ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

携帯変えました、の続き

2010-10-27 23:50:25 | Private・雑感
携帯電話をiPhoneに変えた。
登録していただいたみなさん、ありがとうございます。
ほんと、人の携帯番号の登録変更ってめんどくさいですよね。。

「久しぶり~」という返信の多さにびっくりしてます、
社会人になって会わなくなった人が
これだけ多いということの証左でしょうか。
素直に嬉しくてけっこうメールしました。
そんで、「結婚することになりました」と報告。
メールっていうのも何なのですが・・・。ま、一斉送信よりいいかと。

会社にも報告したし、結婚するんだなあという気になってきました。
別居だし、いつ同居するか分からないし、そういう意味で実際は
「手続き」って側面が強くて、
「結婚するというより入籍するんです、年明けくらいに」っていう感じです。
それでも、自分をよく知っている人から「結婚するんだね」と認識してもらうことで、
実感につながっています。なんだか自分の中では面白い反応だと思っています。

ジョニー・デップは、長年の恋人と子どももいて、いわゆる事実婚らしいが、
「愛があるから、結婚なんて契約はいらないのさ」というスタンスらしい。
それも一つだけど、私はその「契約」を楽しんでみたいという気持ち。
その効力というか。「結婚おめでとう」と、相手のことも聞かれずに祝われる。
「結婚→おめでとう」という単純な祝われ方でも、嬉しいものだ。

良い意味で、自分のこれからの人生への責任感も増した気がする。
相変わらず楽観的だけど。
それでは、ぐっと寒くなりましたが、みなさん頑張っていきましょう。
「携帯変えました」メールの続きでした。

筑紫哲也ら編(2005)『ジャーナリズムの条件』

2010-10-27 23:34:53 | Book
筑紫哲也・徳山喜雄・佐野眞一・野中章弘・編(2005)
『ジャーナリズムの条件(一)~(四)』岩波書店

ジャーナリズムの世界に身を置いたものの、あまりに方法や内容が自由で、
評価指標や評価システムのない世界だとちょっと途方に暮れていた。
こんな本があることも、この本の中で経験や持論を書く80人ほどの
ジャーナリスト(新聞記者、フリーライター、カメラマンなど)の名前も知らなかった。
筑紫が「ジャーナリズムについての著書の中で「決定版」にしたいという野望の元に・・・」
と一巻のはじめに書いていたので、評価軸が見つかるかも知れない、と思って読んだ。

それぞれの巻は、
(一)職業としてのジャーナリスト
(二)報道不信の構造
(三)メディアの権力性
(四)ジャーナリズムの可能性

の副題があり、それぞれ20人ほどのジャーナリストが書いている。
第一の感想は、選ばれた?ジャーナリストだけあって、面白い。
面白いのは、その考え方とかではなく、題材となる取材ノートだ。
だいたい、「私は~~~を~~~やって取材する中で~~~見えてきた。
何か答えを出すとすれば、××だ。」みたいな感じで、
~~が面白い。これは、一般の人にも面白いはず。

私の期待に対しては、それほど答えてくれるものではなかった。
何をもってよしとするのか、成功とするのか。
実際、人それぞれなのだろう・・・自己実現にかなりリンクした仕事だからか。
それでも、ジャーナリズムの世界にはこういう考えで、こう活動している人がいるのだ
ということは、ジャーナリストの知り合いをほとんど持たず、
「何が醍醐味なんですか?」と聞いたり議論したりする人が近くにいない私にとっては
有益だった。

