ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ロナルド・ドーア(2005)『働くということ』

2013-02-11 22:36:10 | Book

 一行一行が的確で興味深い意味を持っているので、再読にもかかわらず時間がかかった。細かいところで興味深く思えたのは、自分が前に読んでいたときが学生で、今が就労者だという違いもあると思う。また、最近労働系の本を読んでいるおかげで、日本の雇用慣行の課題・焦点が分かってきた気がする。今回は、労働時間に的を絞って書いてみたい。

 本書の最初のテーマは、「なぜ(ケインズの頃に比べて)人々の生産性は上がったのに、労働時間は短くならなかったのか」。1930年、ケインズは「100年語には、われわれは週15時間程度だけ働くようになっているはずだ」と予言したという。でも、事実はもちろん異なっている。
 その理由の第一に、著者は「人間の欲望の限りない拡大」を挙げる。社会から「排除された」と思わない程度の消費のレベルは上がっていて、広告業者はその欲望を膨張させるべく努力してきた。
 非常に面白かった研究は、「労働生産性の大幅な上昇は、生涯労働時間の減少(余暇の増加)と、消費の増加の2つでどのように影響したのかというもの」。20世紀の100年の間に、イギリスは、3分の1が労働時間の減少で、3分の2が消費の増加だった。期間は異なるが、日本は1975年から95年の間で、余暇時間の増加がたった4分の1、残りは消費の増加だったという。「消費の増加」が研究の中でどういう指標を使っているのか分からないが、結果的に消費の増加のために労働時間を増やしているんだ、という意識は日本人には少ないと思う。私は、(会社の人には内緒だが)これをすごく感じていて、「そんなに消費するつもりはないから、労働時間を減らそう」と意識している。
 なぜ消費が拡大したのか。この点でも面白い研究が紹介されている。それは、所得水準と労働時間の相関を見たもの。所得水準が低いほど、たくさん働かなければ一定の収入を得ることはできず、労働時間は増えるーという考え方はごく普通に思える。しかし実体は(会社員の人なら体感しているだろうが)違うーアメリカや日本では。所得水準の高い人ほど長時間働く。これを、著者は「競争的消費」の帰結として紹介する。

 このほか、(労働時間のみを問題にしている章ではないが)、労働市場の規制緩和で解雇がしやすくなった(=いつ解雇されるかわからない、という雇用不安からくる精神的脅しがある)ことなどによる「労働強化」や、労働者の多様化により「標準労働者」像が薄くなったことを理由に、経営者側が「成果給」を導入し、簡単に言えば(賃金を成果に応じて差を付けるというより)「賃金を下げることもできる」体系にしていったことなども挙げられる。

 これらの労働問題を扱う政府の姿勢は変化してきた。もちろん、企業やいろんな要因があり、本書では説明しているが、面白かった部分として政府の変化を紹介したい。
 かつて、「完全雇用」は政府の至上命題だったが、どうやらそれはすごく難しいと言うことになり、それを導く環境としての「低インフレ」と「経済成長」が優先事項となった。コンピュータの普及で単純労働は機械化・自動化され、失業者は非熟練労働者に固定化されるようになった。こういう人たちは、職を得たとしても低賃金。社会的影響力も少なく、政治的にも重要でなくなってきて、経済成長という目標で経営者側に取り入る方がよっぽど票を集められるようになった。
 同じ背景に、労働の多様化などが重なり、労働組合は衰退。かつて、インフレ抑制と言えば、労使での痛み分け(=所得抑制)が主流だったが、今は通貨政策がメインで、より労働組合の存在感は小さくなった。

 「そのまた背景」という形で、著者はいろいろ触れている。すなわち、こういった傾向に絶望してあきらめているのではなく、とるべき方向性も示している。こういった、労働経済学の論文や歴史書をしっかり把握した上での「社会学者」(?本人はそう書いている)の役割は大きい。ただ、規制緩和や組合の衰退など、他国より急激に「改革」資源が枯渇しているように見える日本で、実現性を高めるにはどうしたらよいのだろう、と悩む部分もやはりある。


海老原嗣生『雇用の常識「本当に見えるウソ」』

2013-02-02 22:36:13 | Book

海老原嗣生『雇用の常識「本当に見えるウソ」』

選挙の前になると、選挙の争点にすべき日本の課題を新聞各社が企画連載することが多い。昨年末の朝日新聞もそうだ。「結婚したいけれど」といった見出しで、若者の非正規雇用、不安定で低賃金で…と雇用問題をかいていた。こういう非正規雇用の拡大=若者のかわいそう、というメディアのイメージ報道に切り込むのが本書だ。

