ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

本田雅和、風砂子-(2000)『環境レイシズム』

2011-09-17 01:40:21 | Book
「レイシズム」という言葉を最近あまり聴くことも
使うこともないが、もっと流行していた時代も
あるのかもしれない。この本は2000年7月の出版。
アメリカで、先住民、黒人の居住比率の多い地域に核廃棄施設や
重化学工業が立地している現状を書いている。
朝日新聞記者と、アメリカで人権活動をしているという
2人の著書です。副題は「アメリカ「がん回廊」を行く」。

舞台は、南部のテキサス、ルイジアナ、ニューメキシコ
らへんが多い。
例えば―
ニューメキシコのインディアン保留地で、
放射性廃棄物の処理施設の受け入れ(多額の補助金付き)
をめぐって部族が真っ二つに割れたり、ゴミ処分場が
「貧富にかかわらず黒人コミュニティーに偏在している」
といって運動が起こったり。
印象に残ったのは、この運動の発端となった研究。
全米の地域社会の人種構成を郵便番号ごとに分析し、
有害廃棄物処理施設や投棄場所の分布を比較したという。
このほかのレポートでは、「汚染者に対する罰金も、
白人地域は黒人地域より5倍近い格差がある」。
・・・本題から外れるが、地方分権が進んだアメリカでは、
制度の違う自治体×人種の違い(×性別、所得の違い×…)
と、さぞ経済学者が分析したくなりそうな環境だなあ、と
思ってしまった。

上に上げた州などをまたぐインディアン保留地では、
粗末な作業着でウランの採掘を先住民たちが長年
携わっていた。
(何のとりえもない荒れた土地を与えたら、後年になって
地下にウランがあることがわかった、のだそうだ)
1970年代後半に選定された
超ウラン廃棄物(ウランより原子番号の大きい
放射性物質を含む廃棄物)を地下貯蔵する
「廃棄物隔離パイロット処理施設」もニューメキシコへ。
各施設から廃棄物を集め、運搬するルートも、
ヒスパニックやインディアンの多い地区となっているという。

いやでも青森の下北半島を思い出してしまいそうだが、
アメリカで、なぜこのような政治決定になってしまうのか
という分析は紹介されていない。
ほかにも、イチゴ農場で農薬被害に苦しむ黒人労働者の
話などがある。
特別編としてインディアンがゴールドラッシュの影でいかに
虐殺されてきたかを記したレポートもある。
(これが本当にひどい。インディアンは人ではないから
 罪ではないのか。政府が金を出して「志願兵」に金を
 出していた。焼き討ち、だまし討ち、作業労働者への
 連行。何十万というインディアンが死んだという)

こういう「迷惑施設」の立地場所は、国や自治体の姿勢を
表す。下水処理場のように臭いが出なかったとしても、
高度な工場でもアクシデントはあり、日本のコンビナートでさえ
年に数回は硫酸が流れ出たり水素に火がついたりする。
人種、という要因に付いて考えたことはなかったが、
自治体の決定がどうなされるのか、興味を深めた。

見識はついたが、さてはたしてどうすればよいのか、
環境NGOの力が強いといわれるアメリカで、どのような「成果」が
あったのか、もうひとつぐっとひきつける事実が欲しかった気も
する。

…ちなみにこの記者、wikipediaにはいろいろ書いてありますね。
とだけ言っておきます。

佐々木紀彦(2011)『米国製エリートは本当にすごいのか?』

2011-09-13 11:18:57 | Book
新聞の書評でいくつか紹介されていたので
手にとってみた。一日ちょっとで読める
読みやすい本。若い東洋経済の記者(1979年生まれ)
が書いただけある。

