早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム
小林宏一ら編(2010)『科学技術ジャーナリズムはどう実践されるか』
岡本暁子ら編(2009)『科学技術は社会とどう共生するか』
「科学技術ジャーナリズム」という分野があるらしい、と
最近新聞で読んで、大きな本屋で手に取ったのがこの本。
日本には「ジャーナリズム」を学問としてやるところがない
(果たして「学問」か、という疑問は置いておいて)と言われ続け、
最近早稲田に大学院が出来たが、その中に文科省プロジェクトとして
「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」というのが設置されていた。
http://www.waseda-j.jp/
その5年間の取り組みの中の講義録として出版されたものだ。
驚いたことに(?)欧米には1980年代から
科学ジャーナリズムを専門とした大学プログラムが増え、
中国にも3大学ぐらいでコースがあるそうだ。
ところで、科学ジャーナリズムって何だろうか。
新聞でのノーベル賞の報道や、今で言えば原発、地震関連の解説記事、
『Nature』など自然科学雑誌の記事、コラムなどが思い浮かぶかもしれない。
他の分野に比べ、新しい発見をわかりやすく、という趣旨の記事が多いのでは
ないか。
これも大事だが、社会面のように「批判的に調査し、報道すること」も
大いに大事なのに、あまりに専門的なことが多く、表に出てくることが少ない。
そして致命的なことに、そういう媒体のマーケットが小さい。
『Nature』や『Science』がよく売れる欧米に比べ、例えば岩波書店が
出している『科学』などは人口比にしても10分の1ほどしか
売れておらず、記者も絶望的に少ない。新聞社の科学部も記者が少なく、
調査報道をする余裕はない。
それに、科学記事を書きたい、という人には科学を信奉してしまっていて、
科学者をスターのように見てしまうから、ただの「翻訳者」で終わってしまう。
・・・といった前提で話が進められる。
ちなみに、科学ジャーナリズムと技術ジャーナリズムは違うそうだ。
日経BPが出している日経アーキテクチャとか、エレクトロニクスとか。
技術者向け雑誌は、その技術の産業規模に比例してマーケットがあるから、
日本はそれなりにあるのだという。
本の中で、コロンビア大大学院科学・環境ジャーナリズム研究科とやらの
ホロウェイ教授の講演録が興味深かった。
科学ジャーナリズムの課題として、
● 用語説明や補足で大きなスペースと、書くための多くの時間が必要になる。
(アメリカのある調査では29%の人が「太陽が地球の周りを回転している」
と回答するほど情けない状態らしい)
● 科学者間の意見はなかなか一致せず、ニュースにするまでに長い時間がかか
るが、ジャーナリズムの現場は高速なので、お手軽に記事を書いてしまう
● 科学者が科学誌に研究結果を掲載する場合、その当該雑誌の発行日までに
取材して発表してはならない(もし発表してしまったらその雑誌には載せられない)
という科学雑誌崇拝的な「インゲルフィンガー・ルール」というのが
慣行化していて、科学記者は受身の体質になってしまっている
など。
その上で、トレンドとして
◆現在の科学記事は、ほとんどが健康、ダイエット、フィットネスになり
◆報道機関の科学担当は縮小され(CNNでは撤廃された)
◆研究機関、政府機関などのプレスリリースに依存した記事が多くなり、
(リリースをまとめているウェブサイト:http://www.futurity.org/が人気)
◆研究者自身が、頼りないジャーナリストを越えてブログを活用するように
なってきた
◆発表ものが多いので、記事を読んだ後に「発表元」のサイトを探して
確かめる人も多くなった
というもの。
結局、科学ジャーナリズムは大事だが、マーケット性に乏しく、
研究者が研究の片手間でコラムを書いたりするように落ち着いてしまう。
というわけで、科学ジャーナリズムが自立するためのヒントは特にない。
現在進行形の原発事故や津波被害のことをも頭に浮かびながら読んでいて、
気になったのは、「科学史、哲学的に科学を論じることを日本の理系はやっていない」
というところ。
リベラル・アーツ発祥の(?)フランスなどでは、どんな専門でも
これらを学ぶという。
科学者が社会科学を学ばなくなり、両者は違う文化を生きるようになってしまった・・・
ことの弊害みたいなものは、かつて「二つの文化と科学革命」という本が元で
言われ続けているそうだ。
ジャーナリストというより、科学者側の人が読んだほうが、
