ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

東京大気汚染訴訟

2007-05-30 22:18:59 | Public
都の住民で、喘息患者ら約630人が原告団を組織し、国、都、自動車メーカーを相手取って争われた裁判の、和解が一歩前進したというニュースがあった。

判決ではなく和解での解決が話し合われていたところに、都が「医療費助成制度の創設(喘息患者への医療費を負担)」を提案。その資金を国と、自動車メーカーにも負担を要請し、今回は国が60億円の拠出を承諾した、というもの。

何かがおかしい。なぜ、和解において「医療費助成制度の創設」なのか。もちろん、原告側への損害賠償の代わりとして、有意義なものだろう。ただ、なんだか違和感が残る。それでいいのか?と。

うまくは言えないが、「司法ではなく立法で解決を」と思う自分が居るからだろう。司法による解決には限界がある。判決のひとつひとつが、制度、すなわち立法を変えるべく影響すべきだと思う。もちろん制度自身の存在意義は、司法の場に集められた問題の解決策としてのみ、あるわけではないが。

明日は、朝日と読売では、大きく取り上げられる気がする。
日経と、中日はどうだろうか。

にしても60億円。私は自動車メーカーの人間ではないし、都民ではないけど、国民ではある。国の拠出、その大きさ、支払われるべき対象、そしてその意味には、もっと敏感にならなくてはと思う。

アジアの都市に建つ、ビル、マンション

2007-05-29 23:17:19 | Public
「需要が減少すると、それに伴って供給が減少する」

はたしてそうだろうか?
需要が減少しても、他の需要へと方向を移すのではなく、「需要を作り出そう」と努力する会社は多いだろう。建設業は、その最たるものではないか、と思うことがしばしばある。

たとえばマンション。先ほどやっていたテレビ番組「ガイアの夜明け」の一部である。廃業になった熱海の旅館は、軒並み高層マンションへと替わっていく。誰がそんなにマンションを欲するのか?しかしマンションは埋まっていくのだろう。買う人・借りる人、すなわち需要があるらしいのである。日本人の支出感覚自体が、建設業による需要誘発の結果だ、と、部分的には言えなくはないのではないか。

そしてたとえば介護施設。遊閑地があれば、建設業者の出番である。地域包括支援センターなど、新しい施設需要が湧いてきている。改装、改築を含め、建設業は福祉業界に「新規需要」を見出している。ただ、そんなにも新しい建物が必要なのだろうか?やたらと「高齢者の国」として紹介されるデンマークには、「いかにも」福祉施設―――清潔感を売りにした、新しそうで、しかも急速に建てられた感じの漂う箱型施設―――のようなものは見当たらなかった。別に、福祉施設がそのようなデザインでなくてもいいのである。中に入れば、バリアフリーで快適であればいいのだ。ただ、日本ではきっと、建て替えのほうが安く済んだりするのだろう。価格が、需要者の優先順位を大きく左右するのだ。


アジアらしい、高い人口密度。急激な成長による急激な都市化。人口過密な大都市にビル、マンションが立ち並ぶ。東京、大阪、ソウル、北京、シンガポール、バンコク・・・アジアの大都市は同じ構造に見える。
経済成長とともに拡大する建設需要、経済的、政治的力を持つようになる建設業、「新規」建物の需要選好、犠牲になるのは50年後の景観、だけだろうか?

建設業の役割は、だんだんと歪んでいくような気がする。技術の開発、発展は、組織や雇用を伴って、足取りを重くする運命にあるのだろうか?