スタンフォード大学院に2年間留学した彼が出した
タイトルの問いのへ答えは、

すごいところ=エリートを育てるプログラム、
インプット量、討論の機会、レポートなどの
アウトプット量

すごくないところ=抽象的な思考は鍛えられるが
現実離れすることも多い、「世界一の島国」として
内向き志向の人が多い、とりあえず金融業界への流れ、、
などなど

といった感じでわりとドライに書かれている。
その理由を、それぞれの分野の名著などを持ち出したり、
大学の経営基盤やアメリカの歴史で
解説するので、「なるほど」という感じ。
例えば、アメリカのエリートは経済エリート、政治エリート、
軍事エリートに分類できるが、一番の地位は経済エリートが
占めている。アメリカには封建制度の歴史がなく、
貴族や武士が君臨したことはない、ブルジョアジーが
押さえつけられることなく権力や名声も手に入れてきた、
実際ゴールドマン・サックスのCEOになれば
財務長官(政治エリート)にもなっている、というように。
留学中のエピソードも交えていて、堅くなりすぎていない。

本の後半部分は、エリートを育ててきたアメリカと
日本の違い、特に外交面の政策の違いなどを多く取り上げ、
さながら彼の「卒業レポート」になっている。
外交政策論を真面目に勉強したことのない私には、
リアリストとリベラリストの定義の違いなど勉強になった。

私が一番この本に興味を持ったのは、経歴紹介によると
彼が28歳で留学し、2年を経て帰国し、復職して
32歳の今年にこの本を出していることだ。
32歳でこれくらいのこと書きたいもんだなあ、というように
いつの間にか読んでいた。
英語の勉強方など、同世代(?)として参考になりそうだった。

ハッジ・アハマド・鈴木(2002)『イスラムのことが―』

2011-09-12 01:50:50 | Book
9.11から10年。
アルカイダが「イスラム原理主義組織」と説明され、
10年間ほぼ毎日耳にした割には、イスラムのことを
知らない。と思って手にしたわけではなく、今月24日
からエジプト、トルコに行くので読んだのだが、
衝撃的なことに気づいた。
私はこの10年、イスラム教徒による本、記述をたぶん
意識的にはひとつも読んでいない。
大学教授らの文章や、新聞記事の中のアフガニスタン人の
声、アメリカの言い分はたくさん見たのに、イスラームの
人が書いた本をとって読んだりはしていない。

『イスラムのことがマンガで3時間でマスターできる本』
には、「日本人イスラム教徒が語る」とついている。
著者、ハッジ・アハマド・鈴木さんは、父親の代からの
イスラム教徒らしい。本は(図書館で借りたので)
2002年に出版されたもので、9.11に触れる部分もあり、
この事件を本当の意味では考えてなかったのだと気づかされた。

本には、基本事項として、一神教であることや偶像崇拝禁止、
クルアーン(コーラン)の論理性、ムハンマド(預言者)は
570年生まれの実在した人で、したがって旧約聖書などに
あるような「神話」の世界ではなく、彼が伝えたことも、
憲法、民法、商法などにまたがる実務的な規則だったこと、
などを書いている。(マンガは実際、ほとんどない!)

ところどころで強調するのは、
・イスラームとムスリムは違う
 イスラームは完成された教えのことで、ムスリムは不完全な
 人間、信者のことであり、ピンからキリまでいる。
 異端なムスリムを見て「イスラームはこれだから」という
 決めつけはしないでほしい

・「原理主義」はイスラームではなくキリスト教のもの
 「神を信じれば病気も治る」といって病院に行かないような
 キリスト教一派に用いられていたが、イスラームは実学としての
 教えがほとんどなので、イスラームに原理主義とつけるのは
 おかしい

・サダム・フセインはとんでもない独裁者で、彼のクウェート
 侵攻などに対応したがために、アラブ諸国はオイルマネーを
 使い果たし、国庫が空になった代わりに大量の武器が残って
 しまった

9.11に直接触れているところでは、
・9.11を肯定するムスリムはほとんどいないが、
 その後、アメリカがイスラエル軍のパレスチナ攻撃を
 あからさまに応援したため、反米意識は確かに強まった。
 特に、2002年に20歳のパレスチナ人の女の子が
 自爆テロをした事件で高まった

