ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

不思議の国の志賀原発

2011-05-30 10:50:35 | Private・雑感
原発といえば、住宅地から離れ、山や丘陵に覆われた
自治体と自治体の境界線上ある―――もんだと思っていた。
三重の芦浜原発計画がそうだったからか。
福島の第一原発は双葉町と大熊町の間に、
福島第二原発は楢葉町と富岡町の間にある。
その理由が想像できなくはないから、そういうもんかと思っていた。

石川県の能登半島にある北陸電力の志賀原発は、
あっさりするほど、生活道路のすぐ脇にあった。(*1)
テレビで観た福島原発の原子炉建て屋と、同じような建て屋が、
フェンス越しながら「すぐそこ」にある。
中心市街地を通る道路ではないものの、
海岸沿いに続く便利そうな道。
今、EUでは航空機墜落やテロに耐えられるか、といった基準で
原発の安全性を見直す機運があるが、志賀原発なんて誰でも攻撃できるなあ、
とぼんやりと思った。

山の中や半島の先っぽなどに立地する原発が多いのは、
単に地元の了解を得やすいからという理由であって、安全性への配慮ではないのだろう。
志賀では、別に辺鄙なところに作らなくても立地が実現した。それだけのことだ。
2005年に合併し、人口は3万人台。
旧志賀町単独の誘致だった。
志賀原発が立地するまでの歴史は、一度調べてみなくては。

+++

というわけで、昨日の午前中、志賀原発に行ってきました。
朝8時すぎに出て、午後2時半からの仕事に間に合うように。
金沢から能登有料道路に乗り、2時間。
これだけ近くにあるのは、特異な環境なんだろうか。
関東にいる人は、これだけ話題になっている原子力発電所を
見ようと思ったとしても、おいそれとはたどり着けないだろう。
日本海側なら、志賀のみならず、福井、新潟の柏崎、、と割とみな近い。
関東が特異なのか、金沢が特異なのか。

志賀原発のPR館、「アリス館」が目的地だ。
不思議の国のアリスが大きな絵本に見立てたスクリーンに登場し、
原子力発電所やエネルギーに付いて教えてくれる。
http://www.rikuden.co.jp/alice/shisetsu.html
ひとつひとつ、アトラクションとしてけっこう完成度が高く、
休みの日は家族連れが多く訪れるらしい。
(昨日は寒い雨の朝だったので、少なかった)

圧巻は、原子力高炉内の燃料棒と制御棒をパイプオルガンのパイプに見立てた
「不思議なパイプオルガン」。
アリスが演奏を間違えると、「原子力発電所はそんな間違いはしないよ」と
傍らのネコが言って、続いて正しいメロディーが流れる。
観客席の前には光る太鼓があって、光に合わせてたたくように促される。

あとは、放射線量の目安の値を応えさせる「アオムシ博士」によるクイズなど。
ゲームコーナーでは、画面上で中性子をウラン235に命中させる(もちろん
ウラン238も漂っていて、命中を邪魔する)ものもあった。
「止める、冷やす、閉じ込める」の3原則の文字をつなぎ合わせる
カードゲームも。
核廃棄物に付いての紹介は本当に手薄で、アリスは登場せず、ボード上の解説だけ。
燃料棒がどこから来るのか、再処理工場が今は英仏に頼っていることなど具体的な
ことはなかった。
北電として原子力をどういう位置づけでやっていくのか、といった
会社の姿勢を表すコーナーもなかった。

志賀原発がどのようにできたのか。
珠洲原発はどのように阻止されたのか。
石川で7割ほどを占める新聞(北国新聞)は、極めて体制寄りなので
あまり書いたりまとめたりしていないんだろうな。
資料を探してみたいと思います。今日は図書館休みだけど。


(*1)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP261JP261&q=%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%94%BA%E3%80%80%E8%B5%A4%E4%BD%8F&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x5ff7381480897d5b:0xbb9c3ad2936f3084,%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E7%BE%BD%E5%92%8B%E9%83%A1%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%94%BA%E8%B5%A4%E4%BD%8F&gl=jp&ei=feziTbCqM4qWvAOmkY2TBw&sa=X&oi=geocode_result&ct=image&resnum=1&ved=0CBoQ8gEwAA

※福島第一原発 上空写真
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x6020e906ec440b03:0xd390b3fff003893d,1&oe=UTF8&msa=0&msid=202468595302490918200.00049e466957e0721a83f

※新潟の柏崎刈羽原発 上空写真
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&sugexp=lcms&pq=%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%80%E5%9C%B0%E5%9B%B3&xhr=t&q=%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E5%8E%9F%E7%99%BA+%E5%86%8D%E9%96%8B&cp=2&mss=%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%8F%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%80&rlz=1T4GGIH_jaJP261JP261&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&biw=1003&bih=578&bs=1&wrapid=tljp1306716695211020&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

映画「インサイド・ジョブ~世界不況の知られざる真実」

2011-05-26 17:51:47 | Movie
 「なぜ金融危機は起きたのか」「誰が起こしたのか」という問いに、
構造や人物名を断言していく。衝撃と言うか、いちいち「真実だ」という
証拠を見せていくから、力がすごい。かなり上映する映画館が少ないが、
絶対に見た方がいい。粗方、金融危機の知識があるという人も、
中心にいた金融マンや学者がどんな口調で、どんな言葉遣いでexcuseするのか、
周りにいた弁護士や政治家、消費者団体、精神科医や娼婦の表情はどうか
と見るのは物事をよりリアルに見るのに役立つ。

