ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

労災補償と労働安全衛生

2013-07-29 07:26:39 | Public

労災保険制度は、昭和22年(1947年)、労働基準法の制定とともに設立された。こうやって見ると、労働者の保護に関する法律はことごとく戦後に作られている。失業保険も同年、労働組合法は昭和24年(1949年)。これらをエンジンに労働組合が活発化し、過激化し、使用者との協調を全体方針にしないと立ち行かなくなり、生産性運動をきっかけに戦わなくなっていった。他の社会保険、社会保障制度に比べて歴史が浅いと言えると思う。

●労災保険制度の設立と意味
労災保険がない時代、労働災害が発生すると、被災労働者や(亡くなった場合は)その遺族は、雇い主を裁判で訴えなければ補償を得ることが出来なかった。これは民事裁判で、民法709条の不法行為か、労働契約法5条の安全配慮義務違反での請求になる。この場合、雇い主の過失による災害であること、災害と傷病の相当因果関係について挙証責任を負うのは労働者側。特に疾病への影響などは専門知識が必要で、勝訴のハードルはかなり高かった。また、勝ったとしても雇い主に賠償能力がないことも多い。特に大規模災害の場合、多数の労働者に補償しなければならず、結局救済されないという事態になる。この、「請求の難しさ」「救済されない場合」から救うために、無過失責任の労災保険がつくられた。

対象:労働者を使用する全事業者、ただし公務員、個人経営の農林・畜産・水産事業でごく小規模なものは任意適用。中小事業主や一人親方などは特別加入制度がある。

負担:事業主が支払う。賃金総額に保険料率を乗じて算出。
保険給付:業務災害に関する保険給付、通勤災害に関する保険給付、二次健康診断給付。
※精神的な損害に対する「慰謝料」は給付対象ではない
※労働者が故意に負傷、疾病、傷害もしくは死亡を行ったり、その原因となった事故を生じさせたときは給付を行わない

給付決定:労働者の請求→労基署長が判断→もし不服なら審査請求、再審査請求→これにも不服ならば労基署長を相手に行政訴訟

●認定基準は「業務遂行性」と「業務起因性」
給付対象は「業務上」の負傷や疾病なので、この「業務上」は「業務起因性」を意味する。「業務起因性」の要件として「業務遂行性」がある。
「業務と疾病の発症との相当因果関係は、当該疾病が『業務に内在する危険の現実化』として発症したと認められるかどうか」という視点も裁判で使われている。

業務遂行性=労働者が事業主の支配下にあり、かつその管理(施設管理)下にあって業務に従事している際に生じた災害であれば、当然「業務遂行性」が認められる。休憩、始業前、事業場外、出張中でも認められる。

地震や落雷、通り魔、けんかなどの私的逸脱行為などは、業務起因性がないとされる。

●過労死を労災認定とする基準
過労死=脳血管疾患、虚血性心疾患
行政の判断1,2,3
裁判例の立場
①業務による負荷が過重と言えるものであったか
②基礎疾患がその自然的進行によっては発症を引き起こさない程度であったか
③ほかに確たる増悪要因はなかったか

●過労自殺
過労自殺=業務による精神疾患→自殺
※「労働者が『故意に』負傷、疾病・・・原因となった事故を生じさせたときは給付を行わない」とあるとき、自殺は『故意の死亡』と言えるが、給付対象になるだろうか
→業務上の精神障害によって正常な認識、行為選択能力などが著しく阻害されている状態での自殺が認められる場合には故意には妥当しない、とした。

★「業務により精神障害を発病させるほどの強い心理負荷がかかったか否か」の判断に置いて、誰を対象・基準に判断するか
→判例によって異なる
例)平均的労働者=通常の業務を支障なく遂行することができる程度の健康状態にある者、同種の労働者の中で性格傾向が最も脆弱である者・・・

●通勤災害は「就業に関する住居と就業場所の往復」が基本

●民事訴訟との関係
併存主義=労災申請と同時に民事訴訟を提起することもできる
※ただし、労災保険でカバーされている範囲は訴訟での補償を求めることはできない。それ以外の慰謝料とか、労災補償範囲を超える賃金の補償などが対象

