職を経た教授、助教授たちに
 ”ぱっとしない”などと批評され、博士号もないような研究雑誌レフリーたちに
 投稿論文をリジェクトされ・・・納得がいかないが、食べてはいけないので塾講師」

そんな話が満載である。

なぜ、この国は教育制度と労働市場がこうも乖離しているのか。
お互い無視しあって、違う方向を向いて動いているように見える。
労働市場は、ほぼ完全に市場任せ、企業任せの新卒一括採用主義。
だから転職市場も成熟せず、キャリアは分断されやすくなっている。
一方教育制度は、どう見ても規制市場だ。
設置基準、教員制度、研究補助金の配分・・・
教育は、アウトプットが見えにくいし、外部性があるからもちろん規制は必要だと思う。
が、労働市場を無視した政策なんて、普通考えるだろうか?
最近、経産省の消費者行政と、厚生省の衛生管理部門などを合わせて
消費者行政省、みたいな組織を作ろうとする動きが盛んだが
http://www.kantei.go.jp/jp/hukudaphoto/2008/02/12shouhisha.html
労働と教育の統一的制度づくり、運営も、緊急な課題ではないだろうか。

著者について少し触れると、面白い経歴をお持ちである。
これを読んだだけで、ちょっとこの本読んでみようかという気になってしまうよね。

著者について(アマゾンより)
水月昭道(みづきしょうどう)
1967年福岡県生まれ。龍谷大学中退後、バイク便ライダーとなる。仕事で各地を転々とするなか、建築に興味がわく。97年、長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。2004年、九州大学大学院博士課程修了。人間環境学博士。専門は、環境心理学・環境行動論。子どもの発達を支える地域・社会環境のデザインが中心テーマ。2006年、得度(浄土真宗本願寺派)。著書に『子どもの道くさ』(東道堂)、『子どもたちの「居場所」と対人的世界の現在』(共著、九州大学出版会)など。現在、立命館大学衣笠総合研究機構研究員および、同志社大学非常勤講師。任期が切れる2008年春以降の身分は未定。




No title

2008-02-19 22:27:50 | Private・雑感
久しぶりに、感動したのはこのHP.
http://modi2008.jp/

行こうかと、心誘われるも、3月下旬から。
そのころ私は、日本の中部。

初めて行った、茗荷谷。
向かうはインドビザ発行事務所、お茶女キャンパスの向かいでした。
大学院生をやってるはずの友人に、連絡したら、夕方会えた。
順風満帆、相変わらず憎らしいほどかわいらしい。
他人への印象は、私とは180度違うタイプ。
たぶん中身は、90度くらいしか変わらない。

ビザ取得、帰りに買い物途中下車。
洋服の買い物は嫌いだ。
自嘲気味な自分、歯止めがかからずイライラ募る。

原因明確、自分のせい。

イライラしはじめると、お風呂もじっくり入れない。
ウイスキー、効果覿面、舐めてるだけで酔い回る。

こんなとき、こそ必要な、暇な友人。
そんな彼女は旅行中。

あーあほらしい、憎らしきは冬ばれの街。

日本の新聞における不偏不党性2

2008-02-18 11:58:23 | Public
なぜ日本の新聞は不偏不党なのか。

やっぱり、通説通り、戦中の「報道・宣伝の一元的統制」によって
一県一紙化によって、競争がなくなったから、
というのが一番の要因に思えてきた。

というのは、まず、戦前の「不偏不党」の宣言は、必ずしも「不偏不党」ではなかったことがわかったからだ。
戦前、愛知には二つの大きな新聞があった。
「新愛知」と「名古屋新聞」である。
前者は明示的に政友会系であり、後者は憲政会(民政会)であった。
名古屋新聞にあっては、創設時に「不偏不党」を売りにしていたにもかかわらず、
その創立者で長年社長を務めた小山松壽は憲政会の政治家であり、
最後には衆議院議長まで務めている。
つまり、両者とも機関紙の役割をも果たし、同じ地区で読者を二分していた。

