ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ダウントン・アビーに学ぶイギリス転職市場

2019-04-26 15:25:49 | Movie
ダウントン・アビーの連続鑑賞を休憩しよう、と書いてから2日。シーズン3を観終わってしまった。なんと意志の弱いことか。赤子が泣きてもさほど気にせずに、ゆりかごを揺らしながら観るのにちょうど良いのだ。

シーズン3では1920年ごろに時代は進む。イギリス・ヨークシャーをの貴族が暮らす大邸宅。使用人もたくさんおり、使用人の職種としては執事、貴族夫妻のそれぞれの従者(付き人)、下僕(給仕)、料理長、メイド(掃除や家事)などがいる。使用人の直接の上司が執事である。

使用人はたくさんいるので、当然辞めたり入ったり、というのがある。その際にしょっちゅう話題になるのが「推薦状」。解雇の場合は推薦状がないことが多く、屋敷の事情だったり、本人の事情で辞める場合に推薦状が登場。「申し分ない推薦状を書こう」とか、「ここで働いて、よい推薦状を持って人生をやり直すのよ」とか、「10年働いてきて、推薦状なく放り出されるなんて雇う人なんていない。アメリカにでも行くしかない」とかエピソードが出てくる。

これは、情報の非対称性を改善するのに有効な仕組みだ。推薦状により、ステップアップとして転職を肯定的に捉えることも可能である。ネットで検索してみると、海外では今も、推薦状を持って転職したり、転職先の企業が元の企業の上司に推薦状や見解を求めたりすることがあるらしい。外資系企業では日本でも登場場面があるとか。

外資系以外でもこの文化が広がるといい。これからはジョブ型の会社、仕事も増えると思うし、そうすると転職機会の総数も多くなる。福祉の現場では、人手不足と低賃金、あとは良くも悪くも様々な学歴や背景の人が働いており、入職希望者も然り。履歴書だけで判断する難しさはよくよく感じていた(でもまあそんなにきゅうりかのいい仕事じゃないからイマイチな人でも仕方ないか、という諦めもあった)。どうすれば広まるだろうか…。

ところで、このシリーズの視聴者の誰もが、マシューという青年を好ましく観ているはず。爽やかな笑顔でだけでなく、良識ある意見や振る舞い。シーズン3では、早く子どもができないだろうかと待ち望み、それを口に出したり、戦争で傷を負った後遺症によって子どもができないのではと悩んだり、というシーンがあり、さらに好感度が上がった。男性がそわそわする姿は可愛らしい。

シーズン6まであるらしいが、本当にそろそろ休憩したい。誰も観ろとは言ってないわけだが。

「ダウントン・アビー」で学ぶイギリス史

2019-04-24 10:49:22 | Movie
amazon video でダウントン・アビーのシリーズを観ている。シーズン2まで観終わった。休憩しよう、そうしよう。

1912年ごろのイギリス、伯爵のお屋敷はまさに城である。伯爵という身分、そこに雇用され、住み込む使用人という職業、両者の信頼関係、イギリス流のユーモアと分別。時代背景も勉強になる。

1912年にタイタニック号が沈み、伯爵家の相続人である甥っ子が死ぬ。イギリスでも相続は直系に近い男子でなくてはならず、伯爵の三人娘は全く相続できない仕組みだったらしい。
その頃に起こったウーマン・リブの波、女性選挙権の運動。折しも「未来を花束にして」の時代である。
そして1914年に第一次世界大戦勃発。伯爵家の使用人たちも戦争に召集されたり、伯爵一家の相続人も前線の大尉となる。伯爵自身は名誉隊長で前線へは行かず、前線と、きらびやかな伯爵家の景色の対比はすさまじい。ただ、その城の一部を療養病棟のような形で提供することもあったようだ。

劇中で、逮捕されて裁判にかけられるシーンがあるのだが、イギリスではこの頃からすでに陪審員制度だというのには驚いた。貴族の繰り広げる狩りの風習、戦争で男手がなくなった際に仕事に目覚める娘たち、戦争が終わった途端に流行したスペイン風邪。ドラマほどではなくとも人々の人生は目まぐるしい時代だったのだろうと実感できた。

