ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

EXCITING

2006-10-31 08:56:45 | Public

ほんとに、冬になったみたいだ。咳が出る。おそらく、空気がそうとう乾燥しているのだろう。

今日はreally exciting な一日だった。9時半に寮を出るとき、メールボックスをチェック。小包を発見して興奮しながら学校に向かう。母がいろいろ送ってくれると言ってたからそれだろうな、わぁわぁと思いながら。
授業が始まる前に名前を確認したら、それは友人からだった。中身を書けばゼミの人はその差出人が誰だかわかるだろうな、と思うような、彼らしい差し入れだった。にやにやしながら帰宅。
もう一度メールボックスをチェックすると、あらまたもう一つ手紙が!私かしら、ルームメイトかしらと確認したら、私宛だった。スーパーで買ったものもそのままに封を開け、手紙を読む。

ああ、これだからメールボックスのチェックはやめられない。

そして、送ってくれた文庫本のを読み始めた夕方。止まらない。日本語はなんて美しいんだ、と思わせるような一冊。

Anyway, 今日はこれまで。少しポーランド3日目を書き始めたけど、これまで。

◎ポーランド3日目その1

朝8時前に起床、少し寒い。そそくさと宿を出て中央駅に向かう。今日こそトラムを乗りこなして少しは足に優しい一日を、と思ってトラムマップをもらうためである。早足で宿に帰ってきて、コーヒーとチョコパンで朝ごはん。

朝一で、キュリー夫人博物館に向かう。小学生の頃、マンガ歴史人物シリーズで、何度も何度も読んだ、あのキュリー夫人だ。私の中では、ポーランド、ワルシャワといえば彼女で、ロシアのワルシャワ占拠と言えば彼女たちの悔しそうな顔が浮かんでくる。


化学反応?

2006-10-30 03:56:19 | Public
疲れて、ベッドにごろんとなって『方丈記』を少しだけ読んでいた。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
・・・
 朝に死に、夕べに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。又知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つ事なし。


という出だしが妙に好きで、だいたい最初の部分だけぼんやり読んで本を置く。

なぜだかわからないけど、特に真剣に将来のことを考えていたわけではないけど、
「やっぱり高校の先生になろうかな」
と思った。なんというか、
「素敵な高校の先生を目指して将来を考えるのって、悪くないかな」
と思ったのだ。方丈記を手にする前に、来週末に行くスウェーデンのガイドブックを見ながら、その歴史(2ページ)を読んだり、最近やっと親しみの出てきたデンマークやスウェーデンの王様の名前を思い巡らせながら、「ああもっと歴史の勉強しなくちゃ」と思ったことが関係しているのだろうか。意味不明な私の頭。

そのために、国家一種に挑戦して、国の下で働いてみるのも悪くないかなって。ベトナム人の彼と少し将来の話をしたことも関係しているのだろうか、どうなの、私の頭よ。

彼は、アムステルダムで学士を卒業した後、どこかで働き、将来は起業する予定、あくまで予定、と言う。ITを専攻している彼ら(ポーリッシュの彼もそんな感じの夢を言っていた)には起業がとても近しいのだろう。起業するためにITを選んでいるのかもしれない。

最近、そんな彼らや、去年このセメスターを終えた後に進路を考えていたらしい先輩や、今ちょうど悩んでいるらしい先輩、今も働いている友人たちのことが、自然と頭に住み着いている感じがする。だから、想像を超えた思考回路を経てこんなことふと思うのだろう。


国家一種に挑戦してなんだかの職を得て、働いて、結婚して、旅行して、ゆっくり高校の先生を目指したり出来ないかしら。


「高校の先生」という職業が私にとって身近で魅力的だなと思うのは、もちろん自分の(自分にとって素敵な)高校生活の経験がある。それにプラスして、こっちで、日本に居るときよりは多様な教育制度経験者たち(友人たち)の話を聞いたりする中で、教育というものの重要性、というよりはその影響力の恐ろしさを前よりも感じるようになったことが関係していると思う。日本で考えていたより、将来の選択は自由に満ちている。恐ろしいほどたくさんの選択肢があるらしい。だから教育って大切なんだと思う(説明するのが難しくなってきたのでこの辺で簡単にまとめてしまいました。)