この様子は戦中、変わって行く。
戦中の「報道・宣伝の一元的統制」というのは、
1940年ごろ、ドイツやイタリアの「一国一党」による国力統制の動きを受けて、
内閣情報局が行ったもの。
このとき、政府は「用紙割り当て」の権限を持っていたことから、
全国各紙はこれに従わざるをえなかった。
全く異なる政治主張を持っていたはずの「新愛知」と「名古屋新聞」はひとつの
「中部日本新聞」となる。
東京では、読売新聞と報知新聞が合併、都新聞と国民新聞が合併(→東京新聞)、福岡では
福岡日日新聞と九州日報が合併した。

では戦後はどうか。なぜ、戦後に主張が分かれるがままに新聞が増えなかったのか。
実際、GHQは言論の自由化を推し進めるべく、用紙割り当てに際しては
新興紙をひいきして、乱立を促していたようだ。
1950年ごろまでは、用紙の増産が難しく、このような用紙割り当てが続いたが・・・その後は?

この後はよくわからないが、おおよそ(通説通り?)
中道的な「大衆」が増加する中で、それ以外を狙う新興紙は
中道的な既存新聞に勝てず、一方で既存新聞は、保守的で都会志向の大衆に
「ステータス」としての新聞購読の売り込みに成功した、
というところだろうか。

ひとつの事実は、中日新聞社史を読むと、
戦前の2紙合併前には、選挙だ、候補者だ、政策支持不支持などを
明示的にしていたのが、
戦後には政治的記述が全くなくなったことである。

・・・とすると、このようなストーリーは
戦中の国家統制が大きな影響を与えたことになる。
欧米の戦勝国では、それがなかったから、日本の戦前にも見られる
多様的な政治主張をする新聞紙が残っているのか?
・・・ドイツはどうなんだ?

以上追加的報告でした。

国盗り物語

2008-02-18 10:48:29 | Book

明智光秀という名前。
なんと輝かしい、聡明な名前だろうか―――と、本書でも触れられている。
私は司馬遼太郎の書いた光秀像のみで彼を捉えているが、
まさに智に明るく、優秀な人物だったようだ。

容赦なく、この世には秀才タイプと天才タイプが居ると思う。
彼は、その時代の斉藤道三や織田信長に対して、秀才タイプとして書かれている。
間違いなく、道三と信長は、自らの天才を自覚していた。
それに対し、光秀は―――彼も天才タイプだと思っていたのではないだろうか。
それが、彼の敗因だったのではないか。
本書を読み終わっての感想である。

本書は、前編が斉藤道三、後編が織田信長に焦点を当てているにも
関わらず、明智光秀について書くのは、
彼が一番人間くさく、おそらく読者の共感を呼びやすいように
登場させているからだ。
天才にはなれない彼の惨めさに共感しつつ、嫌いになれない。

さて、次は関が原。

日本の新聞における不偏不党性

2008-02-09 10:04:51 | Public
日本の新聞の特徴を、山下(1996)は以下の4つに要約している。

①政党的立場を鮮明にしない「不偏不党性」

②寡占・過当競争から来る全国紙の強さ

③権威・権力への従順性

④集団(例えば会社、記者クラブ等)主義的意識

④を置いておけば、他の3つは①の不偏不党性に起因していると言えるだろう。
政党や政治性を明示しないことで、読者対象は広がる(②)し、
政党を応援しないことは、与党政府にとって都合が良い(③)。

ではなぜ、日本の新聞界には不偏不党的な新聞しかないのか。

★日本には高級紙がない

これは、なぜ政党への支持・不支持を明確に書くような、「高級紙」がないのか、という問いにも言い換えられる。
というのは、イギリスやアメリカで、政策の良し悪し、政党への支持・不支持を
明示する新聞は高級紙と呼ばれる新聞だからである。
欧米でも、日本のように(?)政策に関してさほど言及しない大衆紙はある。
例)
高級紙)『ガーディアン』(英)、『タイムズ』(英)、『ニューヨーク・タイムズ』(米)、『ル・モンド』(仏)など
大衆紙)『デイリー・ミラー』(英)、『ザ・サン』(英)、『U・Sトゥデイ』(米)、『パリジャン』(仏)など