初ハーフマラソン

2007-05-27 22:15:44 | Private・雑感
21.0975km。今まで10kmそこらしか走ったことが無い。ランニングでも、そこらへんが限界だった。

10kmの向こう・・・山中湖を1周したあとの自分がもう8kmも走れるのだろうか?未知の世界だ。

それにしても、素晴らしい景色だった。ゼミ合宿で河口湖に行くことが多く、山中湖はスルーしてばかりだった。しかし、富士山を仰ぐならここの他にはない。富士山という山は、ほんとに、すごい迫力で美しい。

これがなければ走れなかったと思う。21.0975km。

記録は、(暫定)2時間1分55秒。2時間を切るのが目標だったが、まあ、よく頑張った。10kmまではびびってゆっくり、そこからペースを上げて16kmまでは快調に人を抜いて走った。そこから20kmはきつくて足が重かった。そこからのラスト、スパートをかけることが出来た自分を誉めてあげたかった。

思いがけず、バドミントンの先輩に遭遇、楽しいひとときもあった。

「なぜ人は走るのか?」

答えはよくわからないが、ひとまず満足した。
次は、2時間を切れたらいいなぁーと思うことには思うが、基本的にはもうしばらくマラソンはいいや。

「STAND UP」(原題:North Country)

2007-05-26 00:46:11 | Movie
2005 アメリカ
★★★★★
主演:シャーリーズ・セロン

 1980年代のアメリカ、「北の国」ミネソタ。夫の暴力から逃れ、この故郷に帰ってきた一人の女性。2人の子供を自分で養うため、鉱山労働に就く。男女雇用機会均等法の厳守が義務付けられていた会社に、「仕方なく」雇われていた彼女たち。不況も手伝い、「男の職を奪う女たち」への嫌がらせは度を増していく。

会社へ訴訟を起こそうと立ち上がった一人の女性のドキュメンタリーである。実際には、1984年に訴訟が始まり、1998年に終わったということである。

 社会派ドキュメンタリー作品として、真に迫るものがあった。「ここで女性が働いたのか」と思わずには居られない鉱山の労働環境と、男性からの果てしない卑猥な言葉と行動。それでも、格段に高い給与のために、彼女たちは働いた。「男性と女性」間の差別だけでなく、「会社と女性」、「労組と女性」という対立軸とも重なった。法廷で勝てる見込みはかなり小さかった。

なぜ彼女たちは鉱山を選んだのか。特典にあった実際に訴訟を起こした人のインタビューに、

「まず、シングルマザーが集まってきた。続いて若い人が入ってきた。」

どうしても働かなくてはいけない人間が、自然と集まってくる。自分で、生きるために。

非常によくできた作品だと思う。最後のシーンのゾクゾク感、映画ならではの高揚感だった。

大統領の陰謀――ウォーターゲート事件とは

2007-05-20 02:48:37 | Movie
原題:ALL THE PRESIDENT'S MEN

1976年、アメリカ、★★★★
ロバート・ヘッドフォード、ダスティン・ホフマン

ウォーターゲート事件が、単なる侵入事件から、CIA,FBI,司法省を巻き込む選挙汚職事件へと明らかになっていく様子を、実際にそれを担ったワシントン・ポストの記者を主人公に描く。

・・・
1913年、ニクソン、カリフォルニア州ヨルバリンダで生まれる。
    苦学生だったらしい。
1942年、29歳、海軍に志願。補給部隊少佐。
1945年、ルーズベルト(民)辞任、トルーマン(民)就任。
1946年、33歳、カリフォルニア州共和党から下院選に出馬、当選。
1950年、38歳、上院議員に選出される。
1953年、トルーマン辞任、アイゼンハウアー(共)就任、
    ニクソン、副大統領に就任。
1956年、大統領、副大統領共に再選。
1960年、大統領選、対ケネディ(民)惜敗。
1962年、カリフォルニア州知事選、敗北。
1961年、ケネディ(民)就任。
1962年、キューバ危機。
1963年、ケネディ暗殺、ジョンソン(民)就任。
1964年、ジョンソン続投。
1969年、ハンフリー(民)に勝利、大統領就任。

