ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

独学を主体とした教育スタイルっていいかもしれない

2019-03-28 09:13:36 | Private・雑感
子どもの教育について、考えなくてはいけない日もくるのだろうな、でも私立に行かせたい気持ちはないので、まあのんびりと成り行きに任せて、などと思っていた。そんな中で、たまたま読んでいた本の中で考えたことがあったので書き残しておくことにします。

最近、時折読むのが神谷美恵子の著作なのだが、彼女が生い立ちを振り返るエッセイ集のようなもので、小学校高学年から中学生にかけて、父親の仕事でスイスで過ごした時の学校、そして帰国してからの成城高校の話を紹介していた。講義形式ではなく、主に独学で勉強を進めつつ、わからないことを教師に聞くというスタイルで学んでいたという。音楽や芸術などはみんなでやる。スイスでは、国籍や、言語(フランス語やドイツ語)の能力もまちまちだったから、個々人に合わせて独学の課題が与えられたと書いてある。

これだと、好きな教科はどんどん進められる。追求もできる。そういえば自分の小中学生時代、みんなと合わせて勉強を進めていくのが、苦痛とは言わないまでも、無駄な時間が多いと感じていた。進捗確認のテストなど、10分で終わってしまい、あとの30分は暇でテストの裏に絵を描いて消す、ということをよくやっていた。勉強の面白さ、勉強の幅を広げてくれたのは、能力別に分けられていた塾だった。
学校の授業がもし、個別に進めて良いスタイルなら、より自分と向き合って、純粋な面白さを感じながら勉強できたのではないか。夫と話している中でも、彼はずっと公文をやっていて、学年の枠を超えて問題集を進めることができたのがよかったと言う。

これまで教育のスタイルなど考えたことがなかったのだが、この無学年別のやり方というのは、通信教材でも最近出てきていて、公教育でも検討されているらしい。
無学年学習について
学年や時間割廃止の検討、名古屋市

できることなら、子どもたちには勉強を楽しんでやってほしい。公立校に集まる雑多な人間模様も経験する価値はあると思うので、依然、私立は考えてはいないが…。あれよあれよと長女は来年小学校。一緒に教育のことを考えていけたら良い。初めから最適なものでなくてよいので。

安心感を醸し出す人

2019-03-24 08:49:58 | Private・雑感
対人相談援助の仕事をしている人だけでなく、サービス業を始め、人と関わりの深い仕事であれば、「第一印象で安心感を醸し出すことができるか」は重要だろう。どうすればそれが達成できるのか。社会福祉士養成のコースでそんな話題があったとき、「付き合いの長さ」(長く関わっている方が安心感を感じられる)というような回答をして、ちょっと違うな、と講師の人に言われた。

そんなことを思い出したのは、おととい眼科に行った時。普段はコンタクトレンズをを作る目的でしか行かない眼科なのだが、その時は目の中の違和感と痛みがあって訪れた。その診察での医師の、物腰というか、声のかけ方が、なんとも安心感を誘う(?)ものだったのだ。印象に残ったのは、「ごめん、まぶたの裏側も見せてね、何か挟まっていると炎症起こしていることもあるから」という言葉。
なんの変哲もない声掛けかもしれないが、相手のまぶたをめくるのを、申し訳なく思うという「ごめん」。その行為の理由をさりげなくちゃんと伝えていたこと。急がない優しい言い方。

相談援助に置き換えれば、相手から話し始めようと何だろうと、個人の内面を聞き出していくのは、まぶたをめくるような、「プライバシー領域に立ち入ってごめんね」という気持ちが必要だし、それが何のためなのか分かってもらう、伝えておくことも大事だ。
こういう言葉そのもの以上に、優しい雰囲気が、私の印象に残ったのだ。