これらに対し、日本の新聞は、大衆紙寄り・・・正確には中間あたりにあるという位置づけである。

★日本にも、政党支持型の高級紙はあった

日本に新聞が発行されるようになるのは、明治初期。
「上意下達」の手段として政府が支援する形で新聞社が勃興した。
自由民権運動の始まりがきっかけで、新聞が広まる。

明治初期から後期にかけては、新聞には高級紙、大衆紙にあたるような「大新聞」、「小新聞」の二種類があった。

大新聞)東京日日新聞、時事新報、郵便報知、など・・・漢文調、難解、政治論評など
小新聞)読売新聞、東京絵入り新聞、都新聞(のち東京新聞)、大阪朝日新聞 など・・・かな文字、絵入り、ゴシップなども

このリストを見てもわかるとおり、現在の日本の全国紙は、基本的に「小新聞」が
規模を拡大した結果として残ってきたものばかりである。(読売、朝日・・・)
大新聞に属するものは、組織としては小新聞に統合され、発行体としては姿を消している。
(例えば、東京日日は毎日に、郵便報知は読売に買収されている)

★政府補助を受けていた大新聞が、自由民権運動への政党支持のために
 補助をうけなくなる

この明治期に、大新聞は不偏政党化、そして衰退していく。なぜか?

・大新聞への政府援助がなくなった
・機関紙間の攻撃合戦が読者を惹き付けなくなった
・松方デフレによる読者の購買力の低下

これらが直接の理由と考えられる。
日本の大新聞は、明治初期に政府の援助によって設立、運営された。
「上意下達」の目的―――官報のような役目を果たすことが意図されていた。
それが、自由民権運動の際、各紙(東京日日新聞を除く)が政党内閣制支持を
表明し、これはすなわち当時の藩閥政治への批判であった。
政府はこれが面白くないので、補助をやめた。

★欧米との環境の違い

欧米の新聞業界との環境の違いは、

・日本の高級紙の誕生には政府援助があったこと
・高級紙が誕生して、数十年という短い期間で以上の危機があり、
 読者が根付かなかったこと
・配達、郵送などにおける鉄道など輸送機関が未発達であったこと

があると考えられる。
通常、新聞などのメディアは「上意下達」ではなく、「下意上達」のために、
成立する。市民革命によってそれを成し遂げる風土があり、
下意上達のためのツールとして新聞が出来ていた、というのが日本との違いか。

★不偏政党性の裏返しとしての「報道新聞」、「組織主義」

政治的な目的でなくて、人々は何を求めたのか。
それは、報道である。
小新聞が大新聞を部数で抜くのは1877年の西南戦争のころ。
小新聞の代表格であった大阪毎日、大阪朝日が東京に進出して
大規模化するのが1904年の日露戦争のころ。
戦争の行く末を知るために人々は新聞を求めた。

報道新聞を作るのに必要なのは、政党機関紙のような「同志」ではなく「組織」である。
この明治末期ころから、新聞の企業化が進んでいく。


ひとまずここまで。
以上は主に山本武利(*2)さんの本をいくつか読んでまとめたもの。

いろいろ書いたけど、要は、
反政府を含めて政党支持をできるような高級紙の成立には
・政府に属さないプチ・ブルジョア層

が必要だった。
西欧にはそれが存在したが、
日本にはいなかった―――エリート層はほとんどが「官」側にいたし、
当時読者であった地方豪族は、1880年代の農村不況と、高い郵送料によって
読者として心もとなかった。

それが、不偏不党を唱える小新聞の拡大になったのではないか、というのが考察です。

・・・でも、欧米でも、商業者、労働者階級の人数増加に伴って
「ジャーナリズムの大衆化」が問題となってはくる。
アメリカで、ハーストなどが商品としての新聞を売りたたいた、
イエロージャーナリズムがそれである。
ちょうど1930年代、オルテガが『大衆の反逆』で書いたように、
ジャーナリズムへの関心は
「積極的なものから受動的なものへと転換」した。
こういう、大衆化への危機感、非難みたいなものは
日本でもあったのだろうか?
エリート層は何を考えていた?
なんてことも気になってきました。次回へ続く。

(*1)http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E2%80%95%E6%A7%8B%E9%80%A0%E5%88%86%E6%9E%90%E3%81%A8%E4%BD%93%E8%B3%AA%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%A8%A1%E7%B4%A2-%E5%B1%B1%E4%B8%8B-%E5%9B%BD%E8%AA%A5/dp/487378459X

(*2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E5%88%A9