本『生き抜くための俳句塾』

2019-04-23 14:38:17 | 俳句
最近、何にも集中できず、人生の後退感(?)に襲われて落ち込む日が度々。この一年ほど熱中していた裁縫は、仕事と育児の傍らに、仕事と育児の逃げ道としてやるから一心不乱に集中できたのだ。仕事も、育児も(日中は手のかからない赤子だけ)していないと思える私には、楽しみたい、楽しんでいいのだという気持ちが湧いてこない。

よくないよくない、と思い、この間ラジオで紹介されていたこの本をKindleで買った。今の私は、いわばストックになるようなものがなく、その日その日をやり過ごすフロー的な活動ばかり。刹那的でよい、遊べばよい、人生の苦しみが俳句になる、といったエッセイを書きなぐったような本で、気分転換によい。何も解決しないが、まあ解決などしなくてもとりあえずいいか、と思えたり思えなかったり。

俳句を作れたらいいなというのは前から思っていて、この本がめちゃめちゃハードル下げてくれたので、子どもの遊びに付き合うなどのヒマな?時間にいくつか作ってみた。少し楽しい。

園庭で こども見守る 無力感
5歳児の 握り返す手 力強し
5人分 寝息重なる 六畳間
はじめての 歯間ブラシに恐怖感
街を去る 木漏れ日ひとつも 名残惜し
子ども去り 部屋の外の音 聞こえくる

散歩中のひととき

2019-04-18 14:16:32 | Private・雑感


暖かい春の日。もうすぐ2ヶ月になるベビーと散歩。ローソンでカフェラテとオレオを買って公園で休憩。最近、リサイクルショップで買ったA型ベビーカー(2000円)が役に立っている。今考えていること。

仕事復帰をいつにするか。ひと月半後に、半日勤務で復帰して、2ヶ月働いたら転居(かもしれない)というのはやはり自分勝手、自己満足では。働いたかもしれないその2ヶ月で、仕事の一部となりうるような自分の中での事業を考えたい、気もする。もっとブログを書くとか。

今何を勉強すべきか。したい、しようと思えるものがあれば、時間はある。意欲がついてくるものは?候補は統計学。

出産の内祝いをまだ送っていない。ピンと来るものがない。

上の子たちを迎えにいく前にベビーの沐浴を済ませたい。

予想もしなかったことに出くわし、うろたえたり考えたり。子どもたちに振り回されたり振り回したことを反省したり。伊勢志摩の四季の中の生活に潤いを感じたり、都会のさまざまなチャンスを恨めしく思ったり。いろんな瞬間を、そのまま写真に撮ったり短歌にしたりできたらいいのに、と思うことがよくある。どちらもすぐに習得できるスキルではないのだ。

ダウントン・アビーの第1シーズンを、amazon video で見終わった。面白い。1910年代の貴族の家族、使用人たち。当然、主従関係があるのだが、さまざまな役割があり、伯爵たちも使用人たちもその役割を果たすことが生活そのもの。その意味では対等な関係に見える。

映画「未来を花束にして」など

2019-04-11 07:33:42 | Movie
産前産後に、Amazon Video で観た映画の感想。

「未来を花束にして」
1910年代のイギリス。女性の選挙権を獲得するまでの闘い。自分たちが、自分たちの子どもが生きる世界を、公平にするための運動は、生活を捨てなければならないほど過酷だった。公平でない、納得できない理由で不対等であるということは、何よりも辛いということがあり得る。男性たちが耳を貸さないから悪いのだ、と首相の別荘を爆破する彼女たちは、いわば逆ギレなのだが、実際過激な事件によって事態が打開されていく。ちょうどイギリスで社会保障制度が整ってくる時期で、読み物として読んだことのある時代だが、映像としては暗かった。

「三度目の殺人」
日本アカデミー賞作品賞を獲るなど、とても評価されている作品のようだが、それほどでもなかった。死刑制度は合法的な殺人である、と訴えたい気持ちは同感。

