妻37歳、夫39歳、子ども7歳、5歳、1歳。夫婦共働き。現在、会社の借り上げ社宅のため家賃補助が6割あり、それがあと3年ほどでなくなる。家の購入を考える典型的なタイミングではあるだろう。こういう個人的関心と、もともと持っていた「持ち家社会」への違和感から、ちょっと高いがこの本を買った。著者の平山洋介氏は、『住宅政策のどこが問題か』を読んで、いろんな疑問をスッキリさせてくれた人でもある。(
当時のブログ)前著の感想と被るところもあるが、自分が印象に残ったところをしっかり目に書き留めることにする。以前と違い、今は当事者感は少しあるので・・・。
◆日本の住宅政策の特徴
・公的住宅が少ない/劣悪な民間借家が多い
マイホーム施策を推し進めると同時に、公的住宅を拡大せず、公営住宅に入れる人を絞り込んできた。公営住宅の位置づけは、「就労可能な家族」(単身者は長年対象外だった)であり、「いつかマイホームを持つ人」。マイホームが持てず、公営住宅に入れない人はどこへ行ったのか。
ひとつは社宅。国は社宅の建設に多額の融資をした。企業としても社宅という不動産は資産となり、銀行から融資を受ける際の担保力にも寄与した。
会社から財形預貯金での優遇を受けての持ち家支援も、広い意味で企業関与の住宅取得と言える。これは企業にとっても低金利で資金を得ることができるというメリットもあった。1960年代からはこちらにも力をいれた。本著には記載はないが、転勤制度があっても会社を去りにくくする効果もあったのではないか。
もうひとつは、民間借家。ただこれは、良質なものが出てきにくい環境だった。借家人を守る(そのことで公営住宅に来させない?)ために、賃料は上げにくく、退去させにくい仕組みがあった。一方でそのための政府の補填があるわけではない。結果、施設更新がされなかったり、短期で資金が回収できるような「劣悪な民間借家」が受け皿となった。
この背景に加えて、1985年から1990年代は、地価が高騰してきたのと相続税法の変更により、相続税対策としても賃貸住宅の建設が「得」となり、アパート建設がブームとなった。
・他国で見られる”社会賃貸セクター”がごっそり抜けている
上記の、「マイホームと公営住宅の間」の層に対して、欧米(スウェーデン、ドイツ、フランス、オランダの国名が出てきた)では、社会賃貸セクターが受け皿となっている。何らかの公的援助のある住宅で、自治体、公的機関、民間非営利、民間家主が共有する。公的援助があるので市場より家賃は安く、入居者は公的セクターが選ぶ。日本は、かつて「日本住宅公団」がこういう機能を担ってきたが、1990年に「市場家賃」とする方針となり、国際統計上「社会賃貸住宅」はなくなった。※現在はいろいろ合併して都市再生機構になっている
公営住宅+社会賃貸住宅は、日本は全住居の3.6%、オランダは34%だという。他国では公的家賃補助の仕組みがあることもあるが、日本ではそれもない。
・「マイホーム」は画一的なデザインで低資金で購入できるものが中心
上記の「中間層」がないため、頭金があって融資が受けられる人はだいぶ無理をしてマイホームの購入を検討する。その結果、多額の資金のいらない簡素で画一的なデザインの住居が多くなった。これを人々は歓迎した。これらのデザインは「出自と来歴を問われない」からである。確かにどれだけのローンを組んで建てたものなのか外見ではわからない。
◆なぜこのようなマイホーム施策がとられたのか
・持ち家=所有財産→保守層
一般的に言われる、住宅開発による経済の活性化要因はあるだろう。政府が財政投融資や民間から集めた資金で、住宅金融公庫などを通じて支払い能力のある層に直接融資をした。欧米では税優遇が一般的だという。政府の積極性は明らかだった。支払い能力の高くない層にも融資をしていることで返済が滞る債権も当然増え、「ゆとり返済制度」も設けて延滞を許している。近年でもフラット35などの商品で、住宅ローンを推奨し、現在は住宅ローン貸し出し残高がGDPの35%だという。
