ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

松本清張『砂の器』

2025-01-08 17:15:25 | Book
4月に岡山の長島愛生園に行くので、そのあと山陰に回ってみたいと思い、そこら辺が舞台と記憶していた『砂の器』を読み直す。

もしかしたら映画を見ただけで読んではなかったのか?再読か?わからないが、正月明けから夢中になって読了。
映画では、最後がもう一段ドラマチックに描かれていた気がする。映画が見たくなった。

今日は休みの平日。やることはいろいらあったはずだが、午後3時からはオンラインでのちょっとした(社会的には重要な内容だがその中での私の立ち位置はまだ気軽なものの)打ち合わせ、午後5時から末娘の歯医者があったため午前中はひたすら読了に向けて読んでいた。

日本海側の山村の貧しさが印象的だったのは、果たして砂の器だったのか、飢餓海峡だったのか。この勢いだと飢餓海峡を読み直すことになってしまいそうだがそれで良いのか!?

ことしは研究的な人生に向けて大きく踏み出したい、ととてもざっくりした思いがあるのに具体的に何もしていない。そのタネを書き出してみたい。

聴いた本「存在のすべてを」

2025-01-07 08:15:32 | Book
年末年始に熱中して聞いた本。塩田武士著。

写実画家の真相、真面目だけどパッとしない定年前の新聞記者。どちらも没入できる感じでよかった。
このあとに松本清張を読み直していることもあり、塩田さんのサスペンスはなかなかに私好みなのかもしれない。

年末、横浜で大学の友人とぶらぶらしたついでに、話の舞台の「港が見える丘公園」に行けたのも嬉しい一場面。
横浜は美しい話の舞台になるけど、千葉はならないなぁと実家への帰り道に思う。

写実画の美術館が千葉市にあるので次回帰省時に行きたい。

12月14日 金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』を聴き終わる

2024-12-16 12:57:06 | Book
「中年はどう生きるか?」をテーマにしたという本書。オーディブルの対象だったので、数日前より聴き読み?していた。複雑な感情を複雑なままに、言葉をたくさん使って表現する文体は好きな方だ。司馬遼太郎みたいにブツ、ブツ、とつぶやく形はあまり好きではない(が、今は広島文献としてあた『街道をゆく』を読んでいる)。

ナチュラルボーンチキン。「ナチュラルボーン」って表現をたまに聞くが、和製英語?と思っていたら、普通に英語慣用句のようだ。natural-born=生まれつきの。読了しても、このタイトルドンピシャなエピソードは出てきた記憶がないが、ひとまず面白く最後まで聴いた。金原ひとみは私と同い年なんだなあ。

中年になり、何に飾ることもなく、他人を意識しすぎることもなく、平穏を心掛けて傷つかぬよう面白くなく生きてもいいし、潰えていく道のりでどうせ大して世界に影響を与えないのだからと道をはみ出して行ってもいい。中年はむしろ自由なのだ、という感じのメッセージ。私はどちらかというと、肩ひじ張らない感じでここまで来て、もう少し競争社会に飛び込んでもいいのでは、、、とうっすら思ったり、でもやっぱり引いてみてしまっている感じなので、大きな驚きということはなく、共感しながら読んでいった。小説を読むのは楽しい。

この日は次女、三女と薪割りグッズをさがしにホームセンターに行ったが、頼りないものしかなく、買わずに菰野の家へ。手斧でできる作業を少しだけして、夜はマリカーをして、寝た。夕飯はもつ鍋。

本「騙し絵の牙」

2021-05-09 04:33:00 | Book
家にあったので手に取ってみた。そんな感じでたまに小説を読みたくなる。うちの両親が持ってくる小説は、いつも肩肘張らない、書店に平積みされているものをお薦め順に、というようなセレクトなので気軽に手に取れる。