「クレイマー、クレイマー」
時折見たくなる、大好きな作品。前回観た時は、子どもと生活を築いていくことの手触りが印象的だったが、今回は、作品中の男の子の年齢が私の長女とほとんど同じというところで興味深かった。5歳半から7歳くらいを描く。前においしいと言って食べたものを「吐きそう、まずい」と言って口にしない、ご飯そっちのけでアイスを取り出して怒られる、親がいつも買っている洗剤の種類を覚えていていちいち指摘する、などなど。古今東西同じなんだな、親に対して感じる親しみも、きっと同じなのだろう。

「ビッグショット・ダディ」
ロビン・ウィリアムズのコメディ。冴えない、友達のいない高校生の息子が、恥ずかしくて人に言えないような事故で自殺してしまった。これにまつわる嘘が引き起こす物語。物を言えぬ息子がなぜか祭り立てられていって、父親であるロビン・ウィリアムズは嘘を嘘だと言えなくなる。面白い作品だった。死者の解釈などほとんど妄想に近いのだと肝に銘じるべし。

そのほか
「家族はつらいよ」
「GIRL」
「英国王のスピーチ」
コリン・ファース好きにはたまらない、そして「未来を花束にして」に近い時代、第一次世界大戦と第二次世界対戦の間の時代の雰囲気、薄暗さを味わえる。

神谷美恵子『遍歴』

2019-04-05 19:46:51 | Book
神谷美恵子の著作、自伝的エッセイのこの本から、取り急ぎ心に残った箇所を書き写す。

一次と二次の世界大戦の間にアメリカにいた彼女に、偶然知り合ったドイツからの亡命政治家が送った手紙から。
・・・
仕事に、また然るべき人の妻として、子どもたちの母として、ゆたかな一生を送られるように祈念しています。わたしのいうのはゆたかな一生であって、単なる「幸福な」一生ではありません。ゆたかな充実した生涯を送るのを恐れ、そのために決して「幸福」を見出さないひとが世の中にはあまりにも多い。あえて闘うのでなければ、何人をも、何物をもたたかいとるこのはできません。
・・・

同じようなことを、カミュの本や『大衆の反逆』でも読んだ。私にとっての課題だから、よく響くのだろう。

より本質的なものを、と求め続け、医学の仕事や妻、母としての生活でも静かに闘った人だと感じた。戦後に子どもを産んで健康に育てることは、闘って、ひとつひとつのことに結果を出さないといけない面があった(用事があって結核にかかり薬が不足しているなどで)ことも、現代の恩恵に素直に感謝する機会となった。

出産前後に児童虐待の事件報道は辛い

2019-04-04 14:05:07 | Private・雑感
豊田市で、生後11ヶ月の3つ子の赤ちゃんの母親が、3つ子のうちひとりを死なせた事件。自分がちょうど出産する前後に報道されているだけに、聞いていて辛い。裁判で明らかになってきた事件の背景。3つ子ということもあるし、初めての出産で、明日が見通せない閉塞感もあったと思う。誰もが、その状態に陥ると思う。
‪ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190403/k10011870821000.html‬

第一審が懲役3年半という実刑だったことが、「重すぎる」と議論になっている。支援されるべきだった母親、支援できなかった行政、負担を軽減できなかった夫、死んだ赤ちゃんからすれば児童虐待である。11ヶ月といえば言葉も分かり始めている頃。その場面を想像すれば、母親の視点からも子供の視点からも辛い。

事件の報道のたびに思い出すことがある。2014年、私が長女を出産して半年くらい経った頃の厚木の児童衰弱死事件。
https://toyokeizai.net/articles/amp/165996?display=b&_event=read-body
聞くたびに辛くて、居ても立っても居られない気持ちで、これが福祉の仕事への転職の決定打になったと思う。何が起きているのだろう、気になって仕方がない、という感じ。一方で、このリンク先の記事も読み進められない。想像するのが辛くて。そんなんではダメだなぁ。

出産前後などのナーバスな時期は、心の余裕が少なく、嬉しいことも辛いことも、あまりに響き過ぎる。正直に。できれば、そこから逃げずに向き合いたい。大事な機会なのだと思う。