久しぶりに、「感想を書かなければ」という本を読了。日光へ旅行に行く際、家で積ん読されていたこの新書を手に取った。日光近くの那須は、満州の開拓者たちが帰国してから、ふたたび開墾に努めるため入植した土地だったよな、と思って…。満州の本場たくさん出ていると思うけど、新書で全体像を読む機会はなかった。今、その時代の人たちが亡くなったり、様々な研究がでてきたりというのを受けて、責任感を持ってしっかり調べて書いてあるなという感想を持った。
二松啓紀という著者は京都新聞の現役の記者である。満州移民というと、長野のイメージが強く、京都の単語はあまり出て来ない。実際、都道府県で見ると長野が移民人数は最大で、京都は下位である。それでも京都にも確実に渡満した人はいた。長野の大日向村や、宮城の南郷村など「全国に先駆けて渡った模範村」から、京都へどう移民が波及していったのか、そこに自治体はどんな役割を担ったのか。
要約すると、移民のロジックを都合よく作り出し、日本本土における村の問題先送りや村のメンツを保つために自治体が移民を募り、半ば強制的に人数を確保していった。
満州に渡れば、
農業者向けには
・本土は過密人口により耕作地が足りていない。次男三男らが満州に渡れば彼等は土地を得られる
・借金がある家などが本土の土地、家など財産を処分して渡満することで、本土の村の耕作地は増え(村内の人間に適正配分する)、渡る人は土地を得られる
農業以外の人には
・空襲に備えた軍需工場の移転などで、国が強制的に街の土地を買収する例が増えて来ると、拠点を失った商店や工場などの人の「転業支援」として満州を勧めた
・熊本など、地区が多く差別やトラブルの多い土地では、被差別者が満州で土地を得ることが同和問題の解決策とされた
本土空襲が始まると
・満州は空襲もなく安全という触れ込みで、満州をアピールした
などなど。満州への移民推進は敗戦の年、7月まで続いた。そして、凄惨なソ連侵攻、満州での難民化、シベリア抑留などへとつながる。
本の中では、これらの側面が資料と体験者の言葉で語られる。とくに、上記のロジックがいかにおかしなものか、破綻しているか、それを唱えた農本主義者や自治体の長らの発言や責任、戦後の反省のなさを追求する。満州政策は、原爆や空襲の被害などと違い、加害というか、この状況を作り出したのも日本という国なのだというところを読者に印象付ける。
新聞記者でもここまでできるんだな、と感銘も受けた。読みやすいだけでなく、研究書としても優れているなと思った。
二松啓紀という著者は京都新聞の現役の記者である。満州移民というと、長野のイメージが強く、京都の単語はあまり出て来ない。実際、都道府県で見ると長野が移民人数は最大で、京都は下位である。それでも京都にも確実に渡満した人はいた。長野の大日向村や、宮城の南郷村など「全国に先駆けて渡った模範村」から、京都へどう移民が波及していったのか、そこに自治体はどんな役割を担ったのか。
要約すると、移民のロジックを都合よく作り出し、日本本土における村の問題先送りや村のメンツを保つために自治体が移民を募り、半ば強制的に人数を確保していった。
満州に渡れば、
農業者向けには
・本土は過密人口により耕作地が足りていない。次男三男らが満州に渡れば彼等は土地を得られる
・借金がある家などが本土の土地、家など財産を処分して渡満することで、本土の村の耕作地は増え(村内の人間に適正配分する)、渡る人は土地を得られる
農業以外の人には
・空襲に備えた軍需工場の移転などで、国が強制的に街の土地を買収する例が増えて来ると、拠点を失った商店や工場などの人の「転業支援」として満州を勧めた
・熊本など、地区が多く差別やトラブルの多い土地では、被差別者が満州で土地を得ることが同和問題の解決策とされた
本土空襲が始まると
・満州は空襲もなく安全という触れ込みで、満州をアピールした
などなど。満州への移民推進は敗戦の年、7月まで続いた。そして、凄惨なソ連侵攻、満州での難民化、シベリア抑留などへとつながる。
本の中では、これらの側面が資料と体験者の言葉で語られる。とくに、上記のロジックがいかにおかしなものか、破綻しているか、それを唱えた農本主義者や自治体の長らの発言や責任、戦後の反省のなさを追求する。満州政策は、原爆や空襲の被害などと違い、加害というか、この状況を作り出したのも日本という国なのだというところを読者に印象付ける。
新聞記者でもここまでできるんだな、と感銘も受けた。読みやすいだけでなく、研究書としても優れているなと思った。