1972年、秘密訪中。
1973年、マクガバン(民)に圧勝、
1974年、ニクソン続投。

1972年の大統領選挙では、はなばなしい外交上の成果を背景に民主党のジョージ・マクガバンに圧勝した。選挙期間中におこったウォーターゲート事件(民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けようと侵入した犯人が逮捕された事件)は、当初、大統領は関与を否定したため問題にならなかったが、その後の調査の進展により、ホワイトハウスと大統領再選委員会が関与していた疑惑が深まり、ワシントン連邦地裁や上院ウォーターゲート特別調査委員会によって、しだいに真相が明らかにされた。20人以上の関係者が起訴される中で、大統領自身がCIAやFBIをつかって事件のもみ消し工作に関与した可能性が濃厚となり、上院特別調査委員会における大統領執務室での会話録音テープ提出問題をめぐって国民の不信は深まっていく。アグニュー副大統領が収賄事件で辞任(1973年10月)においこまれ、大統領についても権力乱用や不正のさまざまな疑惑が生まれた。

最高裁判所から会話録音テープの提出命令がだされ、大統領の直接関与をしめす証拠が明らかになると、下院での弾劾が必至となり、1974年8月、テレビで事件のもみ消し指示をみとめる演説をおこない辞任を表明。アメリカ史上はじめてみずから辞任した大統領となった。8月9日、フォード副大統領が大統領に昇格、就任1カ月後に特赦があたえられた。

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・・・


裁判の証言人として召集されたある一人の、ニクソン・再選委員会の職員が、裁判所から帰ってくるところで、記者であるダスティン・ホフマンが彼に尋ねる。

「なぜ証言でホールトンの名前を出さなかったんだ!?」

「誰も私に聞かなかったんだ、彼のことを。」

・・・
日本でリクルート事件が起きたのが1988年。佐川急便事件が1992年。選挙改革が1994年。

アメリカにはかつて選挙改革というものはなかったのだろうか?
明らかに世界で一番コストの高い選挙活動がなされているアメリカでは、それへの批判はないのだろうか?

あまりに大きな汚職事件を見て、それがどのようにその後のアメリカを変えたのか、興味を持った。

世界銀行

2007-05-16 09:28:29 | Public
世界銀行の総裁が、組織内の恋人の給料を不自然に吊り上げたとして、同僚から非難を浴びているらしい。4月に発覚した事件で、このたび重役会議が開かれるようになったと、BBSが伝えている。そのガールフレンドは、大した経歴も無いのにライス国防長官以上のサラリーをもらっていたらしい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/6659433.stm

今まで知らなかったのだが、大したニュースではないと判断されているのだろうか?「不正一掃」を途上国に求め、資金援助の条件としたりしている世界銀行が、格好悪い話である。しかも、彼はこの職を続けることを訴えている。


「なぜ、世銀の職員の給料がライス国防長官のそれと比べられるのだろうか?」


1946年~1946年:ユージン・メイアー
1947年~1949年:ジョン・ジェイ・マクロイ
1949年~1963年:ユージン・ロバート・ブラック
1963年~1968年:ジョージ・デビット・ウッズ
1968年~1981年:ロバート・マクナマラ
1981年~1986年:アルデン・ウィンシップ・クローセン
1986年~1991年:バーバー・コナブル
1991年~1995年:ルイス・トンプソン・プレストン
1995年~2005年:ジェームズ・ウォルフェンソン
2005年~     :ポール・ウォルフォウィッツ 

彼らは、アメリカの政治家だからである・・・少なくとも彼と、マクナマラは。
マクナマラはベトナム戦争時に国防長官を務め、ジョンソンと折り合いが悪くなり、突如世銀の総裁へと更迭されている。
まったく同じように、2001年から国防副長官を務めていたウォルフォウィッツは、2005年3月、世銀の総裁に就いた。その1年半後には、国防長官であるラムズフェルドが更迭されているのは有名な話だ。

つまり、世銀の総裁は、アメリカ大統領が人事権を持ち、概して「更迭先」として位置づけられている。別枠の「チーフ・エコノミスト」というのが、経済の専門化が収まるところであり、スティグリッツが就いていた職だ。

