四日市公害を、四日市の人にどうやって関心を持ってもらうか。
公害が発生し始めた頃からすでに50年。
何をいまさら、という感じだろうが、来年の切実な問題なりそう。
というのは、四日市公害裁判の判決から40周年を目標に、
資料館の創設を市が考えているが、このままでは
関心の薄さから、作って終わり、誰も利用せず関わらず、人のこない
資料館になる恐れがあるからだ。
市民団体の人たちの意見交換会を覗いてみた。
原発の反対運動には、近くの都市でも若い人がいたりするのに、
四日市公害はなぜ高齢化、少数化(もともと?)してしまっているのか。
改めてそんな話になった。
原発との大きな違いは、今目の前にあると考えられるかどうか、
ということだと思う。
エネルギーは誰もが毎日、毎時間使っているものだし、
それを火力でやるべきか、原子力でやるべきか、学説や
国によって違う。
三重県では終わっても(10年前、中部電力による芦原原発の
建設を阻止した)、瀬戸内海とか、他の場所では今も建設反対運動が
あり、建設された場所でも、いくつも問題が発生している。
これを踏まえて、四日市公害も、今の問題と関連付ければ
若い人も関心を持って勉強するのではないか。
例えば、今もアジアや急速な開発の進む国で、大気汚染による
公害は発生しているのではないか。経緯や原因には共通項があるはず、
とか。
つまり、開発経済学の一ページとしてとらえられないか、みたいな
イメージ。と、軽はずみにも発言してしまった。
「技術は五年で追いつく。50年前の公害の構造は、今の中国にはない」
と返された。
そうかもしれない。ただ、「今の問題にリンクさせ、問題提起すること」
は、一番必要とされているのではないか。
どんな論文でも、例えば歴史検証系の論文でも、
なぜ今、このテーマに意義があるのかを書くところが、一番重要で
一番大変だったりする。
資料館を作るのなら、導入部分にこの問題提起部分がないと、
興味を持って中に入ってもらえないはずだ。
ゆっくりゆっくりと進む意見交換会の中で、そんなことを思った。
彼らは1年かけて勉強会をしながら、歴史を再確認するという。
たぶん、私は1、2ヶ月くらいで目星をつけて、
仕事にかからなくてはいけないだろう。
公害が発生し始めた頃からすでに50年。
何をいまさら、という感じだろうが、来年の切実な問題なりそう。
というのは、四日市公害裁判の判決から40周年を目標に、
資料館の創設を市が考えているが、このままでは
関心の薄さから、作って終わり、誰も利用せず関わらず、人のこない
資料館になる恐れがあるからだ。
市民団体の人たちの意見交換会を覗いてみた。
原発の反対運動には、近くの都市でも若い人がいたりするのに、
四日市公害はなぜ高齢化、少数化(もともと?)してしまっているのか。
改めてそんな話になった。
原発との大きな違いは、今目の前にあると考えられるかどうか、
ということだと思う。
エネルギーは誰もが毎日、毎時間使っているものだし、
それを火力でやるべきか、原子力でやるべきか、学説や
国によって違う。
三重県では終わっても(10年前、中部電力による芦原原発の
建設を阻止した)、瀬戸内海とか、他の場所では今も建設反対運動が
あり、建設された場所でも、いくつも問題が発生している。
これを踏まえて、四日市公害も、今の問題と関連付ければ
若い人も関心を持って勉強するのではないか。
例えば、今もアジアや急速な開発の進む国で、大気汚染による
公害は発生しているのではないか。経緯や原因には共通項があるはず、
とか。
つまり、開発経済学の一ページとしてとらえられないか、みたいな
イメージ。と、軽はずみにも発言してしまった。
「技術は五年で追いつく。50年前の公害の構造は、今の中国にはない」
と返された。
そうかもしれない。ただ、「今の問題にリンクさせ、問題提起すること」
は、一番必要とされているのではないか。
どんな論文でも、例えば歴史検証系の論文でも、
なぜ今、このテーマに意義があるのかを書くところが、一番重要で
一番大変だったりする。
資料館を作るのなら、導入部分にこの問題提起部分がないと、
興味を持って中に入ってもらえないはずだ。
ゆっくりゆっくりと進む意見交換会の中で、そんなことを思った。
彼らは1年かけて勉強会をしながら、歴史を再確認するという。
たぶん、私は1、2ヶ月くらいで目星をつけて、
仕事にかからなくてはいけないだろう。