新聞という産業への違和感をずばり説明してくれている言葉があった。
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経営者側は
「視聴者が知りたいニュースを」
現場側は
「視聴者が知るべきニュースを」
志向している―――「これだ!」と思った。読売新聞社の取締役の話をちらっと聞いたときに「大衆が何を考えているかを常に把握するのが新聞の使命」と聞いて強く感じた違和感を、この言葉が解消してくれた。つまり、彼は経営者として言っていたのだ。そして私は、現場側の気分で聞いていたのだ。
これを応用して考えてみると、広義のメディア産業も二つの分けられるかもしれない。
「視聴者が知りたいニュースを」 伝える、狭義のメディア産業(テレビやラジオなど)、インターネット : 価格弾力性が大きい
「視聴者が知るべきニュースを」伝えたい、出版産業、映画産業など : 価格弾力性小さい
そして、『Web進化論』で強調されていた「チープ革命」(インターネットがもたらす情報コストの価格破壊)でまず先に、インターネットと競合せねばならないのが前者になるだろう。インターネットによる、実質情報コストゼロ、という点でレースが展開される。対して後者は、「お金を払ってでも」という意思ありきで成り立っている産業であり、まだ、直接的競合相手とはならない。
新聞は、消費者からすれば、前者に入ると思う。だから私は、新聞も内容を後者にシフトしていくべきだと思っていた。「事実」は通信社からのニュースでもいいが、その解釈や予測、採るべき選択肢についてなどの「意見」により力を入れていく。これは、「視聴者が知るべきニュースを」伝えることでもあると言えるだろう。
しかし・・・それも甘いようだ。今日発売の週刊ダイヤモンド『新聞没落』にあったインタビュー記事(これはこの特集の一番最後のページだっただけに、少し気が滅入った)
「・・・一般ニュース同様、オピニオン(論説)にも読者はカネを払わなくなるだろう。ブログでただで読めるものになっている。ニュースでは儲からないから、オピニオンで食べていこうという発想は禁物だ。」(エリ・ノーム:コロンビア大ビジネススクール教授)
―――確かに。現に私の指導教授も、(教授にとっても読者にとっても)経済的かつ効果的に、ブログのようなものでオピニオンを発している。確かに、総表現社会の中で誰もがオピニオンを発し、それは副業とか、生活のある一部となっている人が大勢居る。
さて、経営基盤を支えうる、つまり読者がある程度のお金を払うほどのオリジナリティはどこから抽出するべきか。まだ、全国紙ではなく経営の手堅いブロック紙の記者になるのでよかった、と思いながらも、「ただの表現者なんて吐いて捨てるほど居る」ということ、「言語表現の価値にお金を払わない時代である」ということ、肝に銘じながら働かなくてはと切に思った。
わかってはいたが、斜陽産業の新聞産業。非常にブレイクスルーの起きなさそうな業界が、どんなブレイクスルーを見つけるだろう。アメリカでも四苦八苦のこの難問に、解答の方向だけでも早急に見つけなくてはいけないようである。ほんとに。
・・・
てか長いね。そして読みにくい。ブログはもっと読みやすく書かなくてはだめですね、反省。