ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

リスクと不確実性と私

2007-11-22 15:13:00 | Private・雑感
「リスク回避型」と、「不確実性下において、最悪のケースを避けるべき行動する人」はまったく違う、という話を友人とした。

私 「あなたは修論、あと英語に訳すだけだったっけ、すごいなぁ」
友人「そっちはどう?」
私 「いやぁ進まないよ~」

友人「就職決まってるんだよね?卒業できなかったらどうなるの?」
私 「なんてこと聞くの!!縁起でもない!!」

友人「いやぁ、その最悪のケースを逃れるべく行動すればいいんだよ、と言いたくて。今不確実性のところを勉強しててさ」

私 「ふーん、それってリスク回避型、とは違うよね。考えてみると全く違うね」
友人「数学的には全く違うところで登場するけど。リスクと不確実性は。」

私 「最悪ケース回避型って、想像すると、むしろリスク選好型だわね、
   分散は大きくてもいいけど、最悪だけはごめんだ、と。
   リスク回避型は分散が大きいのは困る、と。」
友人「まあそうだね。どっち型?」

私 「・・・明らかに、最悪ケース回避型。分散が大きいのは今のところ歓迎。」
友人「院生はそういう人多いかもね~戦略的に生きてる人が少ない気が(笑)。
   俺もそうだし。」

私 「そう言われてみると、分散の大きい選択をして、ミニマムを達成すれば
   とりあえずその選択に満足してきた人生かも、無責任で楽天的(笑)」

友人「そうそう、その調子で頑張れ~」


そういえば、樋口先生と清家先生が訳している、『人事と組織の経済学』byラジアーは、こういう会話が出てきてから、その章の本題が始まる。
その会話が妙で、しかも登場人物がアダム・スミスとかエッジワースとか、マルクスとかレーニンとかで面白い。

慶應大学三田キャンパス、大学院棟6階、エレベーター前からの中継でした。

理系の小説家

2007-11-21 18:23:41 | Private・雑感
「面白い」小説が書ける人は、絶対に理系頭脳の人だと思う。
「きれいな」小説が書ける人は、文系かもしれないけど。

きっと、三島由紀夫は理系に長けてると思う。川端康成は文系の匂い。

ドナルド・キーンが日経の夕刊かどこかでインタビューに答えていた。
2人は不幸にもノーベル賞に翻弄された、と。
三島はノーベル賞がほしくてしょうがなかった。
川端は、ノーベル賞を取ったがために、後世の伸び悩みに苦しんだ。

経済学の論文も、小説のようなものだ。というか、小説家になったみたいな気分で、
きっと書き出しが書ければすべて書ける。
でもクライマックスを詰めてからでないと書けない。

私はきっと、小説家にはなれない。
新聞記者は、そういう意味では小説家よりは向いてると思う。

ちょっとがっかりメモ

2007-11-18 21:40:39 | Public

東京新聞がいいこと書くと、ちょっと嬉しいがってる自分が居る。

この間の記事の「人」みたいなコーナーで紹介されていたのが尾藤廣喜弁護士。

http://www.okinawatimes.co.jp/jin/20071111_1.html

思い出して検索してみたら、沖縄タイムスで出てきた。

共同か・・・ちょっとがっかり。

でも、ひと段落したら水俣病のこと、もう一回調べなおしてまとめてみたい。

 


映画・ヘアスプレー

2007-11-18 21:29:19 | Movie

「疲れるくらい面白かった」

と見終わって言ってしまったくらい、面白かった。

楽しいだけでなく、歌が上手いだけでなく、おかしいだけでなく、ストーリーもセリフもパワフルに面白い。

観てない人は、是非誰かと一緒に。

ヘアスプレー」の紹介でした。

 

この映画のおかげもあって、思った以上に楽しい一日でした、昨日は。精神的健康には、恋人ではない友人とのデートが一番ですね。


行為と認識

2007-11-17 00:19:44 | Public

世の中を変えるのは「認識」だ、という柏木に、

「行為」だ、と応えた彼は、

マッチ片手に「行為」の一歩手前で考えた。

「一歩手前まで来て、もうこれはことをなしたことと同じではないか、ここで行為に及ぶ必要があるだろうか?」

 