社会福祉士養成コースのとき、講師の人が例に出していたのは、「初対面でも、例えば会ったことがなくて電話越しだったとしても、車で事故ったときに保険屋さんに電話して『お怪我はありませんか』と言われるとすごい安心感だよね」ということ。私にとってこの眼科医も、名前も知らない、数回しか診察を受けたことのない人だけど、目の痛みもそれほど切羽詰まったものではなかったけど、保険屋さんのような安心感を感じさせたので書き残してみました。さて、その優しい雰囲気なるものは私にも出せるものなのか、が次の問題です。

保育園に申し込むことさえできない早生まれの子

2019-03-22 16:03:25 | Private・雑感
保育園に落ちる、こともできないまま、私の保活は実を結ばずに終わりそうである。先月誕生した末娘の保育園は、どうしても次女と同じところに入れたかった。3箇所も保育園の送り迎えはできないし、長女の保育園は生後6ヶ月からの受け入れで、ということは2月生まれの末娘は9月からしか申込ず、そのころには確実に空きはない。次女のところは受け入れが早いので、5月、6月でも申し込める。その時点で空きがあれば。

その空き具合。先週保育園に聞いたところ、四月時点で大型埋まったが、あと1人受け入れられるという。5月に申し込んでもらった方がいいです、1人しかないので…取ってはおけないので…。でも生後2ヶ月で預けるのは気が進まないなぁ…などと考えていた。
今日、市役所に行ったら、「そこは三次募集で埋まってしまいました」とのこと。三箇所送迎を選択しない限り、今年いっぱいは預けられず、私は働きに出られないことが今日明らかになったのでした。これじゃあ3人目の保育料が無料とか言われても意味ない。申し込みすらできない。早生まれの子どもに、その親に罪はないのに。

四月に一斉に学年があがり、四月に一斉に新規入所がある、という仕組みがどうにかならないものか。年度途中も不利なく選択できないものか。

覚悟していたとはいえ、自分ではどうにもできないけど不利益だけ私に集中しているのでは、と悲劇のヒロインのように感じる瞬間が、また訪れた。また今度書きますが、今話題の『82年生まれ、キム・ジヨン』にはそんな場面の連続で読んでいて辛いです。

小さな成長の気づき

2019-03-20 08:43:23 | Private・雑感
よく覚えているのは、長女が2歳半ほどのとき。私の弟の結婚式で、会場の端っこにベビーカーを用意してもらって寝ていた彼女が、少し寒かったのか、体にかかっていたブランケットを自分で肩まで引き寄せたこと。寒気を感じて自分で対処する、という姿に驚いた。「自分でする」ことができたのだ。

その彼女も今は5歳。保育園のお迎えの帰り、車に乗るときに下ろしたリュックを、これまでは放ったらかしたまま自分だけ身一つで車から降りていた。リュックをとって家まで運ぶのは私。それが、おととい、昨日と自分からリュックを背負って家まで歩く。とくに口で注意してきたわけではないのに。

自発性、に驚く、というかときめく瞬間がときどきある。

書きたい時期

2019-03-19 08:40:37 | Private・雑感
ブログを書きたい時。それは、大概話し相手がおらず、自分を相手に感じたことや考えたことを反芻している時。人に話してしまえば大したことがないのかもしれないけど、どこかに出してしまわないとその気持ちが残り続ける。

例えば、出産後、久しぶりに自由に外出して、スーパーに行ったら野菜が安くなっていて春を感じたこと。
転勤を控えた今の生活がはかなく思えて、無性にミラーレス一眼レフのカメラが欲しくなっていること。
出産前に髪を短くしていたこれまでと違い、今回は髪が長いままにしてみたけど、すぐに髪を束ねられて前に降りかからない今回の方が都合がよいこと。
ここのところもらった白米を減らすべく玄米から遠ざかっていたけど、手伝いに来ていた母がいなくなり炊飯器の残り具合を管理する手間が増えるとたちまち、ずっと保温のままでオーケーだった玄米へのゆり戻しが来ていること。
ドラマは「グッドワイフ」と「初めて恋をした日に読む物語」を観ていて、特に後者を観ながら、年々イケメン俳優と呼ばれる人たちに弱くなっている自分を感じていること(田中圭→竹内涼真→佐藤健→永山絢斗、、しかも自分の中で流行りを過ぎるとさほど気にならなくなるという)