「起業することは考えないの?」

と彼は言った。

「起業とかって、やっぱりある程度自分だけ、自分の利益を第一に考えないとやっていけない厳しい世界だと思う。あんまり得意じゃないと思うんだよね私。」

と答えた。

別にかっこいいことを言いたいわけではなくて、自分のバランス感覚に自信がないだけだ。舵取りの価値観を、自分の不安定な効用関数ではなくて、もう少ししっかりしたところに置きたいと思うだけだ。

おそらく、またふっと無責任に気が変わっていくのだろうと思う。まだまだ許されるよね、心変わり。


昨日観た、「ビフォア・サンセット」(「ビフォア・サンライズ」の9年後バージョン)の女性がとっても魅力的で、そのセリフたちが輝いていた。この2つは最近のお勧め。何はともあれ、今日から冬。お風呂とこたつのない冬なんて、考えただけでも心寂しいものがある。あぁ少しは賢くならなくては。

ウィンタータイム

2006-10-29 17:21:59 | Public
アムステルダムからベトナム人の友達が訪ねてきて、さっき、朝一のバスで帰っていった。

早朝7時45分にコペンハーゲン中央駅出発の予定だったから、6時に起床、朝食を食べてバスで駅まで向かった。よしよし、7時10分くらいに着くから余裕だな、と思っていたら、なぜかバス内のデジタル時計の表示がおかしい。

6:04

??そんなわけない、、「Oh, shit!」今日からウィンタータイム(?)すなわち昨日でサマータイムは終わり、今日、10月の最終日曜日から時計を一時間早めなくてはいけないのだ。知らなかった、なに、今6時台!?私たち、5時に起きたの?何、もう一時間寝られたってこと!?

一時間お茶をして、無事送り届けた。あぁなんてハプニング、でも楽しい1時間だったから素敵なハプニングということにしておこう。

たくさんおしゃべりして、日本のこともたくさん話して、なんか温かい2日間だったなぁ。「You should come to Japan!」と言って別れた。きっとまた会えるでしょう。

さあて、probablly 今朝の9時半前。もう一眠りしよう。

ふらふら

2006-10-27 04:31:26 | Public
◎新出単語
causality : 因果関係
settler : 開拓移民
slaughter : 大量殺人
ally : 同盟する

昨日、友人がパスタを作ってくれて、一緒に映画を観て、就寝が2時半。彼がなかなかキュートなんだな、ブレイブハート(映画)の話で盛り上がった。でも観た映画は「アメリカンパイ」、はちゃめちゃコメディーで面白かった。

2つ、約束があって、ただおしゃべりして、論文を読んで、手紙を書き、カレーライスの残りを食べ、もう夜の9時。なぜ?

明日、アムステルダムから友人が来るのでデンマーク予習を少しして、ついでに来月に行くストックホルムのページも見て。なんて非生産的な一日。

おいしいものをゆっくり食べられたとしても、食べ続けてたら気持ち悪くなるし、運動しなければ健康でもないし。すなわち全てはバランス。で、何がバランス感覚を健全に保つかというと、それは何かひとつのプライオリティーだと思う。譲れない一番の目的。それがあれば、ふらふらしても、思いっきり遊んでも、旅行をしても、また健全にスタートを切れる。