小説は、決して「奇」ばかりではない。「奇」に見えても、どこか納得してしまう、共感してしまうような、それぞれの人間が持つ感情を、抽出しているだけだ。

『金閣寺』、面白かった。


大連立って。

2007-11-09 00:54:50 | Private・雑感
うーん。

ドイツは大連立ですよね。2005年から。
なんだかうまくいっているように見えるが、
よく知らない、ドイツの政治。
でも、社会保障でも、労働問題でも、経済でも、
特に日本と似た問題を抱えている、はず。
財政赤字も大きかったはずだし。
連邦制ではあるけど。。

具体的に、どんな共通の問題があって、
二国がどんな政策解を選択してきて、
どのように異なる現状があるのだろうか。
一度はしっかり調べてみたい。

でも直感的に、なんだかドイツのほうがうまくいってる気がする。

戦後の、アメリカの一括統治と、複数国(アメリカ・ソ連・イギリス)
による分割統治が分かれ目だったのか?

ナチス独裁政権の経験、冷戦の経験が関係あるのか?

よくわからないことは、気軽に書ける。
ということです。

(追記)
と書いた翌々日に東京新聞で特集。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2007111002063290.html

読んだけど内容忘れちゃったので
また今度。


なぜなぜなぜ?

2007-11-07 01:33:03 | Private・雑感
また、アフガニスタンで自爆テロ。
国会議員も5,6人死んだとの報道。

アフガンやイラクで自爆テロが多いのはなぜか?
何のためなのだろう、いや、ほんとに。
自爆テロを続け、何を達成するのか、
恨みを晴らす?資源の利権?
ベトナム戦争で、ゲリラ戦を繰り返した
北ベトナムが米軍擁立の南ベトナム軍を
倒したように、
彼らもそんなストーリーを実現させようとしているのか?

・・・泥沼化した、といわれたベトナム戦争ってどうやって
終ったんだっけ。

あと、どうしてにわかにイラクとトルコの国境が
緊迫してきたのか?
1930年代(だったかな)のトルコ政府によるアルメニア人虐殺(の疑惑)
が米国議会で非難決議が出たのは、
その緊迫状況の部分的要因?それとも結果?
何か引き金があったのか?

国境付近では、トルコ側に600もの企業がひしめいて、
貿易業を営んでいるらしい。
彼らはもちろん、戦闘状態、国境閉鎖政策(まだしてないけど)
を支持していない。
「そんなことしたら、オレはPKK(クルド人愛国党)と一緒に
 トルコ軍と戦うよ」
というのが東京新聞に載っていた。
経済は政治の緊迫を解消できない?

・・・と思っていた疑問を連ねてみた。
忌々しい明日の授業の準備の息抜きに。

明日の、輪読の担当部分は「貧困の救済」。
でも、結局「観測の難しさ」の話、「観測する際に気をつけなくちゃいけないこと」
ばかりでおもしろくない。

というか、何も面白くない!

逆に、面白いもの、面白い理論は実証不可能orデータ不足、データ入手困難。
よって、オリジナルな実証分析は、面白くないことを題材にせざるを得ない、
ような?

まあいいや、あと数ページ、早くやって寝ようっと。

アフガニスタンへの自衛隊派遣―――日本とドイツの違い―――

2007-11-04 21:14:26 | Public

民主党の小沢党首が辞任を表明した。


福田首相の連立要請、それに先立つテロ特別措置法の譲歩(小沢さんの主張する、「国連決議で認められた活動には参加し、現在の給油活動からは撤退する」というものへと歩み寄る)に、賛同し、かつ民主党内で否決されたためだ。


今回は、この狸親父顔の小沢さんは腑に落ちる行動をしてくれた、と感じた。それは、最近、テロ特措法・・・というより、憲法九条を抱えた日本が、どのように国際貢献していくかという方向性において、小沢さんの案は筋が通っている、と思えたからだ。


◆日本の海外自衛隊活動の現状


問題になっているアフガニスタンでの治安維持(的)活動は、2種類ある。


(1)ISAF(国連治安維持部隊)


:ボン和平合意に基づき、国連による紛争解決後に組織された「部隊」。日本は未参加。小沢さんはこれへの参加を提案している。


(2)OEF(不朽の自由作戦)を進める米軍主導部隊


:安保理の決議(1368)を楯に、アフガニスタンを攻撃した米軍が、カブール陥落後も駐留し、オサマビン・ラディン氏の捜索、アルカイダの残党を殲滅させることが目的。日本がこの部隊への給油活動をしている。