 ※映画でインタビューした人紹介
 http://www.sonyclassics.com/insidejob/site/#/cast
  取材に応じなかった人たちの紹介
 http://www.sonyclassics.com/insidejob/site/#/declined

 「これは戦争並みの犯罪かもしれない」というのが、最初の感想。
「全然知らなかった!」という事実が出てくるわけではないが、数百万軒の家が差し押さえられ、
3000万人が失業したこと、それにより利益を得た人たちが
糾弾されていないこと。まんまと製作者の意図に乗る形で、怒りが沸いてくる。
なぜかといえば、2008年の金融危機が、「アメリカ金融界による意図的なバブル」と説得させられてしまうからだ。
被害者とも映り得る彼らが、なぜ意図的だったと言えるか。特に、ゴールドマン・サックスが
代表として名が挙がるのだと思うが、その証左として
CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の大量保有がある。
CDSは、住宅ローンの債権を証券化したCDO(債務担保証券)に対してかける保険だ。(たぶん)。
もしCDO(債権)が回収できない場合に備え、AIGなどの保険会社に手数料を
払っておくことで、ちゃんと債権が回収できるようにしておく。
ゴールドマンサックスは、顧客に(回収できないかもしれない)CDOを売っておきながら、
自社の運用としては大量にCDSでリスクヘッジをしておき、
金融危機が起きてもCDSによって損失を小さく抑えた。
(AIGが破綻していればそのまま損失になっていただろうが、
 AIGは政府により救済された。さてなんででしょう)

日本の不動産バブルでは(といっても知識は乏しいが)、
土地神話を皆が信じ込んだことにより、インフレではなく土地の価格のみが上がっていった。
この土地価格の上昇は、企業や個人や資産家といった無数のプレーヤーがいて、
醸造されてしまったものだ、と思う。(要勉強)
それを急激に止めようと政策金利を一気に引き上げたために崩壊した。
一方で、アメリカの金融危機は、住宅ローンの証券化、そのリスクヘッジのための
CDS、という新商品の開発がある。「金融危機を起こそう」というものでは
ないだろうけど、「頭金がない人にもローンを組ませ、リスク分散化して見えない
ようにし、手数料で儲けてやろう」という意図はあったのではないか。
そうとしか考えられないほど、この商品が危機につながることは予見できたように
思えてならないからだ。
だからこそ、その商品開発に関わったいくつかの金融会社、それを見過ごしたFRBらが
援護射撃を惜しまなかった学者らが、直接的に「犯人だ」と思えてしまう。
 
 さて、映画の中では、「誰が起こしたのか」「誰が責任を取るべきか」という
問いに対し、大手金融会社のトップたちのほか、ITバブル後に低金利政策を取り続け、変動型金利のローンを推奨したグリーンスパンやバーナンキFRB議長、
元モルガンスタンレーのトップで、財務大臣を務めていたポールソン、
論文を書き、住宅ローンの証券化を賞賛したサマーズ教授とハワード教授。
彼らが銀行などからお金をもらって顧問を務めていたり、政府に登用されたりと、
金融業界と政策の「円滑油」を担っている仕組み、そこらへんの経歴をオープンにしない大学(ハーバードとコロンビア)、監視すべき立場にありながら無能な連邦準備制度理事会の理事(フレデリック・マスキン=アイスランド中央銀行から金をもらって報告書を書き、非常にリスキーな立場を見ずに「健全」と太鼓判を押していた)、などが槍玉に挙げられている。
 5大証券会社のひとつで一番最初に倒産したベアー・スターンズのトップ二人が、
投資家に対する詐欺などで逮捕されたのと対照的に、彼らから逮捕者は出ていない。
映画は、明らかに司法に変わっての「断罪」を役割としているのだ。(そして、
断罪されていないことで、彼らの多くが現オバマ政権の重職に就きつづけている事も
忘れずに指摘している。)

 この姿勢は衝撃的だった。まあ、マイケル・ムーアだってそうではあるが。
硬派でまとめあげているのに、引き付けられる。
「洗脳される」という感覚にならなかったのは、あらゆる角度の人のインタビューで
構成していて、データや解説を盛り込んでいるからだろう。
後で知ったが、MIT(マサチューセッツ工科大学)の(おそらく経済学で)
博士号を取っているらしい。
 日本でも、こういう映画を作らなくてはだめだと思う。

※この映画には公式スタディガイドまである
http://www.sonyclassics.com/insidejob/_pdf/InsideJob_StudyGuide.pdf
「何に怒りましたか?」「ハーバードとコロンビアはこのままでよいと思いますか?」
など、生徒に問うべき質問も並べてある。

核廃棄物はどこへ行くのか、どこへ行くつもりだったのか

2011-05-20 13:51:57 | Private・雑感
 福島第一原発は収束するのか。
原子力発電はこのまま利用し続けるのがよいのか、やめるのか。
東北大震災がなかったかのように、最近は原発のニュースが多い。
ニュースの内容が難しいからというのと、「対立構図」が描きやすいからではないか。
東電対政府、国民、地元住民、電力利用者、企業・・・といった感じで。

 個人的に足りないなと思っているのは、放射性廃棄物処理についての報道だ。
この1週間、立て続けに核廃棄物に関するドキュメンタリー番組を見た。
BS1でやっていた、フランスが作った番組と、デンマーク。あと、チェルノブイリから25年、という特集もやっていた。録画してあるので、見たい人は言ってください。
 今は、なぜ核廃棄物の処理方法が確立されないまま、原子力発電技術は実用化されたのか、ということ。
―――以前、そんなことが書かれた本を読んだ。
『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』/有馬哲夫
http://blog.goo.ne.jp/mreisende21/s/%C0%B5%CE%CF