少なくとも、日本に帰ったときにはそれが自覚できていればいいけど。

ポーランド2日目その2

2006-10-24 03:39:10 | Public
WARSAW RISING MUSIUMに着く。1944年8月、ワルシャワ市民はソ連軍の援護を期待しながらドイツ軍に蜂起を開始した。その様子を丁寧に追った、近代的記念館である。暦は8月1日から始まり、69日間、1日1日を追う。写真、ラジオ、ナチスの鎮圧、武器、そして破壊された街。ドイツ軍にはるかに劣る古い手製の武器を手に、大人も子供も苦しい顔で戦う姿は、映画で見た「レ・ミゼラブル」を思い出させた。レ・ミゼラブルは18世紀、ワルシャワ蜂起は20世紀の出来事だが。2004年8月1日、ワルシャワ蜂起60周年を記念してオープンしたこの記念館は、きっと新しいワルシャワの必須訪問地なることと思う。

疲れて、早めに宿に帰ってくる。手にはパンとチーズ、ビールとレトルトのスープ。なんというか、住めば都と感じる私の単純さには自分でも笑えるが、すっかり違和感を感じなくなっている。キッチンがわりと小奇麗にしてあるのがいい。

夕食後、ダイニングで本を開いたところで宿で働いてる男の子と話し始め、なんだか長話。パートタイムで大学に通う彼は、デンマークへの留学を考えているらしく、HOW IS DENMARK?と聞いてくる。うーん、難しい。

何を話したっけ、大学のこと、デンマークのこと、英語のこと、ポーランドのこと、FUCKIN GOVERNMENTのこと、、シンプルな表現しか使えない二人、どんどん気にせずにダイレクトに質問が出来る。

彼に誘われてレセプションでピザを食べる。パソコンを前に、もう一人の男の子も混ざって変な会話が続く。だってこの人、変なことしか聞かないんだもの。「日本人は小さいから赤ん坊も小さいんだろう?」とか。しまいには日本の伝統音楽を教えてくれというから、尺八と三味線、琴をネットでサーチ。「寝るときにいいんだ」というけど、何もなくても寝られそうなズウタイなのになぁ・・・話しつかれて12時半くらいに就寝。



ポーランド2日目その1

2006-10-23 01:09:05 | Public
12月13日(金)

疲れていれば、ぐっすり寝られる。怪しげなこの宿で快眠、そそくさと支度をして、8時過ぎに宿を出た。今夜どうしようか決めないまま、荷物はロッカーの中。

少し寒いが、明るい青空に気持ちが踊る。まだ静かな街の中を、メイン通りである新世界通り、クラコウ郊外通りを抜けて、旧市街へと向かう。ひとりポツポツと歩きながら、何がしたいんだろうな私、と少しセンチメンタルになる。この場所に、何を期待して、何にがっかりするのだろう。CONFOTABLE なときには感じない疑問。好奇心が低下している兆候?少し寒いからだろうか。同時に、他の友人たちは一人旅のとき、何を考えながら(おそらくこんな風に)道をふらついているのだろう、と思ったりもした。



誰か有名な新聞写真家の作品が、大きく引き伸ばされてクラコウ郊外通りに面したところに並べてあった。戦後、馬を使って街を整備しようと試みる市民たち。水道管の漏洩に水が垂れ流しになっている街。寒いから、背筋を伸ばしながら見た。そういえばポーランドの情報は全てモノクロの印象がある。私が何も知らないからかもしれない。

旧市街まで来ると少し疲れた。でもまだ9時過ぎ。戦争で全て破壊されたのち、この旧市街は全ての市民の力で忠実に再建されたという。朝の光に映える旧市街広場は、とても平和な空気。温かくなってきたので気持ちも晴れてきた。昔街を囲んでいたという城壁、要塞に登ってみて深呼吸。ショパンのマズルカを聴きながら。


10時のオープン時間を待っていたのはワルシャワ歴史博物館である。旧市街広場に面した一角の建物は、外から見ると普通のアパート風なのだが、どこをどう利用したのか中身はものすごい量の展示だった。

そんなにお客さんが多くないことと、館内が小さな小分け部屋のつながりという構造になっていたことが重なって、見える範囲には学芸員(?展示品を見張っている人)しかいない。そして小分けになった部屋ひとつひとつに学芸員が居るので、なんだかプレッシャーである。

