9月23日、3連休の最後の日。連れも3連休だったので、出掛けたり家を片付けたりと充実。今頃になって、自分の足から足首というものが消えていることに気付いた。普段、どれだけ身体のラインを気にせずに生きてきたかがよく分かる。
今日は最近観た映画のメモ。
「凶悪」
2013年/日本 ★★★★
実話を元にした映画。2005年の「茨城上申書殺人事件」 がベースになっていて、実際にあった「死刑囚から雑誌(新潮45)への新たな殺人事件に関する告発」がストーリーの基になっている。といっても、この事件、そして新潮45のスクープは今まで知らなかった。日本の中に、確実に自分の知らない世界-暴力世界-があることを教えてくれる。現代の観客は、尼崎連続殺人事件という日常的な暴力や殺人が実際に起きていたことを経験していて、この映画の内容を受け入れる素地はあると思う。(当時大いに騒がれて知っている人も多いのだろうけど)。原作がkindleで売られているようで、手を出したいような出したくないような・・・。
それにしても、「生命保険」というのは残酷な仕組みだ。「殺せば金になる」のだ。人を救っては来た仕組みではあるが、モラルハザードが生まれるのも仕方がない気がする。今朝の日経新聞にも、ちょうど東南アジアで、中所得層が安心して消費しながら内需型の経済成長を遂げるためのひとつの助けとして、損害保険が紹介されていた。ベトナムでは第一生命が少額掛け捨て型生命保険で善戦している。果たして、このモラルハザード故の「凶悪」は他国では起きないとは思えない。。
「アルバート氏の人生」
2011年公開/アイルランド ★★★
公開当時観られず、DVDで鑑賞。生まれながら母親に捨てられ、養母も死に、14歳の時から男の子に扮してホテルで働いてきたアルバート氏。19世紀のアイルランドの貧困、そこで女性が1人で生きることの難しさが学べる。ストーリーに派手さはなく、最後まで見続けるのに少し難がある感じもあるが、勉強にはなる部分があった。最後のシーンで、アルバート氏が好きになった若い女が、自分勝手な男の子どもを身ごもり、その子を抱きながら、ホテルの使用人は彼女に父親のいない子どもがいることを弱みに取られてただ働きをしていることを打ち明ける。おそらく、当時父親のいない子どもは奪われ、救貧院に入れられる、という行政措置のようなものがあったのだろう。カトリックの信仰が強い地域でもある。ただ、この映画の原作は短編小説らしく、実際に女性が男装をして生きた例があったのかどうかということはよく分からない。(※当時のアイルランドの状況を、映画の公式HPが載せている。映画中はほとんど描かれないところ。勉強のために下にコピペしておくことにする)
「アメイジング・グレイス」
2006年/イギリス ★★★★★
この映画を観るのは2度目か3度目。家のテレビに録画が残っていたのを一気に観てしまった。イギリスの政治家、ウィルバーフォースが、若くして首相になったピットらと奴隷解放に奔走する物語。映画を見終わって、子どもの名前を思いつく。自分の好きな映画の5本の指に入るかも知れない。
「ブラス!」
1996年/イギリス ★★★★
イギリスの廃坑になりそうな炭坑の町。ブラスバンドの葛藤とコンテストでの健闘を描く。見るのは2回目。すっかり夏休みを満喫している感じ。。昔見た記憶が薄れていたのと、労働問題を扱う映画として時々名前が挙がるのでもう一度観てみた。音楽映画の色合いの方が強いが。ウィキペディアで知ったのだが、映画は実際の廃坑になった町とブラスバンド、そのブラスバンドのコンテストでの優勝から着想を得ているとのこと。このエピソードが1992年らしい。1992年!日本で炭坑街が消えたのはいつだろう、少なくとも90年代では無いと思う。その佐は何なのだろうか。労働組合運動か?興味がわいたので、今度調べてみることにする。
「終戦のエンペラー」
2012年/アメリカ ★★★(3.5)
アメリカ人から見た日本の終戦の決断。天皇の戦争責任について。当時その判断資料を集めるよう指示された米軍の軍人を主役に描く。8月中に見た。夏休みにはよい映画。
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(アルバート氏の人生、HPよりコピペ)
本作での舞台となっている、19世紀のアイルランド。映画の中でも描かれていた通り、当時のアイルランドは大飢饉に見舞われ、生きる事が精一杯の時代だった。
1801年のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の成立以降、アイルランド島は全土がロンドンの連合王国政府および連合王国議会による直接的な統治下に置かれていたが、イングランドのように製造業が発展せず、国民の大半は農業に依存していた。
さらにアイルランドの農民は兄弟全員が土地を分割相続できたため、農地の細分化が進んだ。また、小作農家たちは以前は主に麦を栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。しかし1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。
この不作を飢饉に変えた要因は、その後の政策にあるといわれている。ヨーロッパの他の地域では在地の貴族や地主が救済活動を行ったが、アイルランドの貴族や地主はほとんどがブリテン島に在住しており、自らの地代収入を心配するあまりアイルランドの食料輸出禁止に反対するなどして、餓死者が出ているにもかかわらず食料がアイルランドから輸出されるという状態が続いた。連合王国政府も、緊急に救済食料を他から調達して飢え苦しんでいる人々に直接食料を配給することを、予算の関係などから躊躇しただけでなく、調達した食料を(安値で)売るなどの間接的救済策に重点を置いた。さらに、政府からの直接の救済措置の対象を土地を持たない者に制限したため、小作農が救済措置を受けるためにわずかな農地と家を二束三文で売り払う結果となり、これが食糧生産基盤に決定的な打撃を与え、飢餓を長引かせることになった。
最終的には、人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ。さらにアイルランド語話者の激減を始め、民族文化も壊滅的な打撃を受けた。アイルランドにおいては歴史を飢餓前と飢餓後に分けるほど決定的な影響を与えたため、”Great Famine”(大飢饉)と呼ばれている。
飢饉の発生した直後、1851年に行われた調査では、アイルランドの人口は6,552,385人であった。10年でほぼ150万人が亡くなったと考えられる。現代の歴史家と統計学者は、病気と飢餓のせいで80万人から100万人が亡くなったと考えている。加。さらに、グレートブリテン及びアイルランド連合王国のグレートブリテン島(現・イギリス)への移住、ゴールドラッシュが発生していたアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアなどへの移民は、合計200万人以上にのぼったとされる。
アイルランドは19世紀の人口に比べて20世紀の人口が減少している、西欧では唯一の国である。近年は経済成長などもあり増加傾向にあるが、2007年時点でアイルランド共和国と北アイルランドを合わせた全島の人口はいまだに約600万人と、大飢饉以前の数字には及んでいない。