ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

「革新政党」の存在しない日本の悲劇

2012-12-17 23:33:42 | Private・雑感
衆院選2012の結果が出そろい、絶望感がぬぐえない夜。この混乱の状況を「面白い」と思える人の方が、「維新的」でこの世を泳いでいけるんだろうが、なかなか難しい。真面目に政策報道することは徒労にしかならないのか(小宮山事務所が報道陣を中に入れなかったことは、あまりにも報道や有権者をばかにした行為だと思う)。

もっと、面と向かって政策批判、主張をするような報道をしてれば、「やれることはやったけど仕方ない」と思えるのだろうか。そんなことをやりすぎると、メディアとしての持続性は危うくなってしまうけど。(新聞の社説欄のように、「その他いろいろ記事はあるけど、政策批判は誰も読まないこの欄だけ、ということなら媒体としての存続性は保たれるが)。

消去法で政党を選んでも、自民党と対となるような「革新」政党が存在しないという日本の悲劇。「反自民」が維新だったとして、政策のどこがどう変わるというのだろうか。そんなに変わらない。

アメリカが民主党、フランスが社会党、ドイツもリベラル。産業化一辺倒でない、「分配」の在り方が問われる時代は、必然的にリベラルな政党になるのではないか。(イギリスの場合は10年ほど先行して労働党になり、長期政権への反動として今は保守党だが)。

今考えられる、現実的な改善策は、選挙期間(公示日から投開票まで)の長期化と、ネットでの選挙活動の解禁かな。今のように、公示日直前に政党をつくったり、候補者が駆け込みで立ったりすると、政策も人物も分からず、メディアや他政党からの非難、応酬がないままに投開票を迎える。結局、「現在の政権を支持するか、支持しないか」となり、人間、悪いところの方が見つけやすいものだから、支持しない方に流れやすい。消去法で「党」を選ぶ。人や政策ではなく。アメリカのように1年かけるのは長すぎるかもしれないが、数か月やってもいいと思う。あんな、ワードファイルをPDF化したような「政策タイトル集」を公約と呼び、説明も数値もないようなもので2週間を乗り切ってしまうことが可能ということ自体、納得いかない。大学院に入るのでさえ、研究計画書を精査されるのだから、選挙の立候補者だって公式文書として「公約」を提出すべきではないか。選管に出しても意味がないから、実質的にはメディアに(もしくはHP上に)公開する形で有権者に「提出」する。選挙が長期化するとお金がかかり、組織迎合的になるから、ある程度緩和するためにもネットでの活動を解禁する。なんだかんだ言って、政治家は自身の発する「活字」で、評価をゆだねるべきだと思う。

前回の民主党が、「比例名簿に入れる人が足りないから」といって「適当な」人を比例単独の名簿に連ねて、かなり下位まで当選したように、今回も維新やみんなの党で、惜敗率が50%にも届かない(小選挙区当選者に対してその半分も票が取れなかったような)候補者が当選した。自民党も、若ければ勝てるとばかり、かなり新人が通ったような印象。確かに、理由はどうであれ、政治環境がどうであれ、若い人が送り込まれたことに絶望感だけを抱くわけではない。(彼らは、自分の上司のトップが80歳であることをどう思うのだろうか)。かといって、(自分が政策をよく学んでる、よく知っていると思っているわけでは全くないけれど、一有権者として)少なくとも私よりは、まともに政策を知っていてほしいし、あるべき方向を考えていてほしいと思う。

かすかに救いなのは、もう今年も終わること。あと2週間を乗り切れば、便利なことに気持ち一転して、「また今年も頑張るか」という気分になれるはず。たとえ、冬休みに入る直前に開かれるらしい特別国会で、また絶望的な閣僚名簿が発表されるとしても。

こういう時に頼りになるのは結局、どれだけ自分が主体的に物事を為しているかどうかなんだろう。別に政策批判を生業にしているわけでは全くないが、仕事上の思考回路として政策の、それを実行する政府のあるべき姿を考えざるを得ないから、それがあまりに後退局面だとこうやって絶望的になるわけだけど、その中でも「少なくともこれだけは」という部分で勝負していくしかないということ。あとは、もっと政治と離れた領域を発掘する癖をつけておくこともリスク分散(?)のひとつか。

今、痛烈に海外旅行に行きたいと思うのは、私だけだろうか・・・。

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/38791.html