アメリカ政府から追い出された政治家に、開発途上国の資金計画方針が決められている。多数決投票という民主主義システムが取り入れられていない世界政策決定機関は、もう少しましな人事システムで行われてもいいんじゃないか、と思ってしまう。

THE LAST OF MOHICANS

2007-05-16 01:01:38 | Movie
1992年/イギリス ★★★★


1757年、独立前夜のアメリカを、イギリスとフランスによる植民地戦争が激化していた。「フランス軍にやられた部族」はイギリス軍へ、「イギリス軍にやられた部族」はフランス軍へ、と、西洋人に民兵として組織されたインディアンたち。
斧を血で染めながら人を殴り殺すやり方と、確実に標的を撃ち殺す銃殺方法が繰り広げられるインディアン闘争―――こじれた対立関係の中で、憎しみのままに虐殺を繰り返すヒューロン族から、イギリス女性を守るモヒカン族の姿を描いている。

・・・

西洋人がもたらした価値観は何か―――それは論理であり、心に思うこと以外を人に行動させる術、と言えるかもしれない。権利や契約、法律、規律。それが戦争・略奪を正当化してしまったり、合理化していたりする。

彼らは、それ以前の感情で生きている。斧それが、イギリス女性(ヒロインとその妹)と、イギリス将校がヒューロン族に捕らわれたときに、長老が命じたその処置に表れているように思った。

(ネタばれ注意)

一人(ヒロインの妹)はお前の女とし、傷を癒しなさい。
一人(イギリス人将校)はイギリス軍に渡して和平を結ぼう。
そして一人(ヒロイン)は火あぶりにして喜びを分かちあいなさい。

全員を釈放するとか、取引するとか、そういうのではないのだ。

そこに、前近代の有無を言わさぬ価値体系を見たように思った。


朝鮮半島の元ひとつの国

2007-05-15 00:35:41 | Public
昨日、5月13日の読売新聞朝刊、1面と2面に、佐々木毅・元東大学長のコラムが載っていた。

「日中関係・朝鮮半島、次の課題」

内容はこうだ。


・朝鮮半島の両国には、統合に向けたナショナリズムの高まりが見られる
・日中が適切に対応しなければ、核兵器の問題がないがしろにされたまま
 朝鮮半島の「解決」がなされかれない
・この点、アメリカはあてにできない
・日本と中国が、協力して取り組む「必要」がここにある

ということだ。

「北朝鮮と韓国が共有するナショナリズム」というのは私の中では新しい見方だった。「北朝鮮が北朝鮮となる前」を知らない私たちの世代にとっては、北朝鮮といえば最も遅れた共産主義を頑なに掲げ続ける、失敗しつつあるキムジョンイルの国家」というイメージである。ただ、この国は確かに統一国家だった。まるごと日本に植民地化された、ひとつの国だった。東西ドイツの統合を目指すのも当然というものである。

ただ、韓国側のネックは、なんといっても北朝鮮の経済的な貧しさである。かつて東西ドイツが、経済統一で多様な荷物を背負ったのを見た後に、同じ重さに耐えられるほどの体力はまだ無い、ということなのだろう。


100ページの歴史の教科書があったとしたら、90ページ分は同じ歴史を歩んでいるだろう両国。最後の10ページが余りにも現況の多くを規定している。統一を掲げる与党が出てくるのはいつになるだろう。

「東京タワー」

2007-05-13 22:53:11 | Movie
「いま以上、自分以上に、なりたかったんだよ、急いで、急いで。」

という福山雅治の歌が気になっていた。大崎の本屋で流れていたのだった。勧める人もいて、今日映画館に足を伸ばした。


「東京タワー」がなぜこれだけ流行っているのか―――あまりにも主人公の感情をさらけ出され、視聴者は自分の感情を重ねざるを得ない感覚に陥るのではないかと思った。

時代やその他の条件が違っても、自分や周りの誰かを、映画の中の登場人物に重ねてしまう。そうしたらもう、映画の中の些細な変化にも敏感に心を動かされてしまう。

私も場合は、母と祖母だった。

母は、26歳で結婚し、35歳頃におそらく初めて、関西圏を出る。父の転勤のためである。それから関西・大阪に戻ることは無かった。
母方の祖母は、おそらく生粋の大阪生まれの大阪育ちで、長女であるうちの母が関西を出ても、ずっと長男(私の叔父)と大阪に居た。C型肝炎で入退院を繰り返し、大きな手術をしたあとに、千葉の我が家に来ることになった。