今は書きたい時期。もうちょっと些細な生活の断片を残していけたらいいのだけど。

男性の育休は「取ってもらう」のではない

2019-03-16 12:25:48 | Private・雑感
赤子を抱きながら過ごす日中。夫が録画して貯めているドキュメンタリー番組をちらほら観ている。昨日観たのは、EテレのハートネットTV、ジェンダー格差についてのもの。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/158/

アイスランドでは当然となってきた男性の育休、女性の高い地位への参画、などの話。

我が家は、この週末まで実家の母が来てくれていて、入れ替わりで夫が1ヶ月の育休を取る。育休といっても、有休がたまりまくっているので、雇用保険上の育休ではなく有休の消化ではあるが。私も体力的にはだいぶ回復しているし、家事をやってもらうにしても食事はたぶん私がやるし、上の子たちの送り迎えは、休みを取ってない今も彼がやっているので、別に休みを取ってもらう必要なかったのかも、と思い始めていたところだった。

番組を観て、いやいやそうじゃないぞ、と。まず、育休を「取ってもらう」のではない。育休は、彼自身が子どもとの触れ合いや仕事からのリフレッシュ、夫婦の時間などのメリットのために取るのだ。私も、特に精神的に助かるはずなので、それは素直に感謝すればいい。
彼は私の育児の手伝いをする、というわけではなく、2人で同じだけ育児にかかわることが目的なのだから、私はここまでの2ヶ月半(産休に入ってから)、かなり赤子の世話に専念してきていることを踏まえると、彼に育児を任せて外出の機会を増やしていい。仕事に復帰したっていいくらいだが、それは置いといても、習い事やボランティアなどで仕事とは違う経験をする機会にすればよいのではないか。

ときどき、私もまだ「女性の視点に無自覚に囚われているのだな」と気付いて驚く。「Lean in」を読んだ時のような感覚だった。この1ヶ月が楽しみになってきた。夫婦ともに、赤子や上の子たちにとっても、よい時間になるように意識しよう。

世にも恐ろしい「乳頭混乱」

2019-03-12 11:56:17 | Private・雑感
はやくも3本目の哺乳瓶が我が家のラインナップに加わった。これまで上の2人では、プラスチック製のもの一本でやりくりしていた私にとってはイレギュラーな事態。

一本目は、産院で使っているって言っていた(でも実際には違った)ピジョンのガラス哺乳瓶。2本目は、搾乳もしていた入院後半に、搾乳するならもう一本あった方がいいかな、と思ってピジョンの母乳実感シリーズ、病院仕様のもの。

そして3本目。赤子が生後2週間弱となったころ、見られ始めた「乳頭混乱」に、まさにわたしが混乱して、ググった上でamazonで。ピジョンの母乳相談室。それで大型、混乱は収まりました。まだたまにあるけど…。

産後なんてほとんどの人が、母乳メインで行きたいけどちょいちょいミルクを足してる、という感じではないのか。それなら、哺乳瓶でゴクゴク飲みたい赤ちゃんが乳房の乳首を拒否する乳頭混乱のリスクはある。もう、新生児用の哺乳瓶の乳首は全部この母乳相談室でいいのではないか?

