夕飯時は順調に過ぎた。備蓄品で賞味期限が切れたばかりのアンパンマンレトルトカレーに、きゅうりの酢漬け、ミニトマト、味噌汁というメニュー。そのあとはテレビを見たり遊んだりして、そろそろシャワー浴びよう、となる。
シャワー浴びたくない、体拭くだけがいい、と長女。
冬など、子どもがお風呂に入りたくないと言う日などは体を拭くだけの日もある。夏場はあまりしない。公園まで行って遊んで、私と競争しながら走って汗だくで帰ってきたのを見ている私には、承服できなかった。「汗だくの体でシーツも汚れるわ…」と思ったのも事実だ。何と声をかけても動かない。この日は無理やり服を脱がせ、「合わせで洗わないから。シャワーで流すだけな!」とお湯をかける。そして浴室の外で軽く拭く。
この、シャワーを浴びたくないとか、「私が食べたいご飯ない!」と言ったり、私にもシャワー浴びるなと泣き叫んだり、トイレから手を洗わずにパンツも履かずに出てきたりなどというのは、子どもの限度額とはいえ、冷静に受け止めれば「モラハラ」だと思う。モラルハラスメント。子どもとの生活は、このモラハラに対し「子どもだから仕方ない」と捉えて対応できるか、に鍵がある。
この日、私がした「無理やりシャワーを浴びせる」というのは、はっきり言って虐待だと思う。5歳の子が全力で嫌がり、それを押さえつけるとなるとこちらもかなりエネルギーを使う。でも、シャワー浴びたくないのは、心の底からの願いではなく、眠くなってきて駄々こねたくなったから言ったのだと思える以上、浴室に入ってしまえば素直に浴びるかも、と思わないでもなかった。この日は徹頭徹尾、抵抗した。
そのあとは、私も反省して、まだ泣き叫ぶ長女に反論しないようにした。それも「シャワー浴びるときドア閉めないで」というもの。なので、三女を洗ったり、自分の体を洗ったりするのを、長女は、まだ少し濡れた体で浴室の前でワーワー言いながら見ていたのである。シュールな構図。シャワー後は、頑なに服を着ないという抵抗以外は、テレビなどを見て落ち着いて過ごした。
モラハラを、正面から押さえつけようとすると虐待になる。どうすればよかったのだろう、と翌朝も考えた。シャワーを浴びさせたい、というのは私の欲求であり、わがままとも言えるから、とりあえず、体を拭くだけでよかったのだろう。で、最近は天気もいいので、翌朝シーツも洗えばよかったのだろう。機嫌がよければ翌朝にシャワーに入れればよい。
事の発端は、公園に行きたがるのに付き合い、疲れたことにあって、疲れてダダこねることになったのでは。じゃあ公園に行かなければよかったのか。うーむ。そこまで突き詰めると面倒なので、今日はここまで。虐待せずに済む努力を続けよう、というのが今日の教訓。