あのとき、母は、祖母は、どんなやり取りで、どんな気持ちで千葉に移り住むことを決めたのだろう―――「ほんとに、おかんが東京行っていいんか?」と樹木希林が電話で言ったとき、祖母と母のやり取りを思った。

祖母は千葉に来てから、我が家から近くの病院に入院し、しばらくして我が家に引き取ることを両親が決める。
母と同じ畳の部屋に布団を敷き、そこに祖母が寝ていた。そのときはもう痴呆があった記憶がある。たった2週間を我が家で過ごした後、家の中の小さな事故で、帰らぬ人となった。

母は―――その心のうちは、どうだったのだろうか。悔しかっただろう、あまりにも短すぎる最後の一緒の時間だった。あわよくばこの主人公のように、7年も8年も、共に過ごせたかもしれなかった。

そして、母は翌年から始まった介護保険制度の中で、登録ヘルパーとして働き出す。映画を見ながら、「わたしは、今まで意識はしていなかったけど、うちの母のような人を応援したいという気持ちがあったのかもしれない。だから介護労働者の話を論文にしようとしているのかもしれない」と思った。


世代と世代が、一緒に年をとっていく。同じものを見、違うことを考えながら。

そういえば、福山雅治も「同世代に伝えたい歌、を意識するようになった」とどこかで言っていたなぁ、と思いながら、エンディングの歌をしんみり聴いてしまった。感動というより、胸に痛いような映画だった。

オリバー・ツイスト

2007-05-13 03:10:22 | Movie
2006年 イギリス
★★★★
・・・

「この子は孤児なのに名前があるのかね!?」

「アルファベット順に私がつけるんですよ、Sの次はT、Tだからツイスト。」

彼の名はオリバー・ツイスト。人間が溢れた19世紀・イギリスに生れ落ちた一人である。この時代の、この場所にしかない、空気を凝縮させたような映画に思えた。

・・・
19世紀イギリスをとことん描こうとしたロマン・ポランスキー監督。10歳かそこらの少年の目から見るその景色は、とにかく茶色い。そして多くの人―――持てるものと持たざるもの―――が溢れている。何にぶつかるかわからない。孤児となった少年が養老院にぶつかり、葬式屋に拾われ、ロンドンにたどり着き、小汚い街の一角に寝場所を見つけてからの物語である。

どこもかしこも人だらけ―――これがほんとに当時の景色だったのだろうか。道の脇には人が座り、真ん中を危険な馬車が走る。他の映画でもこんな景色を見たな、と思って思い返すと、それは「二都物語」(1957年イギリス)だった。ふたつとも原作の著者はチャールズ・ディケンズ。イギリスの19世紀後半に活躍した作家らしい。

産業革命時のイギリスは、「人類がかつて経験したことの無いほどの、急激な変化」の中にあったと言えるのかもしれない。最近よく思うのだが、「急速な、急激な変化」が与える負荷は相当大きいものなのではないだろうか。時間で微分したときの大きさが、人間一人一人に与えるショックのことである。

変化に社会が、政治が、人間が適応していくのは簡単ではない。ときに、世代単位の時間がかかる。19世紀のイギリスでジャーナリストとして活躍し始めたディケンズは、考えること、考えなくてはいけないことでいっぱいだったかもしれない、と想像してみる。必ずや同じ違和感が、今の発展途上国でも発生しているのではないだろうか。
彼のもうひとつの代表作、『大いなる遺産』も読んでみよう。