 じゃあ、原子力の「平和利用」を売り出していったアメリカ自身は、
核廃棄物をどうするつもりだったのか?
 かつて、メチル水銀を含んだ工場排水がチッソから水俣湾に垂れ流されたように、亜硫酸ガスを含んだ排気が四日市の空に出されていたように、海に捨てれば、川に流せばよいと考えていたのだろうか。実際、番組の中では、長崎に落とされた原爆を製造していた、アメリカの旧軍事施設の周りの川は、今も放射性濃度が極めて高く、立ち入り禁止という。
 今は、水俣も四日市も、亜硫酸を取り除く機器の設置などで健康に害がないような値に抑えられている、から操業できている。原子力発電も、排出物の環境対策が出来ていないうちは、操業を停止すべきじゃないのか?

 「原理原則を言っても仕方がない」と言う人もいるかもしれないけど、原理原則や、科学的に、実証的に明らかなことをベースに、そこからの距離を意識しながら議論しないと、どの話も不思議と、等しく胡散臭くなってしまう。正力松太郎の時代から解説してほしい。知りたいことや知らなきゃいけないことをタイムリーに提供するのが報道会社の仕事じゃないのかー。

 最後に、ドキュメンタリー番組の要約を、NHKのHPからコピペしておきます。

・フランス「終わらない悪夢」
 (前編)原子力発電を推進する上で、当初から最大のネックは原子炉から排出される放射性廃棄物、いわゆる核のゴミの処理方法だ。およそ50年の間、各国はドラム缶に詰めて海洋投棄していたが、グリーンピースなど民間の反核団体の運動が高まり、1993年以降は船上からの海洋投棄は全面禁止となった。その後、各国は核廃棄物をどう処理しているのか?
 核開発はもともと軍事技術として研究が進められたため、取材班はまず世界初のプルトニウム生産工場を訪ねることに。米・エネルギー庁から取材を拒否されるが、コロンビア川沿いにハンフォード核施設に近づくと、土壌からも、川の水からも、高濃度のウランやトリチウムが検出。かつて汚染水を封じ込めたコンクリートからは、今も漏洩があるという。
 一方、旧ソ連の核開発拠点となったチェリヤビンスクのマヤーク核施設では、1957年に核爆発事故が起きたが、公表されず地元住民にも伏せられた。この地域を流れる川の下流は、今も放射能レベルは高く人々の健康が脅かされている。さらに汚染された魚や牛乳を食べたため体内被ばくしている例もあるというずさんな実態が明らかになる。

 (後編)
 世界一の原子力推進国であるフランスでは、放射性廃棄物はどのように処分されているのか?国内の原子力発電所から排出された廃棄物だけではなく、日本や他のヨーロッパ諸国からのものや、軍事用のものまでが、英仏海峡に面したラ・アーグに集められる。そこでは世界最大の原子力企業アレヴァ社が、核廃棄物の処分を一手に引き受けている。
 アレヴァ社の広報担当者の説明によると、使用済み核燃料は特殊な再処理工程を経た後、1%がプルトニウムとして、95%がウランとして回収され再利用されるため、廃棄されるのは全体のわずか4%にすぎないという。そこで取材班は、回収されたウランが、どこで、どのように使われているかを知るため、追跡取材することに。
 回収ウランの行き先は、フランスから8千キロ離れたシベリアの奥深くにあるトムスク、そしてさらに先にある地図に載っていない秘密都市セヴェルスクだった。外国人は立ち入りを禁じられているが、Googleマップで施設内を上空からのぞくと、たくさんのコンテナのような物体が無造作に放置されていた。使用済み核燃料95%再利用の実態はいかに?
・・・
 過去に海洋投棄されていたことや、フランスで今も一部海に流されていること、フランスの再処理工場からシベリアの、地図に載っていないという土地にコンテナで置いてあること。これらが私と同じように、ドキュメンタリー中のリポーターが驚きながら追っているということは、おそらくフランスの認識レベルもそんなに高くないということだろう。

・デンマーク「地下深く永遠(とわ)に~核廃棄物10万年の危険~」
 各国が頭を痛める原子力発電所の廃棄物問題。北欧のフィンランドが世界に先駆け、核のゴミの最終処分場の建設に乗り出している。「オンカロ」(フィンランド語で「隠し場所」)と呼ばれる処分場は、太古の岩盤層を深さ500mまで掘り下げた先に作られ、施設が国内で排出される核廃棄物で満パンになる約100年後に、入口を完全封鎖されるという。
 核廃棄物の最終処分が難しい理由は、実はその先である。廃棄物が出す放射線が、生物にとって安全なレベルに下がるまで、欧州の基準では少なくとも10万年かかるとしている。つまりオンカロは、人類の歴史にも匹敵する膨大な歳月の間、安全性の確保が求められるのだ。革命や戦争が起きたり、気候や地殻の大変動に見舞われたりしたとしても・・・
 最も危惧されているのは、今の人類が姿を消したあとの未来の知的生物が処分場に侵入し、放射線が漏れ出してしまうシナリオだという。そうならないよう、近づくと危険だという警告を伝えた方がいいのか?しかし、どうやって?あるいは何もせず、記憶から消し去ってしまう方がいいのか?原子力というパンドラの箱を開けた人類が直面する難問を描く。2010年 国際環境映画祭(パリ)グランプリ受賞作品