出版不況の中で社内外の政争に翻弄される編集長が主人公。もとは新聞業界にいたわたしも身近なところだし、大泉洋を当て書きしたという人物も、ウイットの効いた会話が楽しい。

こういう切った張ったの世界から逃げてしまったのかな、自分はもう、などと意識しながら読んだ。汚くて不毛で、でも人の上に立ったり影響力を持ったりするには必要な社内のやりとり。
次にチャンスがあったら逃げずに向き合いたい気持ちもある、のかな。立ち回りは上手くないし馬鹿にしているところもあるけど、組織というものは嫌いじゃないし必要不可欠なものだと思ってもいる。

そんなことを考えました。知らなかったけど3月下旬からこの小説が映画になっているらしい。観に行けるタイミングはなさそうだけど、キャスティングは気になる。

本「若年層のセーフティネットを考えるーーー就労支援はセーフティネットになり得るか」

2021-02-28 05:15:42 | Book
酒井正・著『日本のセーフティネット格差』の第6章

正社員と非正規就労の人が受けられる社会サービスに格差があり、そのことが所得や選択肢の格差となっている。とすれば、非正規就労の人が正社員になれればよい。そのための就労支援サービスはあるのか。あるとすれば機能しているのか。

特に若いうちに正規就労の軌道に乗ることができれば、現状のセーフティネットを利用しやすい。若年層での非正規就労がその後も続くとすれば、勤続経験を条件とする既存のセーフティネットから漏れてしまうことに加え、日本で重視されている「企業特殊的スキル」(とは本書では書いていないが企業内で雇用される中で蓄積されるスキルのこと)が身につかず、能力が開発されない。公共職業訓練や資格取得などのスキルは、就業経験のある人には有効ではあるが、就業経験のない人には就業や賃金上昇に貢献しないというのである。これは、現在勤めている(勤め続けている)企業での経験が特に重視される日本的雇用慣行の影響も大きいと思われる。

最低賃金を上げるとか、「求職者支援制度」(雇用保険の加入歴に関わらずに受けられる公共職業訓練と現金給付)などを本書で検討するものの、効率的・効果的ではないことが示される。海外の就労支援など、効果が出ているものを挙げると
・個別カウンセリング
・訓練では得なく就労を目指す(派遣の仕事も選択肢?)
・その間のある程度の所得補償
・企業への雇用助成(就業経験の少ない若者を雇用した際の助成金)
・特に学校卒業から初めての就労につまずいた人の就労支援(コスパがよい&必然的に雇用保険関連サービスの対象外)

であった。卒業や失業後、すぐに個別カウンセリングにつながることは重要で、すぐに仕事を見つけられないものは強制的に職業訓練を義務付ける、という国もあるようだ。

日本ですでにある仕組みの中で、これらの目的に沿っていそうなものは
・ジョブカフェ
・地域若者サポートステーション
・生活困窮者自立支援法の中の就労支援
・トライアル雇用
・特定求職者雇用開発助成金(通称・特開金)
・ジョブカード

かな?
ただ、本書で示されている疑問として、非正規雇用の増加は、サービス経済化や、生産物市場における不確実性の上昇(需要変動が大きいものに対して派遣や雇用期間の定めのある雇用で対応する)、ICTの普及(スキルがすぐに汎用化してしまうので、より新しいICTに対応できる人を雇用する必要性)などがある。つまり、正社員雇用自体の需要不足があり、現状の就労支援はミスマッチ(構造的失業)にしか対応できないのではないか、というものがある。これについては指摘で終わっていた。

・・・
まず、就労支援がセーフティネットのひとつだという位置づけは、この仕事をしている者としてはうれしいが、業界の意識としては低いと思われる。目の前の若者たちには困窮者も多いが、困窮していない家庭の若者も多い(家庭環境の良い人の方が支援サービスにつながりやすいという偏りがある)ことがその理由ではないか。実際には就労支援と合わせて生活支援(福祉的ソーシャルワーク)が必要なことが多く、就労支援としての気概やスキルが身につきにくい業界でもあると思う。

