ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

『運命の人』(一)~(四)

2009-07-17 20:47:55 | Book
(内容)

憲法上の「表現の自由」に内在しているとされる、
国民の「知る権利」の奉仕者として新聞記者は、
政府が「これは国家的利益のために秘密です」と決めたものを、
性的関係を介した方法で得て、公表することができるのか。

1972年、毎日新聞政治部の、西山記者が、
1971年の沖縄返還に絡み、外務省がアメリカと密約したとされる
「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う」という沖縄返還協定の内容を、
外務省事務職員で、性的関係を持った女性から
証拠文書をもって知り、国会での追求用に政治家にリークしたという
実際に起きた事件を題材にして、
その後の刑事裁判を中心に描いた。
国家公務員法違反として、一審では無罪、二審で有罪、最高裁へは
上告が棄却されるという結果を、批判的にとらえ、
本質は沖縄返還協定の不透明さ、不条理さであると訴える。
返還後の沖縄が強制されてきた「米軍基地との共存共栄」の実態の悲しさなども
盛り込んでいる。

ちなみに、主人公の弓成亮太記者、そして実際の西山記者が罪とされたのは、
国家公務員法111条違反。
すなわち「職員は職務上知ることの出来た秘密を漏らしてはならない。
 その職を退いた後といえども同様とする」
という同法100条の違反を「そそのかした」ということだ。
当然、女性事務職員も、100条違反として有罪となっている。

(感想)

驚いたのはまず、沖縄返還にあたりアメリカが払った、という
形で、その金を日本が拠出していたことだ。
(それは何年も後に、完全に裏付ける文書がアメリカの図書館から出てくる)
そして、時々考えていた「知る権利とは何か」という問題が
ストレートに提起されていて、勉強になった。

仕事をしてから頭にあったのは、
「憲法の条文には出てこないし知る権利って、何に依拠する権利なのだろう」
ということだ。
他の本や、『運命の人』の中で、知る権利のとらえ方は
「表現の自由という憲法に規定された権利は、知りたいことを
 知り得ることが前提。だから、表現の自由が憲法上の権利で
 あると同時に、国民には知る権利がある。
 この国民の知る権利に奉仕する形で、報道の自由がある」
ということだ(たぶん)。

この記者は、報道の自由という名前で、汚い手を使ったかもしれない。
(小説の中では、割と自由恋愛として女性と不倫関係になり、
 付随する行為として文書の提供があるのだけど)
でも、記者の弁護側は最高裁への上告趣意書で

「取材の多くは語りたがらない人から情報を得ることなのである。
 したがって新聞記者は報道する価値のある情報を公務員から
 入手するため、あの手この手で執拗に問いただし、
 情報源からニュースの提供を受けるのが実情である。
 報道の自由を礼讃しつつ、取材に内在するある種の汚さに
 眉をしかめるのは、バラの花は美しいが、根は汚いと言う事実に
 目をおおうものである。花だけを愛して、これを根から切り取れば、
 花は枯れてしまうのである」

と、報道の自由の実体が多少汚いのは、当然なのだと説く。
一応報道の仕事をしてみると、
上の実態を受け入れなければ、確かに、
国家公務員法、地方公務員法違反をそそのかしてることになるのは日常の現実だ。

文章が収集がつかなくなってきたけど、
四巻まで読み終えて思ったのは、
こういう報道の自由や、知る権利、その本質の法的解釈と言う
トピックは、私が報道の人間だからこそ面白く読み続けられたのではと思う。
公務員や報道関係者以外、日本で興味を持って読み続ける人が、
本の売れ行きからすると多いらしいというのは驚きだ。
そして、どんな感想を持つのだろう。
上に書いたように、知る権利は、民主主義の中で
非常に重要とされる表現の自由と一体となっている。
それをどの程度国民が理解し、自分の権利として
考えているか。
それは多分に、この国の「民度」を表していそうな気がする。