・あと、先日金沢で上映されていた「六ヶ所村ラプソディー」も観ました。石川県の志賀や青森の六ヶ所村など、行政主導の工業用地造成が失敗し、広大な空き地と借金が残った・・・ことが原発の誘致のきっかけなんて、ばかばかしくて悲しい。
http://www.rokkasho-rhapsody.com/_story/story

『原発を止めた町―三重・芦浜原発三十七年の闘い』(2001)

2011-05-13 12:23:12 | Book

大震災発生後、一番最初に読んだ本。家の本棚に置いてあったが、
ちゃんと読んでいなかった。1人で地域紙を主宰し、記事を書き、発行し続けた
著者による記録だ。

原発を受け入れようという土壌はどのようにして出来てくるのか。
どうして止めるに至ったのか。
手に取るように分かる好著だった。
芦浜原発は、旧南島町(7000人ほど)と、旧紀勢町(4000人ほど)に
またがる芦浜地区に計画された。
紀勢町では、町も漁協も一貫して推進派が強かった。
南島町では、全国的にも珍しく行政側(町役場、町長)が反対派だった。
議会も両方いたが、反対派が多数。主要漁協の古和浦漁協が、当初反対派で、
のちに推進派団体となっていく。

なぜ、古和浦漁協で原発受け入れの土壌ができたのか。
簡略的に言えば、

漁業不振
(設備投資の大きい養殖業が広がり、不振による打撃も大きくなった)
 ↓
漁協の財政悪化(信用金庫部分)
電力会社による預金の運用によってどうにかまかなうように
 ↓
電力マネーへの期待増

という流れだ。

まず、中電と三重県が芦浜原発計画を発表する。これが1963年。
上に見たように、南島町では当時、反対派の方が多い。
中曽根(のち首相)さんが団長の、衆院科学技術特別委員会委員視察団が
視察に来た際、漁師らが阻止し、90人が逮捕されたほど活発な反対だった。

これを受け、原発計画は「休止」期間に入る。
が、その後、真珠大不況(1968年)、はまち養殖が流行るも、70年代には
全国的に生産過剰状態、採算の悪化、加えて南勢のハマチに対する
根拠のよくわからないバッシング(東京キー局の番組に、「三重のハマチは
薬漬けだ、とたたかれたらしい。どこでもやっていることなのに?)で価格暴落。
漁協の組合員の構成が、漁に出る「船主」から「養殖業経営者」になっていく。
漁協という銀行の運営主体の、大口債務者ということだ。
信用事業(銀行業)の財務悪化から、1990年度から、
この土地の漁協でも中電の預金を受け入れるようになる。

本によると、91年度、ここらへんのいくつかの漁協、農協などへの中電の預金額は
合計19億7500万円。
最大では24億7500万円にまでなったこともあるという。

なぜ原発計画を止められたのか。
ひとつは、直接的に一番効いたのは、原発立地の前の海洋調査で、通常は漁業権を持つ
人たち(漁協)の同意のみ必要であるところ(「通常」については要確認)、
南島町長の同意を得るまで実施しない、という旨の覚書を町と中電が交わしていたこと。(1994年、海洋調査の受け入れを決める漁協総会が、反対派のデモで
開けなかったことを受けて協議し、決めたもの)

ふたつめには、南島町議会が住民投票条例を設けており、上の覚書締結後に、
賛成決定ラインを2分の1から3分の2に引き上げる条例改正をしたこと。
これで、「町長の同意」はかなりハードルが上がった。

・・・ドラマチックなものではない。小さな(結果的には大きかったが)手続き上の
取り決めが、賛成派に押し切られないための歯止めになった。
芦浜の場合は。

書き始めると、細かいところまでブログに書いてしまう。
本当は、それから考えたことを主体にした方がよいのだろうけど、
「細かいところが大事」と思ってしまう。
仕事をして、芽生えたものだが・・・これが良いのか悪いのか、物事を矮小化して
見てしまっている気もする。一般化、抽象化するのが下手になっていくような。

今住んでいる石川県には、能登半島に志賀原発がある。珠洲原発も計画されたが、
なくなった。どこも事情は異なるには違いないが、
「原発が立地するとはどういうことか」の雰囲気は分かった。
「なぜ賛成」「なぜ反対」という主張は、きっとこの本の前著「芦浜はいま」に
あるのだろう。
電力会社の「工作員」が、どういう動きをし、預金なんかでどうアプローチするのか。
国の、通産省の電源対策室室長だって、しっかりこっそりやってきては酒を注ぐ。
1970年代、80年代を知っている人には常識かもしれないが、
1983年生まれの私には、肌感覚としての「原発立地」は強い印象だった。

ちなみに---------------
(この著者の方を個人的には全く存じ上げませんが)
著者は、1975年から2001年まで、1人で原発を追いかける新聞を作り続けた、らしい。
本を見れば、「こういう仕事は世の中に必要だな」と思う。尊敬する。

ただ、一方で紀伊長島町議を6期務め、議長まで上り詰めて(?)いる。
2001年以降は県紙に席を置き、なお町議を勤めていたとも聞きました。
議員というものは得票率最大化を考えて行動する人間という固定概念があるので、
その人間が出したり書いたりする「新聞」は意見広告にならないとも限らないし、
立場として客観的事実を書いていると判断しにくい。
個人的には、そういう立場で書いたものを有料で「新聞」と名をつけているのは
違和感があります。

