精神科治療において「対話」に重きを置く「オープンダイアローグ」について、前に書いたことがある。https://blog.goo.ne.jp/mreisende21/e/3247cb35e056a9d1b8dee274d53bff9a
このときに出てきていた精神科医の斎藤環さんの本。ひきこもりの高齢化や、ひきこもりの人が大きな殺傷事件を起こしているかのように見えた川崎の児童殺傷事件などを受けて解説している。
線を引いたところをいくつか。
「ひきこもりの人=たまたま困難な状況にあるまともな人」。これは私も意識していることではある。でもときどき、不必要に(?)「私よりずっと真面目な人」などと比較級の入った考え方をしているので、元に戻して(?)困難な状況にあるまともな人、でいいんだよな、やっぱり、と思った。ただ、「まとも」という表現はあまり好きではない。「ちゃんとした人」うーん、ちゃんとした、というのもなあ。「ちゃんとした」と使うとき、「バランス感覚のある人」などと言いなおしたりするけど、ちょっと違う気もする。ひとまず、「困難な状況にあるとてもまじめな人」、でいいかな、私としては。
「いじめPTSD」
不登校や、ひきこもりのきっかけとして、いじめ体験のある人が多いという指摘。それはほんとに思う。そのときに、そのつまずきを、ほかの人間関係でケアしていないと、人間関係への恐怖心が残ってしまう。理不尽な思いをまたするのではないか、もしくは、自分なんて友達はできない、と思い込んでしまう・・・。
本書では、いじめが起きたときに「加害者への配慮ある処罰」が必要だと書く。「配慮ある」というのは、加害者側にも過酷な家庭環境などがあったりするので、その可能性は考慮しなければならない、ということだけど、とりあえず加害者と被害者を同等に扱ってはいけない、いじめを受けた側が納得する対処がないと後遺症化する、というのである。
「お金は薬」
ひきこもりは、収入と家があって初めて成り立つので、親がそれを負担していることがほとんどである。そのとき、親はひきこもりの子にお金を与えるべきか否か、という問題に、著者は「お小遣いは与えるべき」と書いている。なぜなら、お金がなければ「欲のない人」になってしまう。欲がなければ社会参加しよう、就労しよう、お金を稼ごうという気持ちにならない。こうなるとひきこもりの人は「無敵」になってしまう・・・。
「小遣いはやらんから、自分で働け!」というのはよくない。欲のない人の難しさは私も感じているので、納得でした。
ひきこもりの人への「マイルドなお節介」
ひきこもりの人は治療対象ではない。ひきこもりは状態であって疾患ではない、というのが著者の立場。では支援が必要でないか?と言われれば、状況によるが、「潜在的に支援ニーズを抱えている、という先入観を持っている」という。表面的には拒否していても、家族関係が変わるなど状況が変化すれば、ニーズが生まれてくる。だから、支援を押し売りするのではなく、「御用聞きよろしくニーズの有無を尋ね、断られればまた次の機会をうかがう」。
これまで、なんとなく「御用聞き」的なかかわりは何か間違っているような、不健全なような気がしていたが、でもそうなっちゃうよな、とも思っていた。堂々と御用聞きでいいのだ、と思えた部分。
オープンダイアローグ
これは、冒頭でも書いたが興味ある支援方法。これまでは、精神科領域のメソッドとして認識していたが、この本を読みながら、今の仕事にも生かせるのでは、と思った。対人関係を築くのが不慣れな人にとって、おしゃべりをする、という経験の大切さがわかってきたから。面談室で話をするのと、カフェで話をすることの違いは、まず私がメモを取らない。自分の話もする、というらへんか。これがすごく、本人の違う部分を引き出せるなと感じている。
面談室でも、オープンダイアローグを意識した何かができるのではないか。ガイドラインを見たら22ページだったので、一度目を通してみたい。