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労災保険の授業を面白いと感じたのは、日々取り扱っている医療保険、介護保険と同じ「社会保険」であり、理念から制度に落とし込む過程が興味深いからだろうか。ほかの労働法の授業は、判例をもとに解釈を繰り返すもので、文学的側面が強いと感じる。


労働委員会と不当労働行為

2013-07-28 16:48:05 | Public

労働組合が企業から不当な嫌がらせ、たとえば組合幹部の業績評価を不当に低くしたり、組合員であることを理由に配置転換されたり、また団交を誠実に対応してもらえなかったりしたときに、使用者は法律(労働組合法)違反だということで裁判に訴えることができる。でも、裁判となれば何かと大変だ。そこで、この類の紛争を専門に扱う行政委員会として、「労働委員会」というものがある。合議体の委員会で、特定範囲の行政権を持つ。教育委員会や農業委員会、公正取引委員会なんかもこれに入るらしい。東京労働大学の最後の授業は、この労働委員会と、そこで扱われる「不当労働行為」について。名前はいろんなところで見たことのある、神戸大大学院法学研究科の大内伸哉教授でした。

●労働委員会が裁定できる紛争=不当労働行為
不当労働行為
①不利益取り扱い=組合員であることやこれを結成しようとしたこと、組合としての政党行為をしたことを理由に労働者を不利益な扱いをするこkと
②黄犬契約=採用段階で「組合に入らないこと」を条件にするなど、組合に加入しないことや脱退を雇用条件とすること
③団交拒否=使用者が団体交渉を正当な理由なく拒むこと
←憲法上28条の団体交渉権から来る労働者の権利。使用者は交渉のテーブルに着くだけでなく、「誠実に」対応しなければ「団交拒否」となり、違法になり得る(※)
④支配介入=労働者が組合を結成し、もしくは運営することを支配し、もしくはこれに介入すること
⑤経費援助=労働組合運絵のための経費に援助を与えること
←労働組合法における労働組合の定義の中で、「団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの」は組合での定義から外れることが書いてある
⑥報復的不利益取り扱い=労働者が労働委員会に申し立てをしたことや発言・証拠提示などをしたこを理由に解雇など、不利益な取り扱いをすること

(※)「誠実に」とは=誠実交渉義務とは、合意達成の可能性を模索する義務を果たしていること
However、お互いの主張が平行線になり、これ以上動きようがないということになれば、交渉を打ち切っても誠実交渉義務違反にはならない

●使用者⇔労働者、の関係に、雇用主以外の企業⇔請負業者、は入るか?
→入ることがある
例)テレビ局で制作会社の人が請負契約で働いていたとき、テレビ局は団交に応じる義務があるか?
「雇用主以外の事業主であっても、その労働者の基本的な労働条件に付いて、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて、右事業主は同条(労組法7条)の『使用者』に当たるものと解するのが相当である」

例)新国立劇場財団は、契約するオペラ歌手との団交に応じる義務があるか?
→オペラ歌手の労働者性を認め、財団は団交に応じる義務があるとする

●どんな小さな労働組合に対しても、使用者は交渉に応じなければならない(中立保持義務)
団体交渉だけでなく、すべての面でいずれの組合にも中立的でなければならない
ただし、組合の大きさで「交渉力」に差がつき、条件交渉の結果に差が出ることは最高裁も認めている

●裁判所への労働審判・訴訟との関係
労働審判とは、おおよそ3日での紛争解決を目指す裁判所に設けられた審議機関。解雇や賃金トラブルを扱う。ここでの調停や審判に不服の場合には、訴訟を起こすことができる。労働者は、労働委員会と同時に労働審判に申し立てることも制度的には可能。 