日本は今まで、(2)=日米同盟を重視、「人の死なない、安上がりな」国際貢献、を選択してきた。これは「国連中心主義」に反するじゃないか?・・・2001年の戦争勃発直後は、そうでもなかった。アメリカの攻撃は、国連が「集団的自衛権の発動をしても仕方がない、むしろテロとの戦いには国連もあらゆる必要な手段をとらなければと思います」と決議した後に始まったものだからだ。


しかし、カブール陥落、和平へのステップのときに、このアメリカの攻撃的活動は、国連が認めたものではなくなった。日本の、米軍活動への支援(日米同盟重視)が、国連中心主義と「ねじれ」たのはこのときである。


これを踏まえ、小沢さんは、「戦争終結後は、国連活動であるISAFに参加しましょう」と言っているのである。すなわちこれは、(1)=国連中心主義、「人の死ぬ可能性のある本格的な」国際貢献、の選択である。


◆日米同盟のコスト


私が、小沢さんの意見に賛同する理由がいくつかある。


1)筋が通っている。憲法九条という解釈範囲の広い問題を、持続的に納得させることができる解釈にするためには、論理性が必要。


2)アメリカの活動より、国連の活動のほうが(まだ)国際貢献として有用だと信用できる。


3)米国傘下からの脱却。自衛機能として他の道を模索すべき。


である。特に、(3)、「同盟関係」でなく「傘下にある」状態から脱却しなくてはまずい。なぜか?この軍事同盟のコストが、非常に大きかったのではないか、と最近思うからだ。もちろん直接的には、国内における米軍駐屯地の提供等がある。しかし、これが経済制度変革にも及ぼされているのだと考えると、それどころでなく、日本の会社で働くすべての労働者に関する不利益になってくる。


『拒否できない日本』/関岡英之


http://www.amazon.co.jp/%E6%8B%92%E5%90%A6%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%B9%E9%80%A0%E3%81%8C%E9%80%B2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%96%A2%E5%B2%A1-%E8%8B%B1%E4%B9%8B/dp/4166603760/ref=sr_1_1/249-0807596-1575558?ie=UTF8&s=books&qid=1194181009&sr=1-1


『誰のための会社にするか』/ロナルド・ドーア


http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%B0%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8B-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89-%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%A2/dp/4004310253/ref=sr_1_1/249-0807596-1575558?ie=UTF8&s=books&qid=1194181073&sr=1-1


(最近周りで話題だった本である。前者は、日本の「規制改革」:商法改正による持ち株会社、社外取締役制、委員会設置会社、時価会計導入、司法制度改革による裁判員制度、ロースクール設置、弁護士数増加政策などなどが、いかにアメリカの利益計画の下、アメリカの圧力によってなされてきたかが書かれている。後者は、特に金融自由化や、会社法改正などによる「株式会社の可視化」がもたらした労働環境の悪化、株主利益の増大のしくみなどを書いている。)


◆なぜドイツになれなかったのか


話がそれた。軍事同盟→アメリカによる経済政策への圧力、は飛躍的だし、直接的には貿易黒字などによるものでもあるだろう。とにかく、小沢さんの国際貢献方針は、少なくとも現在より理にかなってると思う。


この国際貢献の話と、上記二つの本、国際舞台における印象において、日本とドイツは非常に対照的である。


日本:敗戦国、安保理の常任理事国ではない、後発的先進工業国、アメリカの軍事的傘下、対米貿易黒字、アメリカ文化(株式会社など)の受け入れ、最小限の国際貢献


ドイツ:敗戦国、安保理の常任理事国ではない、後発的先進工業国、EUの成立に主導的役割、労働者保護、社会福祉制度の充実、環境立国としての地位確立、独自の判断で、ISAFと対テロ作戦の両方に兵員を派遣


戦後、いくつかの共通点に対し、ドイツはEUという、歴史と価値観を共有できる国々と対米拮抗力を持った。


対して日本は、アメリカという一国に依存し、軍事的政治的金銭的コストを最小限にしてきた。他のアジアの国々と「拮抗力」を培う選択肢はなかったのだろうか?


最近の私には、日本という国が、国際的役割としても、国内経済や(株主、消費者ではなく)労働者の労働環境政策においても、二流の国に見える。