何か前に進む意見が出てきそうな気がしました。
小林宏一ら編(2010)『科学技術ジャーナリズムはどう実践されるか』
岡本暁子ら編(2009)『科学技術は社会とどう共生するか』
「科学技術ジャーナリズム」という分野があるらしい、と
最近新聞で読んで、大きな本屋で手に取ったのがこの本。
日本には「ジャーナリズム」を学問としてやるところがない
(果たして「学問」か、という疑問は置いておいて)と言われ続け、
最近早稲田に大学院が出来たが、その中に文科省プロジェクトとして
「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」というのが設置されていた。
http://www.waseda-j.jp/
その5年間の取り組みの中の講義録として出版されたものだ。
驚いたことに(?)欧米には1980年代から
科学ジャーナリズムを専門とした大学プログラムが増え、
中国にも3大学ぐらいでコースがあるそうだ。
ところで、科学ジャーナリズムって何だろうか。
新聞でのノーベル賞の報道や、今で言えば原発、地震関連の解説記事、
『Nature』など自然科学雑誌の記事、コラムなどが思い浮かぶかもしれない。
他の分野に比べ、新しい発見をわかりやすく、という趣旨の記事が多いのでは
ないか。
これも大事だが、社会面のように「批判的に調査し、報道すること」も
大いに大事なのに、あまりに専門的なことが多く、表に出てくることが少ない。
そして致命的なことに、そういう媒体のマーケットが小さい。
『Nature』や『Science』がよく売れる欧米に比べ、例えば岩波書店が
出している『科学』などは人口比にしても10分の1ほどしか
売れておらず、記者も絶望的に少ない。新聞社の科学部も記者が少なく、
調査報道をする余裕はない。
それに、科学記事を書きたい、という人には科学を信奉してしまっていて、
科学者をスターのように見てしまうから、ただの「翻訳者」で終わってしまう。
・・・といった前提で話が進められる。
ちなみに、科学ジャーナリズムと技術ジャーナリズムは違うそうだ。
日経BPが出している日経アーキテクチャとか、エレクトロニクスとか。
技術者向け雑誌は、その技術の産業規模に比例してマーケットがあるから、
日本はそれなりにあるのだという。
本の中で、コロンビア大大学院科学・環境ジャーナリズム研究科とやらの
ホロウェイ教授の講演録が興味深かった。
科学ジャーナリズムの課題として、
● 用語説明や補足で大きなスペースと、書くための多くの時間が必要になる。
(アメリカのある調査では29%の人が「太陽が地球の周りを回転している」
と回答するほど情けない状態らしい)
● 科学者間の意見はなかなか一致せず、ニュースにするまでに長い時間がかか
るが、ジャーナリズムの現場は高速なので、お手軽に記事を書いてしまう
● 科学者が科学誌に研究結果を掲載する場合、その当該雑誌の発行日までに
取材して発表してはならない(もし発表してしまったらその雑誌には載せられない)
という科学雑誌崇拝的な「インゲルフィンガー・ルール」というのが
慣行化していて、科学記者は受身の体質になってしまっている
など。
その上で、トレンドとして
◆現在の科学記事は、ほとんどが健康、ダイエット、フィットネスになり
◆報道機関の科学担当は縮小され(CNNでは撤廃された)
◆研究機関、政府機関などのプレスリリースに依存した記事が多くなり、
(リリースをまとめているウェブサイト:http://www.futurity.org/が人気)
◆研究者自身が、頼りないジャーナリストを越えてブログを活用するように
なってきた
◆発表ものが多いので、記事を読んだ後に「発表元」のサイトを探して
確かめる人も多くなった
というもの。
結局、科学ジャーナリズムは大事だが、マーケット性に乏しく、
研究者が研究の片手間でコラムを書いたりするように落ち着いてしまう。
というわけで、科学ジャーナリズムが自立するためのヒントは特にない。
現在進行形の原発事故や津波被害のことをも頭に浮かびながら読んでいて、
気になったのは、「科学史、哲学的に科学を論じることを日本の理系はやっていない」
というところ。
リベラル・アーツ発祥の(?)フランスなどでは、どんな専門でも
これらを学ぶという。
科学者が社会科学を学ばなくなり、両者は違う文化を生きるようになってしまった・・・
ことの弊害みたいなものは、かつて「二つの文化と科学革命」という本が元で
言われ続けているそうだ。
ジャーナリストというより、科学者側の人が読んだほうが、
何か前に進む意見が出てきそうな気がしました。