1階から順に、古いワルシャワから現代のワルシャワへと展示が移っていく。2階だか3階だかに上がっていくまでは、西洋とは少し違うテイストの文化を持った、それでもやっぱりヨーロッパの印象。とても充実していて良い博物館なのだが、私には「彼らの職場としての博物館」という面白さがあった。紅茶を横に置きながら、ある人は厳しい目で、ある人はリラックスして、部屋に入ってくる私を見る。

戦前、戦後の展示になった頃にはもう疲れていた。朝も早かったことだし。。それでも、大きく引き伸ばされた、戦後すぐのワルシャワの写真には身震いがした。窓と天井のない、もうそれは家々ではなくて生き残った壁の連なり、といった風景だった。ソ連、ドイツ、ポーランド人、ユダヤ人(20世紀初頭ユダヤ人の割合は30%に達していたという)、さまざまなプレーヤーがポーランド、ワルシャワの地に居た。(ので少しややこしく、英語の説明では分からない部分も多かった。。)
そして戦後には人口構成はがらっと代わったらしい。今ではポーランド人口の97%がポーランド人だという。
http://www.poland.or.jp/poland/column001.html

楽しみにしていたお昼の時間、ポーランドの料理が食べたくて、少し歩いてみる。バルバカンを抜けたところに「Bar」の看板を発見。ポーランド流の食堂らしい。入ってみると、まさしく。ポーランド語のみの表示。こっそりガイドブックの料理名を参考にしながら、ピエロギを頼む。ポーランド流の餃子、という解説だが、、小麦粉のお団子に、バターと砂糖が乗っている。うん?具はないのか!?食べてみるも、想像できる味、すなわち(日本人)好みではない。それだけ食べるのは厳しくなって、スープ(ジューレック)を頼む。お、おいしい!おそらく日本人には親しめる、体のあったまるジャガイモのスープである。二つで200円ほど。食べたら体があったまって眠くなった。


ぼぉっとコピーしたガイドブックを見ていると、同じテーブルに一人の男性が座る。何気なく話し始める。とてもきれいな英語、推定32歳。ここの近くで働いていて、お昼を食べに来ているという。今は時間がないが、いつでも連絡してくれ、案内するよ、と言ってくれた。携帯の番号を交換して分かれる。人と話す、というのは健康的な活動だ。

そこから近い、キュリー夫人博物館に行く予定だったが、歴史博物館の後だったことと、彼がおすすめしてくれたこともあって、「ワルシャワ蜂起ミュージアム」に行くことにする。

「クラコウにも行くんだ、いやあそこはワルシャワよりずいぶん素敵な街だと思うよ。すべてオリジナルだから。ワルシャワは古く見えても再建された街だからね。

ワルシャワなら、WARSAW UPRISING MUSIUMをお勧めするよ、YOU KNOW, IT'S IMPORTANT.」

新しいからか、ガイドブックには載っていなかったその場所に向かう。まだトラムの地図を手に入れてなかったから、少してこずった。

ポーランド1日目

2006-10-22 22:50:59 | Public
今日から少しずつポーランド旅行記を書き溜めることにします。

・・・

10月12日(木)

 前日の夜、インターネットが早々にダウンしてしまったおかげで、早起き、あわただしい出発の朝。ガイドブックのコピーをしに学校へ自転車を飛ばす。本日曇り。

帰って来ると、あれ、部屋のドアが開いている。ルームメイトは昨日ロンドンに旅立ったはずだけど・・・!?そこにはこの寮のメンテナンスをしてくれているおじさん(通称JJ)がインターネットコネクタを設置してくれていた。嬉しいが、、、こちらは急いでいる。パッキングもまだ。ぶっきらぼうに対処して、いざ12時過ぎにコペンハーゲン中央駅バスに乗る。荷物がずいぶん軽い、忘れ物ないかなぁ。。