でも、発行し続けたということは読者がいたということなのでしょうし、
新聞社が雇っていたということは(たぶんそこが一番違和感のあるところ)
需給が一致したというかなんというか。
いろんな役割の新聞がある。新聞と言おうが言うまいが、
そのものに役割があれば良いのだと思います。

藻谷浩介(2010)『デフレの正体』

2011-05-12 23:27:43 | Book
小泉政権時代、「戦後最大の好景気」(いざなぎ景気:2002-2007)と言われ、
「それでも一般市民の実感にはなっていない、なぜか」という
議論があった。リーマンショックの後は、企業業績も落ち込み、
使用者も労働者も状況が悪化した。

この本では、「好景気」というあやふやな表現の裏で
生産年齢人口が増加から減少に転じたという日本がかつて経験していない
現象が起こっており、これが現在の物価の下落傾向(デフレ?)、
日本経済の規模の縮小につながっていると指摘する。
指摘する、というか、証明する。

生産年齢(15-65歳)人口の減少
 ↓
消費人口の減少
 ↓
供給能力の過剰
 ↓
在庫積みあがりと価格競争激化
 ↓
在庫の時価の下落(物の値段が下がる)

お金を使う世代の人口が減り、また、お金をたくさん持っている高齢者は
「死ぬまでになにがあるかわからん」と財布を手放さず(もしくは配当を
受け取って潤い)、内需は急激に縮小するスパイラルに陥っている。

「人口減少したって、生産性を上げれば経済成長する」といったのは幻想で、
少ない人数をで同じものを生産できるようになったからといって、その
利益が分配されるべき、その商品の生産を担う人自体が少なくなっているなら
利益を給与として受け取って、モノを買うようには動かない。
だまされてはいけない、と。

車も家もパソコンも携帯も。市場が成熟してしまえば、追加的需要量はかなり
小さくなってしまう。今まで、消費人口の拡大に伴う市場拡大で、こういう
日用品?の類の製造業で日本経済は大きくなってきたが、その路線は難しくなる。
もう、伸びが期待できない。

そんなに驚く話ではないはずなのだけど、謎解き形式で、
「こう思っているでしょう?でも実はこうなんですよ」と
数字を出されて、何度か予想を裏切られ、なるほどーと思ってしまった。
数字を確認することの大切さを認識。そして、経済の構造をイメージしなくては。
小売販売額の推移や小売業の就業人数、店舗面積、生産年齢人口の値など、
少なくとも三重と石川の数字は確認しておこう。

そのような課題の中で、具体的な対応策がいくつか書かれている。
その1つが、女性の就労参加だ。
「女性の方が買い物が好きだし、少量だけど高価でおいしいものを選んで食べる」と。
もちろん、旦那の給料でそれをしたっていいのだけど、
素直な感覚として「自分が働いているから、ほいほいっと買い物できる」というのは
身を置き換えてみれば自明のこと。
女性の就労で、保育や中食、家事代行系サービスの需要が増大するだろう、
こういう3次産業の拡大は需要拡大にとっても大きな役割を果たすだろう、
とは思っていたけど、彼女ら自身の購買行動が大きく変わり、服にしろ外食にしろ
消費が活発になることは、そりゃそうだ、という感じだが、非常にインパクトは大きいはずだ。

やはり、話題になっている本は、早く手にとってさらっとでも読んでみなくちゃ
いけないですね。遅い遅い。

東北での4日間(考えたこと)

2011-05-12 23:26:50 | Private・雑感
いくつか、東北で考えたことを。

■ボランティアは足りているのか
足りていないと思います。
重機のステージが終わって、マンパワーのステージに
なっているところがたくさんある。岩沼はまさにそうだった。
気仙沼のボランティアセンターにも寄って少し話を聞いたが、
まだ足りないとのこと。
個人ボランティアを受け入れ、道具を貸してくれるところはある。

全壊の家は、おそらくマンパワーのステージがない。
ニーズをマッチングしてくれるセンターは、短期的に何か手伝いたいという
人にはとても有用だろう。

また、このマッチングはけっこうノウハウがいると思う。
例えば、岩沼では2時間制で、2時間の作業が終わった頃に
迎えの車が来る。
気仙沼では、9時からの受付→作業場→作用が終わったら電話/午後4時まで。
2時間という区切りはないとのこと。
おそらく、カバー範囲が広く、午前と午後に分けて、などと車を出していられない
のではないか。
どちらのボランティアセンターも、社会福祉協議会が運営していた。
社協は100%「官」というわけではないが、半分以上官的な存在。
県や市町が物資の受け皿になったり、官がボランティアをコーディネートする
というのは、「海外ではない」(NGOの友人の話)。
もしかしたら、ここまで官がやることはなかったのではないかなーと
思ったり、センターごと経験のあるNPOなどに委託してもよいのかもしれない。
社協への応援として、他地域の社協、NPOスタッフらが入っているようだったが。

■被災地を見るということ
近年では、誰も大規模な津波の被害を経験したり見たりしていない。
(海上の養殖施設などは別だが)
文章で書いても、伝わらない。
何より、個別性が伝わらない。
この図で、浸水域が1平方キロメートル以上の市町区を数えると、30ある。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4363d.html
30の自治体ごとに、地形や産業、町の中心部の被害などがぜんぜん違う。
私の住む市と隣の市の性格が全く違うように。
被害が大きすぎて、そういうことが見えなくなってしまいがちだ。
ボランティアをして、ただひとつの町だけでも、具体的に認識できれば
今後の被災地の見方も変わってくると思う。

