●輪島塗
会津、紀州、輪島が漆器の三大産地らしいが、ダントツで輪島が有名なのではないだろうか。
漆塗りといえば輪島塗。輪島といえば輪島塗か輪島の朝市。
だからというわけではないが、年末に輪島に行ってきた。
金沢から能登半島の先へ向かい、車で2時間半くらいだったかな。
能登半島有料道路は、車はないが、雪はかちかちであって進みにくかった。
漆器の歴史は縄文時代にさかのぼる。
中国から伝わったという説も、この能登半島が発祥だという説もあるらしいが、
それだけ昔から、食器や家具の持ちを良くするために漆を塗っていた。
山中の漆の木に傷を付け、密というか、漆を取っていたのだろう。
輪島の場合、北前船の寄港する港があったため、この汎用品が輪島で量産された。
木を削り、ヤスリがけ、縁の部分の補強のための布張り、漆塗りといくつもの工程を
分業でやっていたそうだ。
赤一色とか、黒一色とか、あの、お寺で出る精進料理を入れる落ち着いた赤の器の
イメージ。大衆食器であり、金で松とか鶴とか細工がしてある物は、
大名家などの一部にかぎられたものであったという。
大衆食器だった漆塗りのなかで、輪島塗が頭一つ飛び出たのは、戦後だ。
黒光りの中に金細工の、高級工芸品戦略をとったのが当たった。
おそらく、分業で何人もの職人が何ヶ月もかけて手作りする漆器は、
大衆向けでは相当高くなり、プラスチック食器などが出てきたのもあって、
方向転換をせまられたのだろう。
工芸品としての輪島塗は、うっとりするような色で、潜在能力というか、
これからも伸びるのではないかな、と思わせる。
実際、2007年の能登半島沖地震の後は、復興の方法として、シャネルやら
コンバースやらが「輪島塗モデル」の香箱やシューズを造り、
それを販売して「輪島の地名をPRする」という手助けをやったそうだ。
これは面白い方法と思った。
現在、輪島塗は定められた24工程を経た物だけが「輪島塗」として認定される仕組みらしい。
一般的な漆器に比べて、簡単に言えば多くの回数、塗ってあるということ。
お椀でも3000円くらいからで、文様があれば跳ね上がる。
漆器自体は、もっと身近にあってほしい美しく実用的なものと思う。
現在は漆は中国からのものばかりというが、それでもいいし、
中国で作られた漆器で構わないから、もっと現代人の生活に入ってきてほしい。
●輪島市
「私がもうちょっと若かったら、輪島なんて出て行くのに」
輪島の朝市の途中、立ち寄った喫茶店で、70代前半くらいのおばあさんの言葉。
この町に高校はあるが、99%が金沢かそのほかに出て行くという。
(喫茶店のママの話だから、正確ではないと思うが)
人口2万9000人の、鉄道の通っていない海の町。
試みに、この町が「やっていく」方法、たとえば50代サラリーマンのUターンを
もっと呼びかけて町の担い手になってもらうとか、車の中で考えてみたが、
いやはやけっこう難しい。
喫茶店のママは「金沢は日本の中心やから、どこにでも行きやすい」と言っていた。
「輪島に比べれば、ですけどね」とはつっこめなかった。
観光業で頑張ってほしいが、要の朝市自体が、ずっと続くのか心配だ。
60代、70代のおばちゃんたちの下に、けっこうハードなあの仕事をやっていく
人がいるのだろうか。残念なことに、朝市で出ていたブリの値段も
金沢に比べれば安くはなかったし・・・。
日本海側って、行くことありますか?
今まで、あまり日本海側の都市とかそこに住む人のことを考えたことがなかったので、
いろいろ考えてしまいます。