 その道の途中、バスがエンストするというアクシデントを乗り越え、マルメ(スウェーデンの端っこにある空港)行きバスに乗った。眠い。前日に見た映画、「Before Sunrise」が大層気に入って、その音楽をMP3にインプットしてきたことを思い出し、MP3を取り出す。・・・イヤホンの接続が悪い。片方の音が聞こえない。

音の物足りなさに、少し笑えた。というのも、なんだか私のデンマーク生活を象徴しているかのように思えたからだ。わかるんだけど、リズムに乗れるんだけど、いまいち全部把握してない気がする、情報が足りてない気がする、、気にしなければ気にしないでいいんだけど、気にした方がいい気がする、というような。国境である端を渡る手前にデンマークの空港を横切る。EXACTLY2ヶ月前、8月12日、私はこの空港に着いたのだ。自分では何が変わっているのかよくわからないけど、、もうほとんど折り返しに来ている留学生活。


 小さな飛行機に揺られ、18時、ワルシャワに着く。所要1時間。ターミナルの小ささに唖然、不安を感じるが、歩いて5分のところにメインの大きなターミナルがあった。キャッシュを引き出し、ワルシャワ中心街までバスに乗る。もう辺りは暗くなっている。なんとなく治安の悪そうなイメージのある東欧で、少し気を張りながらの30分。急に大きな街に着いた。

予約はしていないけど、チェックしてあった宿に向かう。住所は合っているのに見つからない。少し焦る。その住所の場所に行くには鉄格子のドアがあって、中は暗いし「ホステル」なんてありそうもない雰囲気。鉄格子の右側に小さくホステルの名前があった。番号を押すと、電話がつながるらしく鉄格子を開けてくれた。あぁドキドキする。

3階のドアにホステルの名前が書かれた紙が張ってあった。入ってみると、2人のお兄さんが何か治している。ちょっと、既成概念を破壊するような古くてノンオーダーなたたずまい。ただの広めの家にベッドがついでに並べてある感じ。部屋に鍵はないし。ま、でもいっか、問題あれば明日換えればいいし。30zt(1100円くらい)を払って荷を降ろし、夜の街に出てみた。


ここはワルシャワ中央駅付近。目の前に文化科学宮殿、大きくまっすぐな道路の脇には大きなショッピングモール。行き交う車のライト、トラム、バス。にぎやかというか、ちょっとうるさい感じ。その整列具合と無機質な感じに疲れを感じる。大きなスーパーマーケット(たぶんドイツ系)に入り、水などを買う。スーパーを見るだけで、デンマークよりは素敵な食卓が目に浮かぶ。。

さてビール。カールスバーグ(デンマークのビール)の横に「ZYWIEC」という缶が並んでいた。これとどっかのサンドイッチでベンチで夕飯、と思いながらスーパーを出る。通りは仕事帰りの人がスタスタ地下鉄の駅へ向かっている。そんなに寒くはない。

フランスパンのような形のパンを半分にして、ピザっぽく焼いたものがポーランド人のサンドイッチ代わりのようだ。100円くらい。通りのベンチでビールと一緒に食べる。ビールは苦味が少なく、おいしい。ピザパンはソースが少し甘すぎて私にはいまいちだった。相変わらず人々はスタスタ歩いている。うーんここはただの都会?と少し拍子抜けしていたら、お兄さんが近づいてきた。

「DO YOU SPEAK ENGLISH?」

何が続くのかと思うと、

「IN POLAND, IT IS ILLIGAL TO DRINK ALCHOLE IN PUBLICH PLACE...」

!?

