ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

12月14日 金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』を聴き終わる

2024-12-16 12:57:06 | Book
「中年はどう生きるか?」をテーマにしたという本書。オーディブルの対象だったので、数日前より聴き読み?していた。複雑な感情を複雑なままに、言葉をたくさん使って表現する文体は好きな方だ。司馬遼太郎みたいにブツ、ブツ、とつぶやく形はあまり好きではない(が、今は広島文献としてあた『街道をゆく』を読んでいる)。

ナチュラルボーンチキン。「ナチュラルボーン」って表現をたまに聞くが、和製英語?と思っていたら、普通に英語慣用句のようだ。natural-born=生まれつきの。読了しても、このタイトルドンピシャなエピソードは出てきた記憶がないが、ひとまず面白く最後まで聴いた。金原ひとみは私と同い年なんだなあ。

中年になり、何に飾ることもなく、他人を意識しすぎることもなく、平穏を心掛けて傷つかぬよう面白くなく生きてもいいし、潰えていく道のりでどうせ大して世界に影響を与えないのだからと道をはみ出して行ってもいい。中年はむしろ自由なのだ、という感じのメッセージ。私はどちらかというと、肩ひじ張らない感じでここまで来て、もう少し競争社会に飛び込んでもいいのでは、、、とうっすら思ったり、でもやっぱり引いてみてしまっている感じなので、大きな驚きということはなく、共感しながら読んでいった。小説を読むのは楽しい。

この日は次女、三女と薪割りグッズをさがしにホームセンターに行ったが、頼りないものしかなく、買わずに菰野の家へ。手斧でできる作業を少しだけして、夜はマリカーをして、寝た。夕飯はもつ鍋。

12月13日 日記を書く

2024-12-13 05:03:00 | Private・雑感
山本文緒という作家の日記を2冊読んだ。すい臓がんで亡くなるまでの数か月と、うつ病で闘病していた期間の数年のもの。後者は、彼女がわたしとほぼ同い年の時期のもの。「(直木賞を受賞し)作家として生きられるようになり、優しい夫と再婚して、どうしてうつになるのかと思うが自分でもわからない」というような内容だが、確かどこかで「これまでに歯を食いしばって何者かになろう、と仕事でもプライベートでも心を使い尽くしてきた時間が長すぎて、それが達成されても消耗感は消えないのかもしれない」みたいなことを書いていた。(表現はたぶん全然違うのだがそういうニュアンスのこと)。

わたしにもその意識がこれまであったのかなかったのか、どちらかというと薄かったかもしれない。それはそれで、もっと頑張ればいいのでは、頑張ればよかったのでは、と少し後悔もある気がする。

とりあえず、この2年くらいは、「中年期の自分」を意識することが多く、今週月曜日にあさイチでやっていた金原ひとみのインタビューを見て、「中年はどう生きるか」「老いにどう向き合うか」などは自分自身が興味深く感じているテーマなのだと再確認した。

中年期の自分。日記欲に駆られた自分。日記はなかなか書き始めて続かず、続いても読み返さず、何か自分に残っているように思えないけど何か書いていきたいと思っている自分。
ひとまずは、タイトルを書いたり書かなかったり、書かなくても日付だけでOKという形で日記としてブログを再開してみるか、と思い至る。
昨日は12月12日で御在所岳の日だった。
ことしは、日記や勉強のために自分の机を置く、ことがひとつ密かな目標だったのだが、机を置いたもののイスはまだなく、イスの検討を続けつつ日記はスタートさせてみた。それでよしとする。