ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

グループホームの自立援助ホーム化

2015-04-02 05:53:29 | Private・雑感

そう書いても、1年前の私なら意味が分からなかったと思うし、これを読んでいる数少ない人にとってもそうだと思う。

グループホーム
=知的障害者の共同生活住宅

自立援助ホーム
=15-19歳で、高校中退や高校卒業などで児童養護施設にいられない子や、その他の事情で家に居られない子が、、就労しながら自立を目指す共同住宅 

わたしは、グループホームと自立援助ホームが隣り合わせの施設で、それぞれに関わる仕事をしている。どちらも女の子専用なので、これからの話は女の子に限ったことなのかもしれない。要は、それぞれに入る女の子たちは似ていて、「どちらにも入れるけど、どちらかというとこっち」という風に入ってくる子が多いのだ。何を意味するのかと言うと、虐待などで家に帰れず、かつ自身に発達障害などの障害がある、という20歳前の女の子が多い。こういう場合、自立援助ホームは20歳の誕生日までに退去しなくてはいけないことが両者を大きく分けていて、

20歳までに働いてお金を貯め、自立できそうな子→自立援助ホーム
20歳までには難しそうな子→グループホーム

という感じになっている。もちろん、グループホームは自立を目指す子ばかりではないし、福祉就労以外の仕事が難しい人もいて、その人たちにとっては終生の住まいになる。一方で、20歳前で場合によっては一般就労ができる子にとっては、共同生活を一生続ける、続けたい、と思うこと自体がまれではないか。将来的に出ていくことを目指すのだが、20歳までの期間を考えて、それで難しければグループホームも選択肢になる。20歳になって、障害基礎年金を取得できそうな障害かどうかも、ひとつ線引きになる。 

いずれにしても、発達障害や精神障害を抱えて、親にも頼れずに、ひと一倍の自立力を付けなくてはいけない。自立援助ホームでは、自立を促すノウハウというか、接し方ができているのだと思う。一方でグループホームは、おそらく歴史の中では「自立」を念頭に置かない、置けないような重度の障害者と接してきた。自立を促す接し方や生活力の向上が、うまく支援できていない。・・・いや、私の職場が、というより、業界全体がそうなのではないかなーという見立てである。

(つづく)


子育ては、「できること」が増えていく過程

2015-04-02 05:35:42 | Private・雑感

「子育て、慣れた?」

先週末、大学時代の友人に聞かれた。彼はまだ結婚しておらず、子どももいない。

「出産のときに生活や欲求がリセットされて、そこからは『できること』が増えるばっかりだから、辛さはないね」

とっさにそう答えた自分自身、「なるほど、そういうことかも」と反芻している。子育てで、子どもに振り回されたり、外出が大変だったり、映画を見に行けなかったりといろいろと制限ができるのだけど、それは特段辛くないのはなぜか。それは、出産した時点での丸裸の赤子を抱えたところから、徐々に赤子がしっかりしてきて、夜寝られたり、一緒に外出できたり、いろんなものが食べられるようになったり、特別食をつくらなくてもよくなったり、と楽になっていくから。しかも、それぞれの段階が楽しかったりする。・・・教育面の悩みが出てくると、また違う段階かもしれないけど。

ところで、その話をした彼はといえば、最近失恋をしたらしい。大学時代には、モテそうなのに、浮いた話のなかった彼が、失恋で落ち込んでいるのをみてなんとも可愛かった。あの姿がかわいいなあ、と思えるのは、大学当時を知っている人だけなのかもしれない。友だちづきあいを長く続ける楽しさを感じた。

海外赴任をしたり、商社と一緒に他国企業を相手に営業している彼と、岐阜の田んぼに囲まれた静かな家で、子どもと過ごす私。彼に限らず、やはり大学時代の友人は、大企業で国際ビジネスに携わっている人が多いけど、その対極にいる私を最近は客観視している。日本の輸出関連ビジネスと、ごくローカルな福祉サービスは、日本の産業における2大柱で、私たちはそれぞれを担当しているのだと。そりゃあ、後者のほうが給料は低いかもしれないが、価値が低いわけではない。今の仕事の楽しさは、日本を代表する仕事のひとつとしてまっとうなもの。人によっては負け惜しみに聞こえるかもしれないが、私はそう考えている。