これまで上の子たちで乳頭混乱があった記憶がないので、今回、その辛さを数日、数回味わった。これは辛い。警戒しておいた方がいい。助産師さんにはそういう実務的なこと、教えてほしいものだ。

昨日、赤ちゃん訪問を担当する自治体の助産師さんから電話があった。生後3週間から6週間くらいがいちばんよく泣くらしい。今、3週目。昨夜はほぼ初めて、夜中に寝てくれずに3時間くらい授乳と寝かしつけを繰り返すことがあった。ちょっと大きくなって胃袋がある大きくなったのか、おっぱいを飲み続ける体力がついてきたのか。
大きな心で対応したい。

産後2週間の徒然

2019-03-08 09:41:05 | Private・雑感
産後2週間弱で考えていることを徒然と。

・出産の時に考えていたこと
前回出産のときは、その日の朝に見たNHKドキュメンタリーの一場面、アウシュビッツ収容所の人たちの後ろ姿だった。今でも目に焼き付いている映像。
今回、辛かった分娩台でうかんできたのは、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」第3部、ブリジットがマークとともに出産に挑むシーン。分娩台で、無意識のうちにマークの手を、両手で強く強く握るシーンがある。分娩台に付けられているグリップを強くて押すようにしていきむよう助産師さんに言われていた私は、「だれか(例えば横にいた夫)の手を握るなんて無理だし!そんなんじゃいきめない!」と思っていた笑。
退院してから、またブリジット観たいな〜と思ったけど、amazon primeでは観られなかったので、コリン・ファースが出ている「英国王のスピーチ」を観直しました。よかった!

・授乳クッションは要らない
最初の出産時のみならず、それに満足していなかったので2回目出産時にもうひとつ買った授乳クッション。今回はそのどちらも使ってません。椅子に座って授乳するとなるとクッションがあると少しやりやすいかもしれないが、前回の産後に見つけた、床に座って膝を立てて授乳するパターンが一番しっくりきている。そこに、子どものマクラをクッションとして挟むとより○。授乳クッションをリビングのソファーに置いておくのも若干目障りなので、今回はこんな感じで授乳生活をスタートさせています。ちなみに授乳クッションは、妊娠後期の抱き枕としては大いに使いました。

・悪露対策は二重使いで
なんのことかというと、ナプキン。かなり細かい話なんですが。清潔のためにはトイレのたびに変えた方がいいけど、赤ちゃんのおむつと合わせてゴミが多くなるなぁとちょっと嫌でした。今は、薄手のナプキンの真ん中におりもの用の小さいのを貼って、主に小さいものだけ交換すればいいようにしている。ときどき汚れが広がっていたらもちろん全部替える。おりもの用のやつってけっこう優秀だなと変な感心しています。

・搾乳機、簡易的なものがひとつあると気が楽
これまで搾乳機は買ったことがなかったのだけど、今回のクリニックが、授乳時間が管理されていることもあり、その時間にうまくあげられなかったり(赤ちゃんが熟睡してたりうまくくわえられなかったり)したことがあって搾乳機を借りた。それがコレ。さく乳ポンプ、という商品名。初めて見る形だったけど、パーツに分解して洗ったりすることも必要ないし、単純明快な作りで、それなりにさく乳もできたので、入院中にamazonで購入。実は、退院して2日間くらいしか使っていない。授乳が若干痛くなるトラブルがあって、その間だけ、片方を念のためさく乳して与えていた。今は使ってないけど、何かのときに使えばいいと思うと気が楽なことに気づきました。

出産で選ぶならクリニックか総合病院か

2019-03-07 13:32:50 | Private・雑感
今日で出産から12日目。今回出産したクリニックと、これまでの総合病院での出産と比べて感じていることを徒然と。

病院によって母乳育児のスタンスは全然違う
前回までの2回は、岐阜にある市立の総合病院で出産。NICUに入るとかではなければ、確か出産翌日から母子同室、授乳は授乳室で、授乳できた量を毎回測ってメモ、ウンチおしっこの回数も記録、というところ。調乳も自分で。夜間はナースステーションに預けることもできるけど、授乳が必要になったタイミングで授乳室に呼ばれる。
今回の民間クリニックは、母子別室、授乳時間は11時、14時、17時、20時。その時間になると赤ちゃんと調乳済みのミルクが病室に運ばれてきて、オムツ替えと授乳をして、一時間後に看護師さんが迎えに来る。
どちらも良し悪しだけど、総合病院のガチ母乳推進の方が、私は良かった。授乳室にはだいたい助産師さんがいて、乳房のくわえさせ方とか、抱き方とか相談できる。産後1、2ヶ月の精神的安定には、母乳が早く安定することが非常に大事。その次にミルクに罪悪感を感じないこと。2つが相反するようだけど…。退院後の母乳育児を考えて、日中も夜間も母子同室をお願いしました。ミルクは持ってきてもらうのを待つ形だったので、楽だったようなまどろっこしかったような。