■今後のまちづくり
外の人が、いろいろ口出しすることは、能力的に限界がある、と思った。
中の人たちが、自分たちでやるのでなければ到底出来ない。
それぐらい根底からの作業で、作業量は相当に多い。
地形、産業、人のネットワークがなければ、最後までやり切れない。
外の人を入れながら、中の人が議論して決定していく。
そんなこと、被害にあったいくつもの土地でできるのだろうか。
昨日、日経の経済教室で、復興構想会議に入っている大西隆・東大教授が
「まちづくり会社を」という提言をしていた。
これだけ多様な被災と、多様な選択肢、どこにどうやって住むかを最終的に
判断する被災住民が多い場合にはうまく機能するのではないかという
印象を持った。

ほとんどの町は、町の全てが流されたわけではない。きっとできる。

■被災地の外で
外にいる私はどうすればよいのか。
「外の話」をやるしかない、とあきらめがついた気持ちだ。
財源はどうするのか、とか、避難者の受け入れで改善できるところはないかとか。
仮設住宅の形は、現実的に最適なものなのか?とか。
(賃貸で入るところがないから仮設住宅なのか、地域の被災者とばらばらに
 なりたくないためなのか、今のところちょっとわからなくて。)

復興需要で経済は中期的にはプラスに働くという見方が大半だが、
そういう国レベルの話と、被災地の個々の自治体レベルだと話は違う。
どちらも大事にしなくちゃいけない。
人々が持つ震災のイメージが過少にならないように、少なくとも税金を通じて
つながっていて、誰もが無責任ではいられないものなのだと考えたい。

東北での4日間(4日目)

2011-05-10 12:46:20 | Private・雑感
一関の朝。この日、岩手では各紙一面トップ、昨日には地元紙が
号外を出していた「平泉」。中尊寺金色堂へ。
1124年。奥州藤原氏が、それまでに起こった大きな紛争での死者を
弔う意味で建てたそうだ。堂々と世界遺産に値する素晴らしい建築物だと
思ったし、広い境内一帯がとても平和的で、うれしかった。

・気仙沼の避難所、中学校

一関に戻り、災害支援NGOで働くYさんと合流。
彼女たちが支援している場所のひとつ、気仙沼市内の中学校に行く。
避難所と、学校と。共存の難しさなどを聞く。
なんというか、「どうするべきだ」「どうした方がいい」といったことは、
外の人ではわからないというか、言えない部分が多い。
中にいる人たち同士でなければ。
五百人もいる避難者たちや、自身らも被災しているはずの先生たちや生徒たち。
そこから、改善や前に進むための動きが出てくるしかない。
「こうしましょうよ」、とうまく持っていくには、やっぱり、ほかの地元の人の
力がいるのではないかな。
私のような「外の人」は、被災者がそういう気力が出てくるように、
周りからじわじわと(?)何か助けになれることをするしかない。
これを無力感というのかもしれないけど、仕方がない。

・陸前高田

陸前高田を通って一関に帰り、そこから夜行バスに乗るべく仙台へ。
陸前高田は、川に沿って津波が奥へ奥へ、入り込んだのだろう。
市内中心部の川を渡るのにだいぶ上流まで車を走らせ、
そのどこもが津波の被害にあっていた。
ここにはまだ、警察のチームがところどころにいて、おそらく捜索活動をしている。
広くて、途方もない。
気仙沼から十五分ほどで来られるが、ここは気仙沼に比べれば
海沿いから高台までの距離が遠い。
「だから避難が遅れて、死者が増えてしまった」という新聞の記述を
読んだ気がするが、どうやったらもっと、きちんと伝えられるのだろう。
新聞では無理なのかもしれない。それなら、新聞の得意分野をもっと
追求しなくちゃいけない。

これを書いている途中、NHKのお昼のニュースで、陸前高田での小学校の
始業式が映された。あの瓦礫の町を、スクールバスで通うのだそうだ。
それ自体が私にとっては苦しいことに見えたが、体育館に並ぶ子供たちを見て
少なくとも、これだけの子供は生きていて、学校に来られる状態なのだと
思うと非常に安心する。
被災後の、車が通れる程度には瓦礫が片付けられた後が、初めての「陸前高田の景色」
という私にとっては、やっぱり生気を感じられなかったから。

無事仙台でバスに乗り、山形経由で金沢に帰りました。
目的のひとつであった「東北でお金を使う」だけは、結構達成できました。
ちゃんとビジネスホテルOR観光ホテルに泊まったし。

つらつらとした文章にお付き合いありがとうございます。
続いて、「考えたこと」編を書くつもりです。

東北での4日間(3日目)

2011-05-10 12:01:52 | Private・雑感
朝7時ごろ。朝食前に、秋保温泉の近くにある秋保大滝を見に行こうと
思ったら、警察の車がホテル前に難題も並び、荷詰めをしている。
静岡県警だった。朝食後、彼ら復興作業の人たちの話を、ホテルの人に聞くことになる。