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この授業で印象的だったのは、団交拒否を違法(違憲?)とし、労働組合はどんなに小さな組合でも使用者を交渉の場に就かせることができ、しかもそれが「誠実」でない場合には使用者の非が認められるという、他国でも例がないほどの強い権限を組合に持たせているということ。例えばアメリカでは、過半数の最大労組しか労働協約を結べないなど、「排他的交渉代表制」という制度があるという。だが、日本では労働組合の影響力は低下するばかり。実際、私の会社は組合がないが、これらの保障された権利を行使しようとして、それを使用者側が納得し、交渉に応じてくれるような気がしない。「波風を立てる労力」みたいなものを大きくとらえてしまうのは、日本人の特性なのだろうか。制度は整っていても、長年の慣行はそれとかけ離れ、新興企業では非常に意識が低い。特に、これからの若い労働者を守るものは何なのか、と考えてしまう。

 


短時間労働者への法的規制

2013-07-21 23:54:58 | Private・雑感

「非正規雇用」とよく出てくるが、契約社員だってちゃんと「契約」しているのだから、「非正規」とは失礼じゃないか?と思ったりするのだがどうだろうか。おおざっぱに言えば「正社員以外」の労働者の労働条件や労働契約について、早稲田大大学院法務研究科の島田陽一教授の講義を簡単にまとめてみる。

「非典型雇用」とは---パートや契約、派遣などの「正社員以外」のほか、個人事業主と発注元として契約している「非雇用」もある。前者のいわゆる「非正規雇用」は、パート・アルバイトが8割を占め、非正規雇用の問題はパート・アルバイトの問題とも言える。後者の「非雇用」型は、近年増えている傾向。たとえばバイク便のドライバー。あの人たちは雇用されているわけじゃなく、それぞれが個人事業主で、「業務委託契約」になる。だからおそらく労災は適用にならない。こういう「非正規」と「非雇用」の間にいる人たちは、労働基準法、労働契約法においては「労働者」ではないが、労働組合法では労働者と認められ、ユニオンに入れば団体交渉ができるらしい。

●短時間労働者に対する法規制

非正規の中の多くを占めるパート・アルバイト…つまり「短時間労働者」については、「パートタイム労働法(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)」が1993年に成立している。ただ、短時間労働者とはいえ、当然労働基準法の対象にはなるので、それにプラスして、たとえば「通常労働者との待遇の均衡」などを求めている。

特徴
・努力義務規定が多い
・罰則がほとんどない=行政指導はされるが、取り締まりは困難

対象となる人
・一週間の所定労働時間が、通常の労働者に比べて短い労働者
=通常、所定労働時間が1日8時間、週40時間だとしたら、6時間×5日間、8時間×3日間などの人は対象になる
=「パート」と呼ばれていても、労働時間が正社員と同じく8時間×5日間=40時間/週、なら、この法律の対象にはならない


懲戒権

2013-07-21 15:27:10 | Private・雑感

「懲戒」という言葉が新聞で出てくるのは、たとえば教職員が生徒へのわいせつ行為で逮捕されたとか、新聞記者が記事を盗用したとか、不祥事が報道されるときだ。一か月の自宅謹慎とか、3か月の減給とか、懲戒解雇とか。しかしこの、使用者による「制裁」の仕組みも、法律的にはさほど明快には位置付けられているものではない。組織内の私的な罰則であっても、野放図にされていては労働者はたまったものではない。これも、同じ同志社大の土田教授の講義をまとめて、整理してみることにする。
ちなみに、日本ほど懲戒が多用されている国はないそうだ。日本は、配置転換などで解雇を避ける、というのが一般的な包括的労働契約になっていて、これが組織に「柔軟性」を与えているとされる。欧米諸国では、組織変更や事業の撤退などは、労働者の解雇を伴うため、労働組合の抵抗が大きく、なかなかできない。それが日本ではいともたやすくできる。おそらく、懲戒も、解雇までの道のりがいくつかある日本の慣行の中で便利に使われてきたのだろう。

●懲戒の定義と法的規制のよりどころ
懲戒=労働者の「企業秩序違反行為」を理由とする一種の制裁罰
労働契約法15条で、「どういう場合に使用者が労働者を懲戒できるか」は書いていないが、ただ、「権利を濫用」したとみなされる(=客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない)ときは無効だとされている。

懲戒権は、使用者が当然のごとく最初から持っている権利ではなく、就業規則や労使間の合意によって初めて発生する。就業規則に、懲戒の内容などが書かれていることが、議論のスタート。
※もし書いていない場合、使用者が当然のごとく最初から持っている権利として、「解雇」と「労働者に対する損害賠償請求」がある。