現場にいるものとして面白いと思ったのは、
「すぐに支援につながった方が効果が高い」ということ。支援機関にいる者としては、来たくれた時点をスタートとするしかなく、「もっと早くつながっていれば」というたらればをあまり考えることがなかった。「必要な人に情報が届くように」とは思っているが、その必要性を考える前に、自動的につながるくらいの流れが必要(そういう国もある)なのかもしれないと思った。
若者に必要なのは訓練ではなく就業なのだ、というのは私がいる支援機関でも同じ考えなので納得。何よりも経験。そして就業してきたという履歴が大切で、その入り口に立たせてもらえる企業を日々探しているのが私の仕事である。
その方法として、目の前にいる若者を見てもらい、情が移ることを期待する(?)面があるが、相手によってはこのようなマクロ的な視点(就業経験が何よりも正規就労や生活回復、今後の就業人生に大切で、その入り口に立つことのできなかった事情を持つ若者にチャンスを!というような)が効く会社もあるのではないかと思った。

本・酒井正『日本のセーフティネット格差』

2021-02-28 04:47:48 | Book
年明けから読んでいた本著。問題意識がわかりやすく、読み進めやすかった。その問題意識というのは、こういったもの。

日本では正社員就労することに伴うセーフティネットの仕組みを続けてきたが、その裏返しとして正社員就労できていない人へのセーフティネットがとても手薄い。具体的には、比較的低負担で年金(厚生年金)、医療保険(健康保険)、失業時の給付(雇用保険)などに入れているのは正社員就労の人であり、むしろその制度の必要性の高い非正規雇用の人たちはセーフティネットから漏れている。そして、この非正規雇用の人がどんどんと増えている。
非正規雇用の人も入りやすくした雇用保険でさえ、未加入だったり、失業給付の受給要件を満たしていない人が多く、困窮に陥りやすい。厚生年金や健康保険の非正規社員への適応拡大は正義ではあるが、もし仮に適応されたとしても格差(正社員就労で給与が高ければ高い給付を受けることができ、非正規であれば給付量・額は少ない)は助長されていく。再分配の機能が弱い。負担に紐づいた社会保険の仕組みだけでは、現状を変えられない。

・・・
この現状が、過小評価されていることは、とても共感できた。その通り、と思ったのは、この社会保険だけでなく子育て支援(育休や保育園の入所)も、比較的安定した雇用で、高所得の世帯が優先的に利用できているという点。私自身、その「優先的」側としても自覚があり、違和感は感じていたので納得である。

ブログでは、このセーフティネットの格差を埋める機能として、若者の就労支援にスポットを当てた6章をまとめておきたい。(次に続く)


本『マイホームの彼方にー住宅政策の戦後史をどう読むか』

2021-01-22 04:35:21 | Book
妻37歳、夫39歳、子ども7歳、5歳、1歳。夫婦共働き。現在、会社の借り上げ社宅のため家賃補助が6割あり、それがあと3年ほどでなくなる。家の購入を考える典型的なタイミングではあるだろう。こういう個人的関心と、もともと持っていた「持ち家社会」への違和感から、ちょっと高いがこの本を買った。著者の平山洋介氏は、『住宅政策のどこが問題か』を読んで、いろんな疑問をスッキリさせてくれた人でもある。(当時のブログ)前著の感想と被るところもあるが、自分が印象に残ったところをしっかり目に書き留めることにする。以前と違い、今は当事者感は少しあるので・・・。