・アルカイダの犯行だとして、彼らの拠点となっているという
 土地、アフガニスタンが破壊されたが、アフガニスタンが
 それほどに巨悪なことをしたわけではなく、アフガン戦争
 は受け入れがたい(アフガニスタンはムスリムがほとんど)

・アフガン戦争の際に、「非民主主義的」「権的」「女性
 の権利もいきわたらない未開の国」のような宣伝がされ、
 イスラーム全体の尊厳が損なわれたため、当然反米意識に
 つながった

・アメリカにテロをしうる存在として(と明言しているわけでは
 ないが)、イラクのフセイン大統領が解説されている
 彼は元々アメリカとは蜜月の関係で、湾岸戦争でいきなり「裏切られた」
 と感じており、
 多くの同胞が殺されたことで恨みを持っている。アメリカは
 湾岸戦争の際、彼を殺すでもなく権力から
 引きずり下ろすでもなかった(それは中東の緊張をそのまま
 にしておくことで、イラク周辺国の武器需要が高まり、アメリカ
 の商機になるからだ、とも書いている)
 「(湾岸戦争後の)10年は、(テロ準備には)十分な時間だ」 とも。

・・・
追悼式典を少し見ていた。
3000人がなくなった同時多発テロで、
いったい何人の人がその後の戦争で死んだ
のだろうか。
テロの犯人は、当然ながら飛行機の中で他の乗客とともに死んだ。
その首謀者が生きているとなれば、当然刑事罰に相当するから
捜査するのは当然だが、戦争による攻撃でそれに代えた。
論理的ではない。法の枠組みを越えている。
とすれば、説明するのは「民主主義」という言葉で覆った
「世論」。純粋に言えば被害者意識と怒りだろう。
10周年記念の海外ニュースを観ていて、ワールドトレードセンターや
ペンタゴン、ハイジャックされた飛行機などが、いかに身近な場所や
ツールだったかを思った。日航機の御巣鷹山墜落は、大阪行きの便だった
こともあり、当時大阪で勤めていた私の両親にはとても身近で
被害にあった同僚もいたと聞いたことがある。
衝撃としては近いものがあるかもしれない。感情的にならない方がおかしい。

しかし、「この感情をどう始末するのか」ということへの答えとして
戦争をするのは間違っている。これは確かだから、他の部分は
統治者が努力して整合性をつけていかなければならないのだと思う。
それにしても、オサマ・ビンラディンがもっと早く捕まればよかった。
戦争するだけのエネルギーを使って、彼を逮捕して、裁判にかければ
よかった。「それでは、アルカイダの攻撃は今後も続くことになる」と
いうのはそうだっただろうか。「報復の報復」が戦争のどれだけの部分を
占めたのか図ることは出来ないが、相当大きいのではないかと思う。

映画「アメイジング・グレイス」

2011-09-06 00:42:59 | Movie
「ノブレス・オブリージュ」の意味は分かっていたつもりだが、
この映画を見て、なんというか生身のものとして腑に落ちた気がする。
富める者に付随する、社会改善の義務、というところか。
18世紀、フランス革命前後にイギリスの奴隷制度廃絶に尽くした
一人の政治家の話だ。

ウィルバーフォースは、21歳の在学中に選挙に立候補した
信仰心の厚い若手政治家。「amazing grace」を作詞した
牧師に師事していた。この牧師は、長年奴隷船の船長を務め、
「2万人を殺したも同じだ。彼らの霊と私は生きている」と
言う。「その自分を許してくれたのが神だ」と。
それほどにひどい奴隷の人権侵害、いわゆる三角貿易の時代で、
告発的事実を集め、奴隷制廃止法案を練り、演説して
法案を提出するのだが、プランター農園や奴隷船に資本のある
政治家たちや、港町選出の議員たちの賛同は全く得られず、
否決され続ける。ウィキペディアによると、最初の議案提出が
1789年。毎年毎年否決され、39万人の署名を集めても
だめで、途中リタイアしそうになりながらも活動し、
1806年に成立させる。という話。当時、24歳で首相となった
ピットとも同世代で、二人の友情も核となる。

