ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

児童虐待事件への感覚麻痺

2022-02-17 05:24:32 | Public
一週間前、あさ新聞を読んでいて、5歳の子が虐待で死亡した事件に衝撃を受けていたのに、今朝はそれが記憶の断片として残っているだけだったことに気づいた。それは、また別の虐待に関する記事を読んでいて、「先週のあれ、なんだっけ」という感じ。

先週は、その事件が酷い内容過ぎて直視できないくらいだったのに。岡山市の5歳女児が、イスの上に置かれた両手鍋の上に長時間立たされたり、霧吹きを吹きかけられた上に扇風機を当てられ続けたりしたという。数か月の低酸素脳症状態があり、亡くなったという。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20220211/4020011778.html
感覚がマヒしてしまっているのか。その後の3連休はセカンドハウスにいて新聞を読まなかったからかもしれない。続報があったかどうかわからない。私の周りで、この事件の話題はなかった。

ひとりの人が亡くなること辛さ、というより、5歳の子が人生の中で辛いことばかりだったのでは、と想像するとやりきれない。一宮市では、母が3人の子に手をかけて命が失われた事件もあった。自分の感覚麻痺を感じる一週間だった。

背伸びできない自分を見つめてみると

2022-02-10 05:28:19 | Public
今朝は・・・仕事をしていない!といって何かほかのことができているわけではなく、ドラマ(ファイトソング)を見ていた。やることはいろいろとあるのだが。

その「やること」。それらは私にとっての「背伸び」なのだ。今は仕事が忙しいことと子育て真っ盛りであることによって、この二つ(特に仕事)で十分に背伸びしきっていて、それ以上かかとが上がらない。そんな状況なのだなと最近認識した。だから、嵐なのだ(笑)。我が家は朝、7時20分にタブレットから音楽が流れる。この時間には小学校に行く用意を始めないと間に合わないよ、の時間。流れるのは(今は)嵐の「Turning p」。車では、Amazon MusicかCDかで嵐の曲。それが心地よくなってきたのはなぜか、と考えると、今の背伸びできない自分でも楽しめる曲なんだろうなと思った。
(ここらへんはこのブログを書いていて気付いた → https://note.com/lifeiroiro/n/n64d51fca0599 )

でも背伸びしたい。世界を広げたい。それで、1月には「日本労働研究雑誌」を契約してみたり、公認心理師を受けようとしたりしている。

大きく背伸びできなくても、小さく背伸びしたい。そのためには仕組みだけでなく余力が必要なのだろうな。どうやって作ろうか。

もうすぐ40歳になってしまう。人生の終わりも、ぐっと身近になってきた。人生に四季があるとしたら(吉田松陰の言葉だった気がする)季節が変わりかけている気がする。夏から秋へ?わからないけど。

大きく深呼吸して背伸びする時間をつくるには、どうしたらよいものか。嵐を聞きながら考えたい。