以下、それぞれの巻を読んで思ったことをポツポツと。

(一)職業としてのジャーナリスト
ジャーナリストとは、という質問に、筑紫は「永遠の大学生だよ」と言った
アメリカ人ジャーナリストの答えを紹介している。
そう言うからには、もう少し分析方法の整理や、評価システムの明確化がなされていて
ほしいと思った。
竹内謙の記者クラブ批判は、賛同。イラクとアフガニスタンの戦場を取材したという
カメラマンの原田浩司の文章を読んでいて、
「戦争」と名前が付くと、即「反戦」になる。これはジャーナリストでなくても
そうだという気がするが、その時点で非常に単純な対立構造で書かれがちのように思う。
アメリカ対アルカイダ、被害を受けるイラク市民、みたいな。
でも、戦争が始まる前には、戦争にならざるを得ないような、政治腐敗とか飢餓とか
民族対立とか悲惨な状況があって、それは戦争を引き起こしてからも続いているはず。
その「戦争故の状況」と「戦争の原因となった酷い状況」とを分けて
報道しないと、単なる「戦争でかわいそうな人生となってしまったかわいそうな人」
の押し売りになってしまうのでは、と思った。

(二)報道不信の構造
ジャーナリストは市民のある面での代表として、権力を監視するポジションのはずだが、
犯罪被害者などへのメディアスクラムで被害が発生し、権力が市民を、ジャーナリズムから
守っている、というおかしな、反省すべき状況が生まれている、という問題提起。
菅沼賢吾が政治部での経験から、政治の世界を対立構造で表したがる、
田中真紀子VS外務省など対立の構造が書ければ報道量が多くなるし、
安全保障など、与野党間でも対立を書けない場合は少なくなる。
という指摘はなるほど。そしてくだらない習性だと思った。

(三)メディアの権力性
新聞社やNHKを飛び出し、フリーランスになった人たちが多く書いている。
大手新聞の批判や、日テレの視聴率買収事件、NHKの慰安婦番組改謬、
フリージャーナリストの社会的な弱さ、などなど。
丸山昇が、「タレントの暴走を止めず、商業主義に走るテレビ」というようなスタンスで
批判した文では、島田紳助が吉本興業の女性社員に暴力をふるった事件を
出していて、私自身もすっかり忘れていて、「忘れさせられていたのか?」と
怖い思いだった。彼の番組は好きではないので見ていないが。改めて読むと
本当に酷い事件だ。
オウム真理教を追い、ドキュメンタリー映画を製作している森達也が、
本多勝一の言葉として、「主観的事実こそ本当の真実。主観的事実で勝負する」
と紹介しながら、主体的な意見を表に出そうとしない大手メディアを批判している。
その通りだ。「これは酷い事実だ、改善するべきだ」という意思のもと、
報道し続けることが出来る、その体力こそ大手メディアにしかできないことでは。

(四)ジャーナリズムの可能性
ここでも、おおよそ大手メディアを見限った人らが新しい方法を模索している。
インターネット新聞や、ビデオジャーナリズムの組織化、情報発信など。
ドキュメンタリー映像の力強さには最近改めて実感しているところ。
ここらへんが力を持てば、けっこう世の中変わるかも知れない。
全国紙とフジテレビやTBSなどの大手放送局、ヤフーニュースなどに飽き飽きした人は、
面白そうな情報源が(それを主宰している人たちが)たくさん載っている。
ただし、成功例としてではなく挑戦例。
そういう意味では、週刊金曜日やDAYSJAPANなどが成功例と言えるのだろうか。

ブログを書くためにざーっとめくり直してみたが、
おそらく今の日本で一流のジャーナリストに入るような人たちが
取り上げる題材は、やっぱり戦争、事件事故、政治などが多かった。
生活や労働などで「仕事」している人が少なかったように思う。
肩肘張らずに読めてしまうことは、よかったような残念なような。
こういう多事争論的なやり方が、この世界の「正解」のひとつなんだろうか。

坂の上の雲と晩婚化

2010-10-07 23:29:54 | Private・雑感

ある中小企業の会長(70歳)と話をする機会があり、
晩婚化に話が及んだ。

「いろいろやりたい」と言ったりして、男性も女性も晩婚化が進んでいる。
35歳くらいで赤ちゃんが出来て、それから子育て。
「そうすると、男性も女性もだけど、体力的にもキャリアの中でも
 一番働き盛りで仕事が出来る30代後半から40代にかけて、家庭が忙しいことになる」