●どういう場合に懲戒が「合理的」と判断されるか
①労働者の行為が、就業規則に「懲戒事由」として書かれていること
②その行為の内容(企業秩序違反の程度)と処分のバランスが妥当であること
=処分が厳しすぎる場合は無効となる可能性がある
=「企業秩序違反の程度」に対して懲戒があるのであって、たとえば自動車運転の死亡事故や窃盗など、刑事罰が下ったからといって即、「企業秩序を乱した」とは言えない。企業外の活動で罪を犯したとして、それが企業秩序に関係を有する場合は懲戒の対象となるが、そうでなければ「使用者による規制を受けるいわれはない」という判例がある

②について、特に、退職金不支給が伴う場合(懲戒解雇など)は、厳しくそのバランスが問われる。退職金は後払いの「賃金」とみなされるため、重要な労働条件に関するものとされるからだ。

●手続きのポイント
本人に弁明の機会を付与することは重要で、実質的にその機会が与えられなかった場合に懲戒解雇が無効とされた例もある

こうやって見てみると、懲戒についてはその合理性がかなり厳しく判断される印象だ。使用者の鶴の一声で決まってしまいそうなところもあるから、当然と言えば当然である。ただ、労働者が裁判に訴え出ることはかなりまれだから、これら「判例により描かれる適正性」が個々の企業で守られているとは思えない。労働組合がチェックを重ねて、ノウハウを積み重ねることで対応能力を身に付けなければいけないだろう。

 

 


就業規則が効力を持つための条件など

2013-07-21 09:55:31 | Private・雑感

時間外労働の上限や、懲戒規定、異動や休職、解雇など、「働く条件」を記載している「就業規則」。働き方を大いに規定するものだが、法律上はどのような位置づけで、どのような法的効力を持っているのか。しかもこれは、使用者が一方的に作成、変更するもので、団体交渉などでつくられるわけではない。
驚くべきことに、2007年に労働契約法が新たにつくられるまでは、法的な位置づけはなく、「慣習」であり、いくつかの裁判の判例によって効力を認められるにすぎなかった。非常に講義のスピードが速かった同志社大法学部の土田道夫教授の授業をもとにまとめてみる。

※就業規則の性格=労働条件の最低基準とし、もしこれよりも労働者にとって不利な労働条件を定める「労働契約」をかわした場合は、それを無効とする。不利ではない場合、たとえば職種・勤務地の限定などについて個別的に合意している場合は、それが優先される

●どういう場合に法的拘束力を持つか
<労働契約法7条>
・内容が「合理的」であるとき=「合理的」の基準はケースバイケース。たとえば、高年齢者雇用安定法の趣旨(労働者に定年まで勤務する意思を削がさない、など)に沿っていると判断された場合などは「合理的」
・労働者に周知されているとき=労働者が知ろうと思えば知りうる状態にしておくという「実質的周知」の場合など。ただし、その内容が退職金の計算方法など、複雑な場合には「適切な説明・情報提供」も「実質的周知」には必要と判断される

→労働者との個別の合意は要件ではない
=合意していない労働者がいたとしても、その労働者にも効力が及ぶ

●就業規則の変更
<労働契約法9条、10条、労働基準法90条>
原則的に合意が必要、でも合理性があれば合意がなくても例外的に許される=同意しなくても(同意しない人にも)効力を持つ
この場合の「合理性」の判断要素は、判例の中で
①労働者が被る不利益の程度
②労働条件変更の必要性の内容・程度
③変更後の就業規則の内容自体の相当性
④代替措置その他関連する他の労働条件の改善状況
⑤労働組合などとの交渉の経緯
⑥他の労働組合または他の従業員の対応
⑦同種事項に関する我が国社会における一般的状況
と示し、これらの総合的判断とした。
特に、賃金・退職金などの不利益な変更は「高度の必要性に基づいた合理的な内容のもの」であることが要求される。
※これを示したのは「第四銀行」関連の裁判。第四銀行って新潟にあるんですね

