ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

映画「瞳の奥の秘密」

2010-09-05 22:54:22 | Movie
映画「瞳の奥の秘密」
アルゼンチン/2009 監督 ファン・J・カンパネラ

1970年代のアルゼンチンが舞台。
長年刑事担当の検察官をやり、退職して、過去の事件をテーマに小説を書こうとしている男を、
過去と現在を行ったり来たりさせながら描く。サスペンス風の映画。

ざっと映画評を見ると、この男と上司の女性との長年の愛とかの描き方が評価が
高いみたいだが、やっぱりその事件を明らかにしていく部分が面白い。
そして、ラストには、司法制度の存在意義について思った。
(以下ネタバレ注意)

ある新婚家庭があり、昼間で一人になった美人妻のところにに男が押し入って
暴行の末、殺した。
警察も動くが、殺された妻の夫も、一年間毎日いくつもの駅で見張って捜査しようとする。
結局捕まって、終身刑となるのだが、「不穏分子の情報を伝えて国家に協力した」という
理由で大統領による恩赦を受けて釈放される。
主人公は犯人の男に狙われ、自分の同僚が代わりに殺されてしまう。
それで、ブエノスアイレスからは離れたところに逃げて25年が経ち、定年を迎える。

その後・・・主人公はとうとうたどり着く。
首都から遠く離れた郊外。殺された妻の夫の家。
牢屋の中に、ただ食事を与えられて生かされる犯人の姿を見るのだ。
「死刑制度があったとしても、犯人は死んで楽になるだけ。うらやましいぐらいだ」。
事件当時、そう言っていた夫は、自らの手で終身刑を執行し続けている。
吐き気がしそうな絵だった。
毎日何食かを運び、片付け、洗い物をしてまた用意する。
そのひとつひとつが、本人にとっても吐き気がしそうなものだとも思った。

司法制度は、治安の維持や、民主プロセスによる国家権力の抑制など、
いろんな面があると思うが、やっぱり被害者救済も大きな役目なのだろう。
人は考えている以上に、「納得できない」ということからくる
感情は大きいと思う。事実は変わらなくても、納得できさえすれば前に進める。
民主主義というのは、説明機能を持った仕組みでなくちゃいけない。

アルゼンチンでは34週連続一位の大ヒットなのだそうだ。
アルゼンチンの人はどういう感想を持つのだろう。

舞台鑑賞「イリアス」

2010-09-05 22:19:08 | Movie
「イリアス」という舞台を観た。
イリアスとは、トロイアの詩、という意味だそうだ。
内容は、3000年ほど前、エーゲ海を挟んでトロイア(今のトルコの一部)と
ギリシャとが戦ったトロイア戦争のその後を描いたもの。
ギリシャ神話の延長のような位置づけなのかは知らないが、
ギリシャの神々がトロイアに味方したり、ギリシャに味方したり、
神と人間の子が英雄として出てきたりする。
世界最古の物語と言われ、平家物語のように、文字が出来る前から口で伝承されてきたという。

主演は内野聖陽(まさあき)=アキレウス。
休憩20分を挟んで3時間半ほどもある作品だ。

感想はいろいろあるが、ポジティブな面で言えば、
「人間はいつか死ぬ」という事実が、人間の行動原理をけっこう左右してるのでは、
という仮説めいたことを考えたこと。
なぜかといえば、「神」という永遠の命を持つ存在が、人間のそばに出てきて、
ストーリーをなしていて、そういえば初めて対比してみたから。
物語の中でも、「永遠の命を持つ神々にもてあそばれ、10年も戦争をしてしまった」
といった台詞があった気がした。

「人はいつか死ぬのだから」が、「どのように死ぬかが大事。どうせなら華々しく死んで、
英雄になりたい」といった動機につながることはありうる。
実際、特攻隊に参加した人に話を聴いたことがあるが、
「死ぬのは、自分の順番が来るのは全然怖くなかった。『靖国神社で会おう』と言って」
と、死ぬ意味が、死ぬという事実を上回っていたというか、
似たような感想を持った。

「神にとっては人間の命など些細なこと」
といったような台詞もあって、神が身近に存在し、助けたり助けなかったりと
運命をもてあそばせる設定では、神は敬うだけのものではないのだなと
新鮮にも思った。
神が登場する物語なんて仰々しいというか、現実離れしすぎでしょうと興味を持ったことが
なかったが、人間との対比は面白そうだと思った。

・・・だから、そういう人間と神との行動原理の違いみたいな所に焦点があれば、
面白かったのだと思う。結果としては、ボリュームのわりに響くモノは少なく、
言ってみれば「舞台化してみました」という自己満足のような感じがした。
やはり、「これを伝えたい」というのがないとだめですね。
それは何でも同じ。何を伝えたいのか。それを自己認識してないと伝わりません。

今回は舞台のための筋書きではなく、筋書きありきの舞台だったので、
「舞台」というツールを最大限生かそうとした作品を次回は探してみたいと思います。