(とここから長々と書いたのに、iPadのメモ帳が保存されずに消えて落ち込む)

知っておいた方がいいこと。

・非正規雇用が増えたと問題視されるが、内訳の半数強は主婦。続いて学生で、足すと全体(1700万人)のうちの76%にもなる

・正社員の替わりに非正規雇用が増えたというより、雇用形態別の推移からみれば個人事業主とその家族の減少が、非正規雇用に流れていると考えられる

・年齢的には40歳以上が6割で、若者の中でも学生が多いことを考えると、「若者が非正規雇用で結婚できない」という層は多くない

・それでも、非正規雇用の主婦は、「本当は正社員として働き続けたかったが、出産を機に辞めてしまい、非正規雇用でしか戻って来れなかった」ということはありそうだ。学歴・性別で見れば、高卒男性の非正規率は21%なのに対し、大卒・院卒女性の非正規率は33%。

そして、最近読む、ジョブ型提唱の濱口さんや、ブラック企業に詳しい今野さんなどの本でも出てくるが、「総合職=全員エリート型のがむしゃら働き強要」という日本の雇用の特異さにも触れられる。欧米でいう「ノンエリート」がない。日本では、高卒の男女がそれを担っていたが、大学進学率が高まるにつれ、なくなり、大卒のだれもが、転勤あり、残業ありのエリート型労働になっている。ワークライフバランスがとれるようなノンエリートの選択肢はない。これは、この本にもあった、「大規模な会社の女性ほど出産退職が多い」というところにも表れているかもしれない(大企業の方が一般職女性が多く働いているというだけかもしれないが)

著者は、どちらかというとこれを評価している。
本の中では、具体的には新卒一括採用のところで書いているのだが、

・超優良大学を出ていなくても、とりあえず社内競争のスタートには立てるという意味でチャンスを得やすい
・新卒ということは未経験者だが、それを採用することで若者のスキルがボトムアップされる
・転勤・人事異動が前提であるため、合わない上司がいたとしても会社を辞めずに部署異動で対応できる
・適材適所に人材を用いることができる
・欧米型(エリートとノンエリートのキャリアパスが異なる)だと、エリートとノンエリートの間が分断され、ノンエリートのモチベーション維持が難しい。ノンエリートは一般的に転職が多くなるため、社内組織の生産性が上がらない

といったことだ。だが、私情を交えて言わせてもらえば、これは「人事部万能主義」とでもいえるような、素晴らしい人事部がいることが前提となっていると思う。「リヴァイアサン」ではないが、人事部はそんなに最適な資源配分ができる能力があるのだろうか。

ただ、新卒総合職の半分は管理職になれない現代において、管理職になれるか慣れないかの40台までエリート競争をすべての総合職に課すのは酷だ、というわけで、著者は「途中からノンエリート」のような仕組みを提案している。確か、32、33歳くらいで、係長になる人はエリートで、そうでなければ、職務専門型・ワークライフバランスのとりやすいノンエリートにすると。

私の印象としては、30代前半でエリート(将来は管理職)の判断がされるとすれば、やっぱりエリートを目指す女性はつらいだろうなと思う。うまいこと、キャリア中断(復帰)プログラムみたいなものが設計できれば、いいのかもしれない。

そのほか、今の雇用状況の改善には、若者がどんどん中小企業に目を向けていくべき、といったようなことを書いている。雇用収容能力は中小企業の方がある、と。

ワークライフバランスや、女性の管理職登用、主体的なキャリアパス、などに価値をおくなら、中小企業がいい。その玉石混合の世界で、ハンドリングを助ける人材会社は、価値が高まってくるかもしれない。
新卒一括採用は、私は辞めた方がいいと思うし、1~2年辛くともいくつか探して、腰を据えるところを自分で見つけ、職務がある程度限定された「ジョブ型」の働く範囲が広い方が労働者として自由になれると思う。ある程度エリートがいてもいいと思うけど。
ただ、こういうことを言えるのは、自分が割と(学歴としては)エリート側にいるからかもしれないな、とも思う。今の日本で、ジョブ型の転職しやすい社会になったら、かなり取り残される若者が出そう。でも、ビジョンを明確にすることは大事だ。

参考までに、著者の文章

http://blog.goo.ne.jp/posse_blog/e/6e2b1a79bee4cc7858194ef40475c871?fm=rss