この①から⑦の重みづけや判断の順番としては、②変更の必要性、①変更による不利益の程度、をまず考える。そののち、③変更内容の相当性、で判断の決着をつける。この「相当性」の要素として考えられるのが「代償措置・関連労働条件の改善状況」と、「経過措置」の存在だ。時間外勤務手当が不支給になった代償に、週休2日制になるとか、定年を55歳から60歳に引き上げ、同時に55歳以降の賃金は引き下げるとか(どちらも「代償」の程度として十分か際どいが)。この定年引上げのように、「際どい」不利益変更を伴う場合は、労働者自身が55歳or60歳のどちらかの定年制を選べる、というような、一定期間の経過措置があって初めて、「相当」とされることもある。

なお、手続きとしては、変更の際、労働者の過半数で組織する労働組合か、過半数の従業員を代表する労働者の意見を聴かなければいけない。

●「不利益変更」としての成果主義人事制度の導入
上記の「不利益な変更」には「不利益変更となる可能性がある変更」も含む。たとえば、成果主義賃金の導入だ。これも、変更の合理性が判断基準となる。ある判例では、
①賃金の原資が維持され、経過措置が講じられている
②公正かつ合理的な人事考課制度が整備されている
③労働者・労働組合との十分な労使協議が行われている
ことがポイントとなっている。

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こうしてみると、就業規則のカバー範囲と効力の広さは、慣習的に、使用者に便利なようにできていて、ある程度それをけん制するために判例が後追いしていき、それでもやっぱり、「強力な契約なのに合意に基づいていない」という矛盾は解消できそうもない、という印象だ。
実は、今の会社に採用が決まってから、契約書を交わす前に、「就業規則を見たいのですが」と人事の人に言ったことがある。回答は、「まだ働いていない人に渡すことはしていないけど、閲覧はできるので、近くの支社で見るようなら連絡しておきます」といったことだった。それで、実際に岐阜から名古屋支社まで見に行った!
そこまでしたのは、実はそのときに、もしや妊娠か?という兆候があって(実際には違った)、そういう場合にどうなるのか気になっていたからだ。それでも、これ以外の場合も、たとえば地域限定職と総合職での賃金の差など、見ておいた方がよいポイントはたくさんある。
就業規則は、原則非公開の性質のものなのか?-これは、労働者側からすれば「交渉上の地歩」を改善するために当然の疑問になってくるが、どうなのだろうか。

 

 


映画・風立ちぬ

2013-07-21 00:12:04 | Movie

大学生のころに関東大震災に遭い、夢を追いかけて飛行機を作る場所を求め、それが戦争の要求に応えることになり、終戦を迎える・・・。一途な飛行機屋の生い立ちをなぞるとともに、風が運んだロマンスも並行する。おおよそ、前者の部分を、堀越二郎という設計家、後者の部分を小説家の堀辰雄の、それぞれの生涯を描いたとされる。

風立ちぬ。このタイトルとともに映画が訴えるものは、簡単に言えば「風がある限り、生きなければいけない、さあ生きよう」。そんな感じだ。たとえ、意に介さない戦闘機の設計であっても、作り続けなければいけない。戦争はいつか終わり、今の蓄積は未来につながるのだから-。ふと考えたのは、よく年金の議論で出てくる「世代間格差」の議論のつまらなさを指摘する声だ。年寄りが優遇され、現代の人にはメリットが小さいと言うが、今の年金世代は食うものにも困り、道路や公共施設も整備されていない時代を過ごし、技術を蓄積して生活を豊かにしてきてくれた。損得勘定で図るなら、そういう面も含めて比べるべきではないか。風立ちぬ、の世代の人が、飛行機を設計したり、それに乗ったたくさんの人が死んだりしてきたことが、今の生活の土壌にはある。ロマンに突き動かされ、苦しい場面でもその後を見て突き進む、ロマンの力。映画中のラブロマンスを含めて、このロマンの力に対して、余韻が残っている。

ちなみに---以下、ウィキペディアより。

風立ちぬ、いざ生きめやも-。

作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”を、堀辰雄が訳したものである。
「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意である。「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。