◆日本の住宅政策の特徴
・公的住宅が少ない/劣悪な民間借家が多い
マイホーム施策を推し進めると同時に、公的住宅を拡大せず、公営住宅に入れる人を絞り込んできた。公営住宅の位置づけは、「就労可能な家族」(単身者は長年対象外だった)であり、「いつかマイホームを持つ人」。マイホームが持てず、公営住宅に入れない人はどこへ行ったのか。
ひとつは社宅。国は社宅の建設に多額の融資をした。企業としても社宅という不動産は資産となり、銀行から融資を受ける際の担保力にも寄与した。
会社から財形預貯金での優遇を受けての持ち家支援も、広い意味で企業関与の住宅取得と言える。これは企業にとっても低金利で資金を得ることができるというメリットもあった。1960年代からはこちらにも力をいれた。本著には記載はないが、転勤制度があっても会社を去りにくくする効果もあったのではないか。
もうひとつは、民間借家。ただこれは、良質なものが出てきにくい環境だった。借家人を守る(そのことで公営住宅に来させない?)ために、賃料は上げにくく、退去させにくい仕組みがあった。一方でそのための政府の補填があるわけではない。結果、施設更新がされなかったり、短期で資金が回収できるような「劣悪な民間借家」が受け皿となった。
この背景に加えて、1985年から1990年代は、地価が高騰してきたのと相続税法の変更により、相続税対策としても賃貸住宅の建設が「得」となり、アパート建設がブームとなった。

・他国で見られる”社会賃貸セクター”がごっそり抜けている
上記の、「マイホームと公営住宅の間」の層に対して、欧米(スウェーデン、ドイツ、フランス、オランダの国名が出てきた)では、社会賃貸セクターが受け皿となっている。何らかの公的援助のある住宅で、自治体、公的機関、民間非営利、民間家主が共有する。公的援助があるので市場より家賃は安く、入居者は公的セクターが選ぶ。日本は、かつて「日本住宅公団」がこういう機能を担ってきたが、1990年に「市場家賃」とする方針となり、国際統計上「社会賃貸住宅」はなくなった。※現在はいろいろ合併して都市再生機構になっている
公営住宅+社会賃貸住宅は、日本は全住居の3.6%、オランダは34%だという。他国では公的家賃補助の仕組みがあることもあるが、日本ではそれもない。

・「マイホーム」は画一的なデザインで低資金で購入できるものが中心
上記の「中間層」がないため、頭金があって融資が受けられる人はだいぶ無理をしてマイホームの購入を検討する。その結果、多額の資金のいらない簡素で画一的なデザインの住居が多くなった。これを人々は歓迎した。これらのデザインは「出自と来歴を問われない」からである。確かにどれだけのローンを組んで建てたものなのか外見ではわからない。

◆なぜこのようなマイホーム施策がとられたのか
・持ち家=所有財産→保守層
一般的に言われる、住宅開発による経済の活性化要因はあるだろう。政府が財政投融資や民間から集めた資金で、住宅金融公庫などを通じて支払い能力のある層に直接融資をした。欧米では税優遇が一般的だという。政府の積極性は明らかだった。支払い能力の高くない層にも融資をしていることで返済が滞る債権も当然増え、「ゆとり返済制度」も設けて延滞を許している。近年でもフラット35などの商品で、住宅ローンを推奨し、現在は住宅ローン貸し出し残高がGDPの35%だという。

一方で、長期政権を築いた自民党は、家を持たせることで人々の保守化を期待した。「財産所有民主社会」という概念はイギリス発祥でもともとあり、住宅を持つ、財産を持つことで社会・経済政策の利害が大きくなり政治に積極的に参加するとか、住宅という「私的社会保障」を前提とすることで福祉国家への関心を減らすとか、借家人が政策上で周縁化するとか、指摘はされてきたらしい。自民党としては、自民党施策になじむ層を増やしたいということだっただろう。そして、借家人の周縁化、福祉国家への関心の低下にも成功しているように思う。

◆マイホーム施策の結果
・ローンを抱える層が多く、中高年期の租税負担能力が低い
ローンを抱えている人たちが多いので、租税負担を期待される働き盛りの中高年に余力がなく、税率の引き上げには非常に敏感になっている。結果、いまだに消費税が10%と、低税率。当然、低福祉の国家像となった。
もちろん税だけでなく、消費力の減退にもつながっている。