・客足状況
秋保温泉は、仙台市中心部から車で40分ほど。仙台の奥座敷といった位置づけで、
伝統ある温泉地。客室が150室以上ある宿泊したホテルのほかにも、
大型ホテル、旅館が数軒目に付き、寂れていない温泉地の印象だ。
客の半分は、復興需要。警察や電力、ガス、などのスタッフ。
警察は、夜部隊をかなり多く出している様子、とのこと。
遺体や半壊・全壊した家屋からの窃盗がかなりあり、警邏しているのでは。
朝方、10時ごろに帰ってくるのだという。
素泊まりや、夜食も弁当といった感じなので、あまり儲けにはならないが・・・
何十連泊もする彼らをベースに、他の半分の客室を観光客で埋めていく感じとのこと。
「お疲れ需要」というのもあるらしい。
避難所生活の疲れを1泊2日で癒したい、という・・・
宮城県内の避難者は9日現在、まだ3万4792人いる。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4362.html
避難所にいる理由は、いろんなものがあるのだろう。
GW直前になり、仙台など近場からの予約が急に入るようになった。
いつもは東京など遠くから来てくれるが、今年は少ない。

・料理やサービス、今後のこと
手に入らないもの、というのはなくなってきたが、
以前まで設けていた「アワビコース」などの料理のバリエーションは
今はできていない。みな「本日のお任せコース」といった感じ。
それでも、私にとっては大満足な、多すぎる料理だったが。

「とにかく、元に戻したい」。
料理のコースもそうだし、いくつか、天井や壁にひびが入っていて、
その修理もしたい。だけど余震がまだあるかもしれないので、3ヶ月くらいは
我慢して一気に直すつもり、という。
GW、「がんばろう云々」で攻めに出よう、という話も市や県、秋保温泉内でも
あったらしいが、「まだ、見つかっていない人がたくさんいる。その中ではとても・・・」
ということで、ささやかに「復興支援プランあります」程度にしたらしい。
「七夕(祭り)では攻めに出たい」。
外からわいわいと地域経済に貢献しようとするのは良いだろうが、
中からの発信は、そのころまで時間がかかるみたいだ。
観光は経済効果がすぐに出る分野で、東北経済における
大きな収入源だという。ご検討中の方は是非東北に遊びに行きましょう。

午後からは、インターネットのボランティアプラットホームで見つけて、
連絡していた気仙沼のお寺へ。
仙台→一関を東北道で。一関ICから気仙沼へ。

・はじめての気仙沼
気仙沼という漁業の町に来られてよかったと思う。
「被災地といっても、土地の成り立ちが全く異なる」
ことを思い知らされる。宮城県南部は、平たい田園地帯。
気仙沼は山あり谷あり、田んぼなし(おそらく)。
土地利用が違えば、考えなくてはいけないこと、津波の後をどう描くか、ということ
は中身が大きく違ってくる。

海がほこりの舞う瓦礫地の奥に見渡せる、少し高台のお寺。
数年前に新しく建てたこともあり、柱と+アルファだけは残った。
周りは、大きな瓦礫が撤去され、土色で広々と見渡せてしまう。
生き残った檀家は少なく、この土地に戻ってくることもないだろう。
だけど、戻ってくる場所、亡くなった人の話をする場所が必要だから、
といって片付けてお寺の機能を回復させようとしている。

さえぎるものがなくなってしまい、風が強くて強くて。
いろいろと話をしてくれた和尚だが、こうやって、被災の状況や
これからの自分の役割、やるべきことをしっかりと話してくれる人は、
本当に強い人だったり、多くの人の支えがある人だったり、と
いった人たちであることを忘れてはいけないと思う。

ボランティアプラットフォームは
http://b.volunteer-platform.org/vtn/

津波が来る前の気仙沼を見てみたかった。

岩手県の一関の戻る。ビジネスホテルには、テレビ局などメディア関係者や
ボランティアの人たちがたくさん泊まっている様子だった。

東北での4日間(2日目)

2011-05-09 11:31:49 | Private・雑感
前日の作業が、少し身体に応えている気がする。
パンをかじりながら、仙台市宮城野区にある工業団地に立地する
工場で話を聞いた。

大まかな話は割愛しますが、海から2キロもない工業地帯で、
津波の警戒はほぼなかったということ。行政からの警告もない
(そりゃ県が誘致したのなら、警告と合わせて、というのは変な話だ)。
高潮対策で防潮堤対策はあり、避難訓練もあった。
川の堤防も、高潮警戒のためだったとのこと。
工業地帯の横は、「住宅地だった」。

被害にあった場所の描写は、うまくできないので逃げます。
最後にでも、津波で建物が全壊した土地について考えたことを、
まとめたいと思います。

午後は、もう一度岩沼市のボランティアセンターへ。
バスに乗り、お寺に派遣された。仕事は墓地の片付け。
海からは結構距離がある場所に思えたが、墓石が崩れていた。
通路には泥や藁、松の葉。それでも、午前中のチームがだいぶ
片付けたとのことで、仕事を引き継ぐ。
泥を満載した一輪車は重い。土やゴミは、境内の入り口のところに山に
してあり、20メートルほどのその距離が辛かったりした。

・ボランティアに来ている人たち
作業が2時間ということもあり、他の人とはあまり話さない。
「足りてますか?」「運びましょうか」などの作業上の話は別だが。
GWに入り福岡から夫婦で来て、羽田から軽トラを借りてきました、
なんて30代前半の2人。元建設作業員、という20代後半の兄ちゃん。
東京ナンバーのステップワゴンで、1週間、車中泊をしながら
送迎ボランティアをしているという60代の男性。
主婦風で、家族で来ている感じの40代女性もいた。9割が男性だったかな。
6日は一応平日ということもあってか、一緒に作業をしたのは
20~30代と、60代~が多かった気がします。

秋保温泉のホテル泊。
レストランは、浴衣姿の家族連れが多く、にぎわっているように見えた。が・・・

東北での4日間(1日目)