一方で、長期政権を築いた自民党は、家を持たせることで人々の保守化を期待した。「財産所有民主社会」という概念はイギリス発祥でもともとあり、住宅を持つ、財産を持つことで社会・経済政策の利害が大きくなり政治に積極的に参加するとか、住宅という「私的社会保障」を前提とすることで福祉国家への関心を減らすとか、借家人が政策上で周縁化するとか、指摘はされてきたらしい。自民党としては、自民党施策になじむ層を増やしたいということだっただろう。そして、借家人の周縁化、福祉国家への関心の低下にも成功しているように思う。
◆マイホーム施策の結果
・ローンを抱える層が多く、中高年期の租税負担能力が低い
ローンを抱えている人たちが多いので、租税負担を期待される働き盛りの中高年に余力がなく、税率の引き上げには非常に敏感になっている。結果、いまだに消費税が10%と、低税率。当然、低福祉の国家像となった。
もちろん税だけでなく、消費力の減退にもつながっている。
・空き家の増加/住宅による再階層化
みながこぞって住宅を建てるものの、居住者が亡くなれば相続が必要になる。高齢化社会の中で、居住者が亡くなるのも高齢であり、相続を受けるのもまた「高齢の子」となる。その間に子どもも住宅を持っているケース/居住地が遠く離れているケースも多く、空き家になりやすい。相続住宅の28.8%が空き家だという。遠隔地にすんでいる場合は43.4%。相続住宅の売却や貸し出しが進んでいない。それは住宅の耐用年数が低く、貸し出しや売却には耐えられないほど老朽化している場合も多いからではないか。
合わせて、価値の高い住宅を、所得の高い子どもが相続することも多い。相続対象の住宅の資産価値と、相続する世帯の所得階層が連動しているのだ。これは想像にたやすい。要は、住宅分野での再分配の仕組みがまったくない。
・マイホームが持てない層の困窮
民間借家は高価値の物が少ないうえに、家賃補助などもないために家賃負担が大きい。特に単身の女性などは、治安などの心配で劣悪なアパートには住めず、やや価格帯の高いところで選ばざるを得ないが、一般に女性の方が収入は低く、家賃割合が高い。住宅費が高すぎて困窮しやすい。雇用形態の非正規化が進んでいる近年では、住宅ローンを組む余裕や見通しのない家庭も多い。
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感想としては、日本の住宅政策が今も根本的には方向転換しておらず、低所得層・若者の生きづらさのひとつは、良質な家がない、家賃負担が重すぎることであるとより確信に近づいた。若者に家賃補助が出て、一人暮らししやすくなれば、学齢期以降の家族不和やDVの一部も緩和されるだろうと期待できるのに。
まとめ部分の記載は少なくなったが、これだけ空き家が多い世の中で、新聞の折り込みチラシのほとんどは新築戸建て住宅の案内や、注文住宅を建てませんか、というもの。こんなに余っているのに、それに対処せず、困窮者が活用もできず、新しく土地を造成して新築戸建てを建てていく。政府介入の少なさがこれを招いている・・・というのは、
『老いる家 崩れる街』を読んだ時にも感じた。この本では都市計画の効力の弱さを指摘していた気がする。
住宅保有が一般化することで保守的な思想の普及にもなるというのはこれまで考えていなかったが、まったくそうだと思う。物足りないと思ったのは、やはり企業による住宅福祉が転勤制度の運用で一役買っていたのではないか、という視点や、住宅福祉がなくなってきた近年でも転勤制度が生き延びており、この両立に悩む層がそれなりにあるのではないか、という疑問には答えがなかった。家とは、買うもの、一代で使い捨てるもの、なのだろうか。どれくらいの負担をして手に入れるべきものなのだろうか。
あまり日本の常識に邪魔されたくない、とは強く思う。ひとまずまとめは以上。