・空き家の増加/住宅による再階層化
みながこぞって住宅を建てるものの、居住者が亡くなれば相続が必要になる。高齢化社会の中で、居住者が亡くなるのも高齢であり、相続を受けるのもまた「高齢の子」となる。その間に子どもも住宅を持っているケース/居住地が遠く離れているケースも多く、空き家になりやすい。相続住宅の28.8%が空き家だという。遠隔地にすんでいる場合は43.4%。相続住宅の売却や貸し出しが進んでいない。それは住宅の耐用年数が低く、貸し出しや売却には耐えられないほど老朽化している場合も多いからではないか。
合わせて、価値の高い住宅を、所得の高い子どもが相続することも多い。相続対象の住宅の資産価値と、相続する世帯の所得階層が連動しているのだ。これは想像にたやすい。要は、住宅分野での再分配の仕組みがまったくない。

・マイホームが持てない層の困窮
民間借家は高価値の物が少ないうえに、家賃補助などもないために家賃負担が大きい。特に単身の女性などは、治安などの心配で劣悪なアパートには住めず、やや価格帯の高いところで選ばざるを得ないが、一般に女性の方が収入は低く、家賃割合が高い。住宅費が高すぎて困窮しやすい。雇用形態の非正規化が進んでいる近年では、住宅ローンを組む余裕や見通しのない家庭も多い。

・・・
感想としては、日本の住宅政策が今も根本的には方向転換しておらず、低所得層・若者の生きづらさのひとつは、良質な家がない、家賃負担が重すぎることであるとより確信に近づいた。若者に家賃補助が出て、一人暮らししやすくなれば、学齢期以降の家族不和やDVの一部も緩和されるだろうと期待できるのに。
まとめ部分の記載は少なくなったが、これだけ空き家が多い世の中で、新聞の折り込みチラシのほとんどは新築戸建て住宅の案内や、注文住宅を建てませんか、というもの。こんなに余っているのに、それに対処せず、困窮者が活用もできず、新しく土地を造成して新築戸建てを建てていく。政府介入の少なさがこれを招いている・・・というのは、『老いる家 崩れる街』を読んだ時にも感じた。この本では都市計画の効力の弱さを指摘していた気がする。

住宅保有が一般化することで保守的な思想の普及にもなるというのはこれまで考えていなかったが、まったくそうだと思う。物足りないと思ったのは、やはり企業による住宅福祉が転勤制度の運用で一役買っていたのではないか、という視点や、住宅福祉がなくなってきた近年でも転勤制度が生き延びており、この両立に悩む層がそれなりにあるのではないか、という疑問には答えがなかった。家とは、買うもの、一代で使い捨てるもの、なのだろうか。どれくらいの負担をして手に入れるべきものなのだろうか。
あまり日本の常識に邪魔されたくない、とは強く思う。ひとまずまとめは以上。


本・斎藤環『中高年ひきこもり』

2020-03-30 04:35:03 | Book
精神科治療において「対話」に重きを置く「オープンダイアローグ」について、前に書いたことがある。https://blog.goo.ne.jp/mreisende21/e/3247cb35e056a9d1b8dee274d53bff9a 
このときに出てきていた精神科医の斎藤環さんの本。ひきこもりの高齢化や、ひきこもりの人が大きな殺傷事件を起こしているかのように見えた川崎の児童殺傷事件などを受けて解説している。

線を引いたところをいくつか。
「ひきこもりの人=たまたま困難な状況にあるまともな人」。これは私も意識していることではある。でもときどき、不必要に(?)「私よりずっと真面目な人」などと比較級の入った考え方をしているので、元に戻して(?)困難な状況にあるまともな人、でいいんだよな、やっぱり、と思った。ただ、「まとも」という表現はあまり好きではない。「ちゃんとした人」うーん、ちゃんとした、というのもなあ。「ちゃんとした」と使うとき、「バランス感覚のある人」などと言いなおしたりするけど、ちょっと違う気もする。ひとまず、「困難な状況にあるとてもまじめな人」、でいいかな、私としては。