インサイドか、パブなどでしか飲んではいけない、罰金100zt(3500円くらい)課される、というのである。幸運にも彼は警官ではなくただの善意ある一般市民。驚きながら、「I see」とホステルに帰ろうとすると、「HIDE HIDE」と言う。腕に隠しながらホステルまでの短い道のりを歩く。あぁ、知らなかった。スーパーで買った水もガス入りだったし。ポーランドが嫌いになりそうだ。。

ポーランド

2006-10-20 16:17:01 | Public
ポーランド、7泊8日の旅から昨日帰ってきました。

旅をしたからといって、その国についてわかることなんて少ししかない。もちろんもっと歴史やその他、勉強していけばその幅は広がるに違いないのだけど、それでも「ポーランドって」と言葉で表そうとすればかなり難しい。

そこに暮らす人間が一番の刺激的な情報源だ、と思う。その人がポーランド人を代表しているなんて思わないけど、違う国、違う歴史、違う言葉の中で育った人間の言葉が自分にとって有益であることは間違いない。


何日かを一緒に過ごした後、空港まで車で送ってくれた彼とお昼ご飯を食べていたときだ。

「旅の終わりには、帰りたくない気持ちと帰りたい気持ちが半分半分だ」というようなことを私が言った。「とにかく、何かProductiveなことをしたくなる、しなきゃいけない気持ちになる」。

すると彼は、
「毎日、ProductiveとUnproductive、半々くらいが丁度いい」とさらっと答えた。パートタイムで、週末だけクラコウの大学に行き、その他の日はワルシャワでパソコンを直したりホステルでバイトしたり、旅行したりとまさしくその言葉を実行しているような彼。現実的だけど身軽に生きてる。そして確実に将来像に近づくステップを探している。顔と英語はそんなにかっこよくないけど、なんだかかっこよかった。


ポーランド人の印象は、「健康的」。食べ物もとってもヘルシーで温かくておいしいし、メンタルな面でも、なんだか健全だなぁと感じることが多かった。戦争、冷戦、システムの変動は未だに続いている。21歳の女の子でさえ、旧制度の8年生小学校に通っていたという。27歳の男の子も、小学校でロシア語とドイツ語を勉強させられたという。

そんな彼らは、システムは動くもの、動かすものだと知っている。そしてビジョンの大切さを知っている。だからこそ、自分で自分のビジョンをしっかり持って、自分のステップで夢に近づく努力をする。大学生の留学率はかなり高いらしい。


とりあえず、ポーランドが好きになって帰ってきました。旅行記が書けたら良いけど、、全ては23日以降。さあて洗濯が終わったらテスト勉強!

意気込み、忍耐

2006-10-10 18:04:09 | Public
◎新出単語/確認単語

smirk : にたにた笑い
grin : 大笑い → shit grin : 嘲り笑い、非難をこめた大笑い
appetite : 食欲
self-will : 頑固さ、わがままな
functional person : 機能重視の人

・・・
月曜日は一番大学生らしい一日。
午前、開発経済学っぽい大学院の授業、2時間。
夕方、国際経済学の大教室講義、3時間。

夕方の授業は、いろんなトラブルがあって教授が何回か変わった。今の教授は、大好きだ。今までの2人の教授は、ただクルーグマンが用意したテキスト用パワポを使って説明していて、はっきりいって退屈だったが、今のAnders教授は3時間、しっかり生徒に訴えかける。留学中、毎日、コミュニケーションって?と考えるきっかけがある気がする。まずは「相手に伝えよう、理解させてやろう」という意気込みだ。1対多の場合かなりエネルギーを要する(がゆえに多くの教授が放棄する)この意気込みを、彼はやってのける。ところどころ、

question? suggestion? comment?

という文句をはさむ。彼の口癖のようなものだ。
この授業も今週で最後。・・・it means 半セメスターが終わりかけてる!?

・・・

前に書いた、7時間のおしゃべりの中で、彼が

「半年も恋人と離れるなんて考えられない」

と言ったとき、私は即答で「I dont think so」と答えた。
なんで?と聞かれてから考え始めたけど、うまく答えられなかった。だって自分は、失恋した経験があるし!?