たとえば、営業先で夜の席を誘われても、子育てがあるから帰らなくちゃいけないとか。
がむしゃらって訳にいかない事情ができる。
女性も働いていることも多いから、家庭をまるっと任せることもできない。
「それじゃ営業にならないんですよ」。

それでも、30代だって40代だってワークライフバランスは大切だ、
と思いながら聞いていたが、会長の話には続きがあった。
「そうまでして、20代のうちに何がやりたいんですか。
 そんなに何かを蓄積してるようには見えない。ただ、何でもやってみたいというだけで」
仕事や人生に、生かせるようなことをしているのか、ということだ。

ではなぜ、若い人が道を定められないかのように方々を見て、
時間を費やすのか。
「私たちの時代は、坂の上の雲が遠くに見えていた。少なくとも坂は見えていたんですね」
現代は、その道が見えず、または人によってだいぶ違う。
坂を探したり、コンセンサスをとったり、というのに時間がかかるのだ、と。

一般論として聞きながら、身にしみる、傷口にしみるようなボディーブローだった。
何がしたくて、何をしているのか。
自己を省みる時間と体力がなく、もうこんな時間になってしまった。

近所のある朝鮮初中級学校

2010-10-03 22:16:24 | Private・雑感
日曜日。近鉄で2駅向こうの朝鮮初中級学校のオープンスクールに初めて行った。
その数日前に、オープンスクールで発表するという
生徒たちの民俗舞踊と民俗打楽器の練習風景を見る機会があり、
それに感動したから。もう一度見たい、と思ったからだ。

ステージでは、ファッションショー、独唱、小学校高学年と
中学生の女子による踊り、中学生男子の打楽器の発表があり、
それに「我が校のお笑いグループ」と紹介された
男の子達が「朝鮮学校にも高校授業料無償化を!」と
レンジャーモノの格好で笑いを誘っていた。

踊りでは、彼女たちの腰の伸び方とか指先までのしなやかな動き、
プロかと思うような笑顔に圧倒された。
打楽器は、今まで聞いた打楽器演奏の中でもかなり自分の趣味に合うというか、
曲としての完成度が高い感じがした。
かっこいい。知り合いが、朝鮮打楽器のひとつで、両手でバチを持つ
やつを習っていたが、その気持ちがよくわかる。

ステージを見終わって感じたことは、
彼らにはこの学校が中心で、だからこそ完成度の高い発表とか、
署名活動の傍らで政府を皮肉ったようなお笑いネタとか、
仲良さそうにやってのけるんだなあということ。
小学生低学年まではバスで通っているというが、
1時間揺られるところもある。学費が高い上に校舎はぼろく、交通費も月3000円かかるという。
それでも、この学校に通わせたい親や、通いたいと思っている子どもにとって、
この学校が時間的にも精神的にも真ん中にあるのだ。
子ども達のまとまり感は、少し異様に見える部分もなくはないが、
北朝鮮とのつながりというところではなく、子ども達にとっての
学校が、(今では?)ほかとちょっと違う、というところが
説明力が大きい気がした。

会場は、ちょっと地味系の男女がいやに多かったが、
県教職員組合の青年部の人たちのよう。スタッフをしている人もいた。
今の子どもは、部活さえ地域のクラブに入ったりして、学校が
中心ではない。
若い先生たちは、小さくて貧しいこの学校をどう思ったのだろう。


この学校では、オープンスクールを初めて4年目だとか。
ステージ発表の前には、ここに通う幼稚園~中学生までの
各学年(1クラスのみで、5~10人くらい)の授業参観もあった。
授業料や時間割、朝鮮学校があることの歴史的意義などをまとめた
県教組青年部によるパンフもあった。
学校に立ってみると、本当は支援制度などで、たとえばカトリック系私立などと
変わらない存在でしかるべきだと思うし、
在日朝鮮人だって、ただの朝鮮人、韓国人であって「在日」なんて
いらないと思う。
かつて韓国が独立し、日本で学生時代を過ごした人たちが大統領になったように、
北朝鮮に戻って民主化を進める子が出てきたりするのだろうか、
とふと想像しながら帰りました。