トルコ航空での旅。イスタンブールで5時間待ち、いよいよ
カイロに入った。飛行機からは土色の大地に、まっすぐ伸びる
道。空港から降りても、街の中も砂漠も、今思えば同じ色。
初めて(一応)アフリカ大陸に着いた。
●宿へ
旅の前に、カイロの安宿だけ予約しておき、空港にも迎えに
来てもらった。街中までは1時間弱。乗り物ばかりで酔ってきた。
交通マナーは恐ろしく悪い。タイやベトナムは、バイクが多い分
なんとなくみんながよけ切れそうな予測があったが、カイロは
ほぼ全てが車。後で聞くと、4500ドルくらいから買えるそうだ
(きっと中古だろう、道の上にはバックミラーやサイドミラーが
取れ、電気コードむき出しの車がわんさか連なっていた)。
横入りの車にひやひやしながらダウンタウンに到着。
カイロでの一番の失敗かな、と思うのだが、ダウンタウンは人が
住むところではない。古くからの衣料品やカフェが1階部分に
ぎゅうぎゅう詰めになっていて、薄暗くて崩れそうな階段を登って
いく。Berlin Hotel という名前の宿だが、人は悪くなかったし、
トイレやシャワーも割りときれいだったのだけど、この階段と
蚊には疲れ倍増だった。最初からこんなこと書くのもなんだが・・・。
後でタクシーの運転手らに聞いても、「僕はstupidじゃない、
郊外の町から1時間かけてカイロに来てるよ!」などと言っていたし、
少しはずれたオールドカイロなどは少し住みやすそうだったので、
カイロ人もダウンタウンには住みたがらないのではないのかな、と
思っている。
宿の人が、「エジプト人は親切だが、一部の人はあらゆる手を
使ってあなたのお金を取ろうとする。どこかへの行き方を教えたり
して、『これはEgyptian Hospitalityだ』と言う。でも、本当に
親切な人は自分でHospitalityなんて言ったりしない!
よく気をつけて」。これからカイロに行こうと思う人のために
一応書き留めておきます。
●ピラミッドへ
ピラミッド、といってもいくつもあるのか――とガイドブックを
見て初めて知った。ピラミッドの役割はなんだったのか、いくつも
説があるらしいが、寺院のようなものだと思う。一番有名なギザの
ピラミッドではなく、その手前にある、比較的には小規模な?
アブーセール、サッカーラ、ダフシュールのピラミッドを見に行った。
大それたことを言う知識はないが、「これほどに残っていれば、
研究しないわけにはいかないだろう」と思ってしまうほど、
4500年前のものが目の前にある。
人間、目にしたものから疑問がわき、研究が生まれる。
そこから探求があり、ツタンカーメンの財宝など、信じられない
発見もある。
本を読むことも同じ意味で大切だが、目の前のものは圧倒的な
力で疑問を投げかけてくるものだ、と分かったような分からないような
感想を抱いた。
とりあえず、現物のピラミッドを見てからエジプト博物館に行くことを
お勧めします。
●「子どもは2、3人でいい」
カイロの初日、カイロ大学の4年生という青年と、その友人で30歳過ぎの中学校教師と話す機会があった。
「政変後は何か変わった?」「景気はどう?」なんて話をしていて、
印象的だったのは、もうすぐ2人目の子どもが生まれるという男性教師の方の言葉。
彼は7人兄弟の上の方らしく、今も、自分の家族とは別に
幼い兄弟のために世話をしなくてはいけない。
「こんな苦労を自分の子にはさせたくないから、自分は2、3人で
いいと思ってる」。
子どもが農業の担い手ではなくなっていき、教育が必要となることで
教育コストは高くなる。労働者としての「投資」ではなく、立派な
子どもを育てることを目的とした「消費」の意味に近くなる。
その過程で、親だけでなく兄弟たちが下の子どもたちの教育費など
を払う段階が出てくる。
インドでであった青年も「働いてもたくさんお金を親に払わなくては」と言っていたな。同じ理由を言っていた気がする。
この負担が、少子化につながる、、とあまり真剣に考えたことは
なかったが、そういうモデルもありだと思う。(ありそうだ)。
教育費の上昇率、もしくは都市化と、少子化。
(参考)
この2人にしか聞いていないが、政変後初の選挙への期待は高い。ただ、後ほど書こうと思うのだが、ムシャラフ前大統領に対抗していた、次の与党最有力の党はムスリム同胞団という。すなわち、イスラームを前面に出す政党のようなのだが、これがどうエジプトを導くだろうか。政教分離を打ち出したトルコを見た後、なおさら興味深い。ムスリム同胞団の政策を少し調べた上で、何か書けたらいいかなと思っている。