なぜ、両者でスタンスが違うのか。予測するに、看護師・助産師の配置ではないか。やはり総合病院の方が、患者数に対するスタッフ数が多かったと思う。夜間の授乳に目を配るとなると、ナースステーションでまとめてミルクをあげるより手間がかかる。世の流れ的に母乳育児を推進しているのかと思いきや、ネットで見るとミルクをあげることで体重増えれば(産科的には)オーケーといったところも多いようで、スタッフ数にも左右されるのかなと感じました。

総合病院は売店があって○
入院準備をしっかりして臨んでも、やはり足りないものは出てくる。お菓子が食べたい、ナプキンが足りない、病室に来た家族の軽食があれば、など。総合病院はだいたい売店があるから、ちょっと体力が回復したころとか、夫に行ってもらうかすると用が足りて便利。

食事はクリニック。退院後にもよい影響
クリニックでの食事はすごかった。量が多い、内容もしっかりしてる。産後すぐは便通も難しいけど、出されただけ食べて腸にはよかったみたい。「母乳で育てるにはこれくらい食べなくちゃ」とミルクメーカーの人が言っていたけど、入院中のこの食事のおかげで、ガンガン食べる姿勢が身についた笑。母乳を与えるからお腹が空くのではなく、しっかり食べるから母乳が出るのだーーというのは3回目の母乳育児にしてやっと悟ったこと。今は実家の母がたくさん作ってくれるのでよい流れができています。

新生児科のある総合病院だとやっぱり安心
第一子のときは、吸引分娩だったために一泊をNICUで、もう一泊をGCUで診てもらった。第二子は入院しなかったけど、誕生した時と退院時に新生児科の先生が診察してくれた。たぶんそれで入院費が上がった面もあるとは思うけど、やっぱり安心。今回は3人の医師のいるクリニックで出産したけど、もちろん新生児科の先生はおらず、産科の医師が赤ちゃんを診察する形。そして特に説明もない。出産時、へその緒が首に巻きついていたというのも助産師さんが世間話的に言ってくれた話。「とくに話がないということは問題なかったってことですよね?」とこちらから聞いて、そうですよ、とは言ってくれたものの、1ヶ月検診も新生児科、小児科の先生ではなく産科で受けるみたいなので、大丈夫かな〜大丈夫だよな〜という気持ちがある。

金額面では?
入院金額がどうなるのかは、3回入院してみてもよくわからない。今回のクリニックは、事前に5万円納付して、その前後の金額になるのが通常らしい。私の場合は1200円戻ってきました。総合病院のときは、第一子のときは3〜4万円(1日5000円の個室とNICU使ったのに)、第二子のときは7万円くらい(4日くらい個室利用)だったような気がする。乳幼児は医療費自己負担がないとか、あると思うけど、なぜ第二子のときのほうが高かったのかはよくわからない。クリニックの方が予測しやすい気はします。