「いじめPTSD」
不登校や、ひきこもりのきっかけとして、いじめ体験のある人が多いという指摘。それはほんとに思う。そのときに、そのつまずきを、ほかの人間関係でケアしていないと、人間関係への恐怖心が残ってしまう。理不尽な思いをまたするのではないか、もしくは、自分なんて友達はできない、と思い込んでしまう・・・。
本書では、いじめが起きたときに「加害者への配慮ある処罰」が必要だと書く。「配慮ある」というのは、加害者側にも過酷な家庭環境などがあったりするので、その可能性は考慮しなければならない、ということだけど、とりあえず加害者と被害者を同等に扱ってはいけない、いじめを受けた側が納得する対処がないと後遺症化する、というのである。

「お金は薬」
ひきこもりは、収入と家があって初めて成り立つので、親がそれを負担していることがほとんどである。そのとき、親はひきこもりの子にお金を与えるべきか否か、という問題に、著者は「お小遣いは与えるべき」と書いている。なぜなら、お金がなければ「欲のない人」になってしまう。欲がなければ社会参加しよう、就労しよう、お金を稼ごうという気持ちにならない。こうなるとひきこもりの人は「無敵」になってしまう・・・。
「小遣いはやらんから、自分で働け!」というのはよくない。欲のない人の難しさは私も感じているので、納得でした。

ひきこもりの人への「マイルドなお節介」
ひきこもりの人は治療対象ではない。ひきこもりは状態であって疾患ではない、というのが著者の立場。では支援が必要でないか?と言われれば、状況によるが、「潜在的に支援ニーズを抱えている、という先入観を持っている」という。表面的には拒否していても、家族関係が変わるなど状況が変化すれば、ニーズが生まれてくる。だから、支援を押し売りするのではなく、「御用聞きよろしくニーズの有無を尋ね、断られればまた次の機会をうかがう」。
これまで、なんとなく「御用聞き」的なかかわりは何か間違っているような、不健全なような気がしていたが、でもそうなっちゃうよな、とも思っていた。堂々と御用聞きでいいのだ、と思えた部分。

オープンダイアローグ
これは、冒頭でも書いたが興味ある支援方法。これまでは、精神科領域のメソッドとして認識していたが、この本を読みながら、今の仕事にも生かせるのでは、と思った。対人関係を築くのが不慣れな人にとって、おしゃべりをする、という経験の大切さがわかってきたから。面談室で話をするのと、カフェで話をすることの違いは、まず私がメモを取らない。自分の話もする、というらへんか。これがすごく、本人の違う部分を引き出せるなと感じている。
面談室でも、オープンダイアローグを意識した何かができるのではないか。ガイドラインを見たら22ページだったので、一度目を通してみたい。

本『人事のなりたち 「誰もが階段を上れる社会」の希望と葛藤』

2020-03-17 05:12:29 | Book
就労支援の仕事をしていてお会いする方のボリュームゾーンは、ひとつは発達障害の傾向のある方(20代以降で何かしらつまずいて支援機関に来られるので自覚がある場合が多い)。もうひとつは、少し学力や能力が足りないので、合う仕事の幅が狭そうな方。この後者は、以前なら高卒就職していただろうけど、大学になんとなく進めてしまい、新卒一括採用で敗退…という感じ。

この本によると、かつては高卒、短大卒の人が就職して担っていた仕事は、非ホワイトカラー(製造、流通、サービス、販売、事務、建設)の仕事で、これらが今、ガラッと非正規雇用になってしまっている。雇用量も流動的で、就職氷河期の現象が起きたり、フリーターが出てきたりする。彼らが大卒でホワイトカラー(営業、経理、人事、総務など)を目指そうとしても椅子が足りない、ということ。なるほど!と思いました。