2011-05-09 10:37:48 | Private・雑感
久しぶりの4連休を、東北のいくつかの場所で過ごした。
ボランティアをしたり、伝手を頼って話を聞いたり。
いろいろな情報があって、被災地の外の人も中の人も、
どれが正しいのかよくわからない状況になっているが、
2011年5月5~8日(震災から55~58日後)の、
私個人から見た情報として旅日記の形で残しておきたい。
東北でお金を使うことと、できれば人に話を聞く機会を探そう、
ボランティア状況も見てみよう、という感じ。

・日程
5日 金沢→仙台、宮城県岩沼市でボランティア、仙台泊
6日 仙台市宮城野区の工場で取材、午後は岩沼市でボランティア、
   仙台郊外の秋保温泉泊
7日 秋保温泉のホテル社長にちょっと取材、宮城県気仙沼市に行き、お寺で掃除、  岩手県一関市泊
8日 気仙沼の中学校、気仙沼市ボランティアセンターで話を聞く。陸前高田市を
   通って一関→仙台。夜行バスに乗って金沢へ

・金沢と仙台
5月5日夜中、金沢から仙台へ。
金沢から東北は東京からよりおそらく遠い。
夜行バスに乗れればよいのだが、仕事がだいたい23時ごろまであるので
4日夜には乗れず。前3時47分、急行はくたかで金沢→長岡、
新幹線に乗り換え長岡→大宮、大宮→仙台。午前10時50分着。

仙台では、先に連休入りしていた夫・Kとその友人(仙台在住)と合流。
牛タン定食を食べる。
仙台駅のボランティアインフォメーションでは、宮城県内で
個人ボランティアを受け入れているのは岩沼市と気仙沼市とのこと。
仙台駅から南に20キロくらい?の沿岸、岩沼市社会福祉協議会にある
ボランティアセンターに行ってみる。
足は、最終日まで借りることになるレンタカーのフィット。
ボランティアは、午後1時まで受け付けるそう。
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10109

・岩沼市災害ボランティアセンター
受付で名前と住所を書く。「ボランティア保険に加入していますか?」と聞かれ、
していないと応えると、カードに名前を書いて、「これでOKです」とのこと。
加入代(670円だったかな)はセンターが負担してくれるそうだ。
その後マッチングの列に並ぶ。
9人ずつぐらいで部屋に呼ばれ、即席9人チームで輪になって座り、
「○○さんの家に行っていただきます」「泥だしや片付けのお仕事です」
とスタッフが説明。送迎ボランティアの人のステップワゴンに乗る。
一輪車やスコップなどの道具は、別のボランティアの人が軽トラで
派遣先まで運ぶ。後から考えてみれば、まあ「派遣労働者」ですね。

活動時間は2時間。思いのほか少ないと思ったが、体の疲れと、トイレに行かずに
活動できること、岩沼は被災地が他に比べれば広くないようで送迎に時間がかからないこと、ボランティアを依頼する人も精神的に負担にならないことなどを
考えると妥当な時間だと思った。

・Sさんの大きな家で掃除?
Sさんの家は、田んぼの真ん中で、2町3反を耕作していたそう。
ここ来るまで、元は田んぼらしき風景が、砂の層に覆われ、乾燥してひびわれている。
もう作付けの季節だろうに・・・。Sさんちのおばあちゃんは、
何千万円もしただろう稲の乾燥機が倒れて壊れ、沿岸部に立っていて流れてきた
松の葉やわらで埋もれてしまっているのを前に、「平成18年に買ったんだけどね、、」
など話してくれた。
家の中の泥や砂を、四角いスコップですくって一輪車に乗せる。
家の床をスコップで滑らせて、「家が傷つくけど、本当にいいのかな」と思ったり。
おそらくは。この家を改修することはない。建て替えしか難しいだろう。
じゃあなんで、どこまできれいにすればいいのだろう?
思い出の品など、必要なものはすでに除かれたように見えたが・・・。
意味合いとしては、「家の片付け」というより「解体業者の仕事の代替」に近いのだと思う。
それでも、おいそれとショベルカーでつぶす気にはなれないし、その後の方針を
決めるには時間がかかる。とりあえず、片付けよう、ということではないか。
とにかく、「マンパワーのいる仕事、人にしかできない仕事がたくさんある」
ことは確信。大量に人をさばく岩沼市はなかなかすごいな、と思った。
聞いてみれば、広島の社協がセンターのほとんどを運営しているとか。
たくさんの人手のいるセンター運営自体を、NPOとか、他の社協とかに
委託するのも、ありだと思う。
帰ってからは、長靴にシャワーを当ててくれるボランティアがいて、
一輪車やスコップなどを洗ってくれる人もいる。流れ作業でボランティア修了。

・仙台空港近くの堤防
決壊し、水が大量に流入する流れ口になった箇所がある。
不思議だったのは、堤防の海側は無傷で、堤防の上部分と、陸側の部分がほぼ
全壊していたり、陥没していたりしていたことだ。
津波が登りきったときの水圧と、引き潮や流入した後の水流がえぐりとった
形なのだろうか。
風が強く、寒い。

・名取市閖上(ゆりあげ)地区
江戸時代から続く漁港があったそうだ。大きな瓦礫はすでに取り除かれたその地域は、
遠くまで見渡せてしまった。
家の基礎を見る限り、かなり密集した住宅地が、海からすぐのところに広がっている。
川沿いの堤防は立派で、決壊のあとなどはなかった。
瓦礫撤去などがすんでいたこともあり、警察や自衛隊もいない。人もいない。

仙台駅近くのアパホテルに宿泊。