DVDを観終わって、この手のほかの映画と何が違うか考えると、
彼が「(奴隷制度の)当事者ではない」ということだろうか。
社会変革を成し遂げた人たちの話は、例えば「ミルク」(ゲイで
初めて国会議員になったアメリカ人の話)でも、彼自身が
ゲイなのだ。この映画でも、奴隷船に乗っていて、のちに自伝を
書くチームの一員を主人公に描けば全く違う雰囲気になったに違いない。
だからこそ、ノブレス・オブリージュを貫く姿にぐっと来たのかも
しれない。この「義務」を果たせずに苦しむ姿に感動するのかも
しれない。

当たり前だが、法律をつくり、通すことができるのは、一義的には
国会議員しかいない。制度を動かしてこそ、成功なのだ。

今の日本を振り返って・・・
質問席に立って意見を言うことに満足している国会議員や、
政治や現状の批判を場当たり的にして仕事をしている気になっている
メディアに憤りを感じる人も多いかもしれない。
DVDレンタルが2日にリリースとなったので、
興味のある人は是非どうぞ。

おわら風の盆

2011-09-02 14:32:34 | Private・雑感
おわら風の盆、といえば関東の人も知っているのだろうか。
当然知っているものと思っていたら、愛知出身の夫は
「島耕作で読んで知った」とのこと。
1日、富山県富山市の八尾町へ、風の盆初日を見に行った。

夜遅くまで流しで踊っているので有名な風の盆。
町に着いたのは夜10時ごろ。
シャトルバスで戻ろうとする人も多かったが、まだ
残って初秋の夜を楽しもうという人もいて、
だいぶ歩きやすくなっていた。

笠を深くかぶって顔を隠し、シンプルな着物でしとやかに
踊る、ほんとに風流な踊りで素晴らしかった。
http://www.youtube.com/watch?v=ADHEiDx4xq8&feature=related
踊りの後ろで、三味線と胡弓、控えめに響く唄がなんともよい。
踊り手がおよそ25歳以下の未婚の男女、というところも、
線の細い人がそろっているようで雰囲気のよさの要素かもしれない。

ところで、行ってみて驚いたのは立派な町並みだ。
平らに建っている家はないほど坂が多く、
道を一本はいれば細い階段というところも多い。
三百何十年も続くという踊り、というからには町も
それ以上に古いのだろうが、自然発生した町としては
不自然な地形だった。

町の人に聞いたのと、ネットで少し調べたので考えると、
この町は富山から飛騨に続く道の街道沿いで、
かつ伊勢神宮を在所に持つ神社がやってきたこともあり、
宿場町、門前町として発祥した。
田んぼは地形的になさそうだが、養蚕が栄えたらしい。
あと、蚕の卵の繁殖。和紙の生産地にもなり、財を蓄えた。
立派な祭りが残っているところは、大体商業か漁業か、
特権商売で儲かっていたところだ。

町屋造りの街道は今も立派で、風情を良く残している。
花街の一角は、料亭に看板を変えている。
この花街の文化が、まるで芸子仕込のような日本舞踊風の
踊りに影響しているのではないか―――と話しながら12時半ごろ帰った。
雨上がりの気持ちのよい空気で、贅沢な田舎の夜だ。
いやしかし、旧町ごとに若い踊り手を育て、それなりの人数で
そろえて躍らせるのは、今の時代簡単ではない。
8月20~30日には前夜祭もあり、9月1~3日は
午後4時半から12時ごろまで随所で踊る。
にぎわいに応えるだけの迫力が、なんだかうれしかった。