子どもの教育について、考えなくてはいけない日もくるのだろうな、でも私立に行かせたい気持ちはないので、まあのんびりと成り行きに任せて、などと思っていた。そんな中で、たまたま読んでいた本の中で考えたことがあったので書き残しておくことにします。
最近、時折読むのが神谷美恵子の著作なのだが、彼女が生い立ちを振り返るエッセイ集のようなもので、小学校高学年から中学生にかけて、父親の仕事でスイスで過ごした時の学校、そして帰国してからの成城高校の話を紹介していた。講義形式ではなく、主に独学で勉強を進めつつ、わからないことを教師に聞くというスタイルで学んでいたという。音楽や芸術などはみんなでやる。スイスでは、国籍や、言語(フランス語やドイツ語)の能力もまちまちだったから、個々人に合わせて独学の課題が与えられたと書いてある。
これだと、好きな教科はどんどん進められる。追求もできる。そういえば自分の小中学生時代、みんなと合わせて勉強を進めていくのが、苦痛とは言わないまでも、無駄な時間が多いと感じていた。進捗確認のテストなど、10分で終わってしまい、あとの30分は暇でテストの裏に絵を描いて消す、ということをよくやっていた。勉強の面白さ、勉強の幅を広げてくれたのは、能力別に分けられていた塾だった。
学校の授業がもし、個別に進めて良いスタイルなら、より自分と向き合って、純粋な面白さを感じながら勉強できたのではないか。夫と話している中でも、彼はずっと公文をやっていて、学年の枠を超えて問題集を進めることができたのがよかったと言う。
これまで教育のスタイルなど考えたことがなかったのだが、この無学年別のやり方というのは、通信教材でも最近出てきていて、公教育でも検討されているらしい。
→無学年学習について
→学年や時間割廃止の検討、名古屋市
できることなら、子どもたちには勉強を楽しんでやってほしい。公立校に集まる雑多な人間模様も経験する価値はあると思うので、依然、私立は考えてはいないが…。あれよあれよと長女は来年小学校。一緒に教育のことを考えていけたら良い。初めから最適なものでなくてよいので。
最近、時折読むのが神谷美恵子の著作なのだが、彼女が生い立ちを振り返るエッセイ集のようなもので、小学校高学年から中学生にかけて、父親の仕事でスイスで過ごした時の学校、そして帰国してからの成城高校の話を紹介していた。講義形式ではなく、主に独学で勉強を進めつつ、わからないことを教師に聞くというスタイルで学んでいたという。音楽や芸術などはみんなでやる。スイスでは、国籍や、言語(フランス語やドイツ語)の能力もまちまちだったから、個々人に合わせて独学の課題が与えられたと書いてある。
これだと、好きな教科はどんどん進められる。追求もできる。そういえば自分の小中学生時代、みんなと合わせて勉強を進めていくのが、苦痛とは言わないまでも、無駄な時間が多いと感じていた。進捗確認のテストなど、10分で終わってしまい、あとの30分は暇でテストの裏に絵を描いて消す、ということをよくやっていた。勉強の面白さ、勉強の幅を広げてくれたのは、能力別に分けられていた塾だった。
学校の授業がもし、個別に進めて良いスタイルなら、より自分と向き合って、純粋な面白さを感じながら勉強できたのではないか。夫と話している中でも、彼はずっと公文をやっていて、学年の枠を超えて問題集を進めることができたのがよかったと言う。
これまで教育のスタイルなど考えたことがなかったのだが、この無学年別のやり方というのは、通信教材でも最近出てきていて、公教育でも検討されているらしい。
→無学年学習について
→学年や時間割廃止の検討、名古屋市
できることなら、子どもたちには勉強を楽しんでやってほしい。公立校に集まる雑多な人間模様も経験する価値はあると思うので、依然、私立は考えてはいないが…。あれよあれよと長女は来年小学校。一緒に教育のことを考えていけたら良い。初めから最適なものでなくてよいので。