本書を通じて明確になっていくことのひとつは、こうしたかつての高卒職で、階段を上って行かなくても良いコースの正規職。上っていけというプレッシャーなく、でも雇用は切られず、10年でも20年でも、さほど昇給かなくても同じ仕事し続けますよ、という選択肢。

今も昔も、日本の特徴としては、正規職、正社員はみな階段を上っていくことが前提で、無限定雇用だったし、その仕組みで嬉々として働く人もいたが、年功序列で上っていく賃金に見合った仕事、というプレッシャーに耐えられない人もいた。そその心理的な辛さはあまりこれまで考えたことはなかった。この点で私も、マッチョ思考に偏っていたのかも。

概ね、濱口さんの『新しい労働社会』で膝を叩いて納得した知識がベースとなっていて読みやすく、今の仕事と紐付けて新しい発見もあった。ではどうしていくか。正社員が新卒で肌の合う会社にマッチングするには。そして高卒職だった層が、安定的な職を得るには。ヒント部分をまた今度書き留めておきたい。また今度。

書評はすぐに書かないと…。濱口さんの『働く女子の運命』は文が止まっている!


本「ケーキの切れない非行少年たち」

2019-10-20 05:52:04 | Book
前まで住んでいた伊勢を、悠々と流れていた宮川。その川の下流沿いに、宮川医療少年院はある。医療少年院、といっても、医療の必要度、障害の程度はそこまで大きくない子どもが収容される。(必要度の高い子どもは京都医療少年院か関東医療少年院に行く。これらは「病院」の登録がしてある施設である)。
この本の著者は、宮川医療少年院で医師を務めた経験から、「非行を起こす子どもたちは、非行性が強いというより、すべての物事への理解度が低く、そのことに周りが気付かないために配慮もされずに来ていることが原因で犯罪を犯しているのではないか」という感覚を抱く。誰かから挨拶をされないだけで、自分が嫌われている、やり返すしかない、などと考える。イライラした気持ちを発散するすべを知らず、弱い者いじめとして幼女への性的暴行をするーーーなど。

この本は売れているよなので、多くの人には衝撃的な事実だったのかもしれない。タイトルもいいのかも。でも、障害のある人や子どもに接している人にとっては、お十六内容ではないと思う。理解力の低さ、そこからくる認知のゆがみ。これらは、例えば重度の知的障害などよりよっぽどやっかいなのだ。理解力の低さや認知のゆがみを、周囲が知り、対応すれば本人も周りもハッピーになりうるが、周囲が気付かず、本人を責め、認知のゆがみが進んでしまうと、犯罪領域の行為に走りかねない。
「このような子どもたちは、何らかの問題に対して、直ぐに答えを出してしまい明日。時間をかけて”ちょっと待てよ。ほかに方法はないかな”といった柔軟な思考や違った視点を持つことがとても苦手なのです。」

精神科医として、少年院の前には公立病院で勤めていたという著者は、軽度知的障害、境界知能の子どもを、それを主訴として診察したことはなかったという。それはそうである。精神疾患ではないのだ。でも、確実に専門的なサポートが必要なのだ。

発達障害に起因する悩みや苦しみの末に、犯罪や、自傷行為、ひきこもりになる人がいる。こういう人に接していると、著者が言うように、小学校ぐらいの低年齢から、学校教科以外に教えるべきことがあるのではないかと思ってしまう。コミュニケーションや、自分の特徴、他人との違いなどについて。友達や家族と過ごす中で自然に身につけて行ってくれ、というのでは、こぼれて、傷ついて離れてしまう子がいるのだ。

著者が、幼少期から取り組むとよい、としている「コグトレ」は、噂を聞いたことはあるが、実際にワークブックなどを目にしたことはない。買ってみようと思う。