それがきっかけで、少し(ほんとに少し)考えてみたのだけど、上の意見が

「半年、留学が理由で恋人と離れるなんて耐えられない」

と同意だとしたら、私は「耐えられる」と思う、ということなんだと思う。・・・恋が終わるとしても、耐えられる、という意味も含めて。もし留学とか、その理由に納得していれば、「耐える」ことは出来るのだと思う。続けることは出来なくても。・・・それじゃ意味ないって?うーん、そうかも。まぁ、ただ考えてみただけです。

あさってからポーランドに行きます。最初はブダペストIN、ワルシャワOUTだったのだけど、飛行機の予定が勝手に変更されたゆえに、今回はブダペストはスキップ。

天気がよくない。けど自転車を飛ばせば気分爽快、まだそんなに寒くはないコペンハーゲンです。

7時間

2006-10-08 19:01:22 | Public
◎新出単語
high maintenance girl : お金のかかる女の子
well-made : よく出来ている
mine : 鉱山

・・・

昨日、ひとつ初体験なことがあった。・・・気が付いたら7時間半、友達と話し続けていた。so amazing!夜の7時に彼のうちについて、次に時計を見たときは夜中の2時半。本当にびっくりした。実際、時計を見た後、彼に

「今何時かわかる?私の時計壊れてるみたいで、、旅行前なのに困ったわ」

と聞いてしまった。

特別何を話していたというわけではない。でも、上述の「high maintenance girl」って単語はちょっとヒットだった。たぶん、私はhigh maintenance girlじゃあないと思う。


詳細は省くが、2歳年下にしてヨーロッパのいくつかの国に住み、家族と、友達と、ものすごい多くの国に旅行している、ノルウェー国籍でコペンの大学に通っている彼。ちょうどおととい、彼の弟はイギリスの大学に入学したらしい。

私が、デンマークは好きだけど、住みたくはないなぁと言ったら、彼は

「うん、僕も。でもノルウェーも好きじゃない。だってso boringだよ」

と、さらっと自分の国(?)を否定して見せた。客観的に評価出来てしまっている気がして、彼がちょっとスマートに見えたけど、反面、客観的過ぎてちょっと寂しい気もする。彼は今日本語を勉強しているから、きっと日本にも住むんだろう。彼が選ぶ永住の地が気になる。私は、確実に日本がいい。


彼と話している中で、ひとつ。

「なぜ、同じアジア人でも、(ヨーロッパ人の子達が他のヨーロッパの国の子達に感じるかもしれないものと比べて)私が中国、台湾、香港、シンガポール、タイ、その他の国から来ている子達に違和感を感じるか」について。

ひとつの要因は、「彼らは総じて、日本を目指し、日本みたいになりたがってるように感じるから」というものじゃないかという話をした。経済にしろ、文化にしろ。フランスはイギリスになりたがったりしただろうか?否。でもアジアではある程度trueな気がするのだ。

文化、特にアニメの効用って大きいと思う。幼い時に備わった好みは、大きくなっても絶対的なものだ。なんて偉大なんだ、ドラゴンボール。

話が少しそれた。まあいいや、また今度書くこともあるでしょう。


・・・
以下、昨日一日についてのメモ。

金曜の夜は、遊びに出かけ、3時半に帰ってきた。キュートなイタリアンの男の子と一緒に自転車で。彼は私と、もう一人のイタリアン女の子のお兄さん的存在。私と彼女は英語がちょっと、苦手だから、彼がさりげなくいつもフォローしてくれる。

洗濯して、ルームメイトとちょっと長話をして。で彼女が家族に電話してる間集中できず。アメリカで、数学とビジネスを専攻している彼女の大学のシステムは、けっこうハード。1つのセメスターに3、4回テストがある。でもそのテストによって「先生が何を教えたいのか」知りながらやっていくの、というスタイルは悪くない気がした。数学だし、ビジネスだし。

来週の旅行のために予約した航空会社からメールが届く。
フライト時間が変更!?次の日に!?未だ驚いたまま。どうしたものか。

夜7時前。支度をして彼の家へ。