今回、出産したクリニックで当初から健診を受けていたけど、出産は近くの総合病院にするかどうかすごく考えました。やっぱり何かあったときに総合病院の方が安心、というのがあって。その総合病院も、クリニックでの健診から36週で転院、というのをシステム的にやっているみたいだったし。最後の最後まで迷って(でも情報収集のために電話すらしなかったんだけど、、ホームページ情報を元に)、総合病院では上の子どもたちが病棟に入れない、というのを伝え聞いて(確認もせずに)転院をやめました。仕事してると病院に電話ということ自体がハードル高い。別にふらっと職場の外で掛けることもできたはずだけど、メンタル的にも弱っていたということで。クリニックでも、胃腸炎で夜7時過ぎに診察してくれたこともあり、信頼できたことも大きいです。どちらが正解かはわからないけど、クリニックでも間違いではなかったかな、と振り返って思うところ。でも次があるとしたら(ないけど)、たぶん総合病院にするかな。何を差し置いてもより安心できる出産管理、というのが私の中では重要だとよくわかりました。

産後ケア事業を使わなかった理由

2019-03-04 13:56:09 | Private・雑感
「産後うつ」という言葉とともに、「産後ケア」という言葉がだいぶメジャーになってきたと思う。産後の体のダメージや心のもろさは誰にでもあるもので、この時期に心身の負担を軽くすることは、その後の母親や赤ちゃん、子育てをうまく乗り切るのに大切だ、ということ。産後ケアの中身としては、出産による退院の後に、医療機関や助産院、その他産後ケア施設で数日過ごしたり、退院後家に訪問してもらい、家事や育児を手伝ってもらったりという形があるようだ。最近は自治体が補助をして、低価格でこれらのサービスを使うことができる地域も多い。

第三子の出産となる私も、産後の育児が不安で、特に上の子たちと赤子が同じ部屋で寝るのに、上の子たちが私を振り回してヘトヘトにさせないかが心配で、少しでも退院を先延ばしできるのならありがたいと思っていた。うちは、とにかく狭いのだ。とくに保育園のない週末は、わちゃわちゃしていて大変。赤子を守った上で精神的に穏やかで身体的にもゆっくり過ごす…ことができそうにない。

調べてみると、伊勢市にも産後ケア事業として、補助してくれる制度があった。入院施設で、三食付きの入院延長(医療管理はない)を一日三千円でできるという。いいじゃん!と思ったのもつかの間。利用できる基準が厳しかった。
要は、「本当に育児に不安が強く手伝ってくれる人もいない」人しか使えない。本当に不安を抱いているのか、手伝ってくれる人がいないのか、審査される。

私の場合、第三子なので上の子たちの世話を含めて不安は大きく、当初は実家の母も(いろいろあって)車の免許が失効する可能性が高いタイミングで、手伝ってくれるとしても上の子たちの保育園の送迎はできなさそう。そもそも実家は関東で遠く、家が狭いために長く滞在して家事をしてもらうのも現実的ではない、と思っていたから、条件には当てはまるだろうと思っていた。

そうはいっても、「審査される」というのは精神的にキツイものだ、とよくわかった。本当に私は大変なのか?サービスがないとやっていけないのか?自問自答すると、「できなくはないと思うけど…」と考えてしまう。
産休に入るころに市の担当課に行った時、「出産したら教えてください、病室に伺って利用できるかどうか確認させてもらうことになります」と言われた。それは利用できないかもしれない、必要性について市が判断する、ってことですよね?利用意欲がさーっと引いていったのを覚えている。私くらいの困り具合では駄目なんだ。妊娠後期でナーバスだったのもあると思うけど、他人にそう思われているような気がして悲しかった。

この審査というものが、ない自治体も多い。利用後に補助を請求し、上限までの額を払ってもらうとか。三重県の近隣自治体でも、審査がなさそうなところはあった。それだったら、もっと積極的に利用検討していたと思う。

結果的に、出産翌日に、夫から市役所に電話するのはやめてもらった。体力の回復が早そうな感じはしたし、このクリニックが母子分離が原則だったり、授乳時間が決まっていたりして、決まりごとが煩わしく感じたことも大きい。廊下の足音や回診を知らせる院内放送など、ゆっくり休めない要素もある。実際、帰ってこられて良かったと思っている。

それでもやはり、「審査」の影響は大きい。審査があると聞いて悲しかった気持ち、行政の人にはわかってほしい。