ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

里心

2012-05-30 21:57:15 | Private・雑感
知り合いの写真ブログを好んで開くことが多くて、
写真家を目指している(?)ようなきれいで繊細な絵、家族の姿に
見とれていた。

でもちょっと里心がついてしまうので、お気に入りから削除。
私も、子供がいる生活になったら、たくさん写真撮ろう。
というのが彼のブログからのお土産ということで。

ハノイの北朝鮮レストラン

2012-05-28 22:30:29 | Private・雑感
友人に誘われ、ハノイにある北朝鮮レストランに初めて行った。
8時になると、ステージに喜び組の彼女たちが登場し、
レベルの高いバンド演奏で韓国の歌謡曲らしきものを歌う。
「北国の春」もある。だれかのyoutubeを参考に
※映像は座敷バージョンで、ステージバージョンではドラム、キーボードもある。

前に四日市で行った、朝鮮学校の子どもたちを思い出した。
みんな一生懸命踊りやら太鼓やらをやっていて、非常に完成度が高かった。
この店の音楽もまさにそう。


店内はほとんど韓国人。テンポの良い歌謡曲も、それほどリズムに乗ったり
口ずさんだりすることなく、なんというか日本人と同じ感じで、興味深そうに見ていた。

ふと、ベトナム人の北朝鮮感が気になった。
共産党一党制の国として、交流がないわけない。と思うが、よく分からない。

なんというか、努力して外貨を稼ぐ姿勢に素直に感心してしまった。
どの道路もODAで作り、またODA予算の使い方がずさんで道路の質も悪いベトナムの方が、
頼りなく思ってしまった一日でした。

ベトナムの死因(けがのみ)についてのレポート

2012-05-27 22:22:00 | Private・雑感
ベトナムにおける死因について。
WHOの記事があったので、簡単に訳してみた。
記事は、病気を除いた「injury」(けが)に関するもの。
injuryは死因の4分の1で、かなり高い、という問題意識がある。

やはり、若い人に限ってみると病気よりけがで死ぬ人が多い。
15-49歳 →交通事故 (12800人@2007年)
14歳以下 →溺死 (12500人@2001年)

という数字が出てくる。溺死の多さにびっくり。先日書いた、
学校の授業でプールがない影響や、水害の多い国だということもあると思う。

今日は、ベトナムで数少ない老人ホームを訪ねた。
年を取ると、ベトナム人も日本人も顔は変わらない。
もちろん、日本の方が進んでいるところが多いと思うが、
緑いっぱいで、部屋や広間が開放的なこともあって、
公園のよう。気持ち良い今日の気候も相まって快適に見えた。
この報告はまた今度。

ーーーーーーーーーーー
WHO
http://www2.wpro.who.int/vietnam/sites/dhp/injury/
・ 2007年の調査、4人に1人は(病気ではなく)けがによる死亡
・ 1976年にはけがによる死亡は2%だった
・ 2004年、WHO grobal burden of disease surveyでは、5歳から29歳までの死因を36%と推計している
・ ベトナムのmortorizationは年率15%、交通事故、交通死亡事故に直結
・ 交通事故は2007年、leading cause of injury death、mortality rateは10万人に対し15人
・ 水死、農薬による自殺が、第2位、第3位の死因
・ 労災死も急増している、2008年には6047人が負傷し、573人が死亡した。2000年に比べて58%上昇
・ The national traffic safety committee (NTSC)は、2007年、路上事故により12800人以上が死に、10546人以上が負傷しているとレポートした。1日に35人が死亡、死亡率は15人(対10万人)。でも政府統計は実際より30%以上低いとも見られている。
・ 人口の56%を占め、経済上もっとも活発な15歳から49歳までの年齢層で、路上事故による死亡が第一位なのは確実だ。
・ Survey of attitudes of Vietnamese youth (SAVY)は、22-25歳の死因のうち少なくとも42%が交通事故だとしている
・ 2008年12月現在で、2680万台のvehicleが登録されており、うち95%が2輪車だ。毎日482台の自動車と、7680台のバイクが登録されていることになる。
・ 道路のデザインや交通知識の不足、ヘルメットやシートベルトの意識の低さなどがある。

・ 溺死も第2の死因だ。14歳以下では第一位となる。Hanoi school of public healthの調査では、2001年に12500人の子供が死亡した。溺死した人の71.8%は5-14歳だ。
・ The Vietnam multi-center injury surveyなどの調査(2001)では、injuryによって死ぬ子供は感染症よりずっと多く、27000人以上の子供が2001年に死亡。1日74人で、うち12500人が溺死だった。
・ Injuryで第3の死因は自殺。地方の委員会によると、Surviving suicide attemptersの分析では殺虫剤、殺鼠薬を使っていて、自殺を思いとどめる助けを求めた人はいなかった。2003年の推計で、18-21歳の8%は自殺を考えたことがあるとしている。
・ 5-29歳の死因のうち36%はinjury and violenceによるもの。148万の命が、


保険という商品

2012-05-25 20:23:56 | Private・雑感
医療保険って興味はないけど、仕事柄ついつい
ネット広告をクリックしてしまった。
これ
女性対象の医療保険のようだが、
「3年ごとにボーナス」とか
「入院の際にはいくら」とか
給付事項ばかりあって、保険料はいくらかわからない。
保険料を知るには個人情報を入力して資料請求しなくちゃいけない。

広告ってそんなもんだとは思うけど、
なんか腑に落ちないな。
スーパーの商品棚見たら、値段が分かるならいいけど、
請求しなくちゃ分からないもんね。

影も形も見えないのに、給付部分だけ見させられて、
肝心の料金は分からないのは、不満だ。


ハノイで家賃5000円の家

2012-05-20 22:06:09 | Private・雑感
続いてベトナム語の先生の話。
若い方の先生は、25歳。ハノイから100キロ離れた
ハイフォンという第3の都市に故郷がある。
ハノイの大学に進学し、そのころから住んでいるという「学生用の家」は、
こぎれいなかわいい彼女の雰囲気からして、
想像外(と言う言葉があるのか知らないが)だった。

中心部からさほど離れていない大通りから小道に入り、
最後は迷路のような細い道をバイクで行くと、長屋の家が現れる。
ベトナムのほかの家と同じくレンガ造りで、扉は木の板。
窓はあるがガラスはなく、格子戸だけがある。

6畳一間、ベッドと小さな机、窓の内側に子棚があり、
ガスコンロを置いて台所にしている。
冷蔵庫はなく、戸棚の横のビニール袋に野菜がいくつか入っていた。
毎朝、すぐ近くに市場に行って野菜を買うのだという。

トイレ、シャワーはもちろん共同で、その手前に井戸があり、
そこから水を汲んでたらいで洗濯しているようだ。
家の前に洗濯物が並ぶ。
この部屋に、2人で住んでいる。
繰り返すが、ベッドはひとつ。
3人で住んでいる部屋もあるという。
家賃は5000円という。

故郷が同じだったり、大学が同じだったりと、みな仲がいい。
not confortble but happy と言っていた。
午前中もみんなで一緒に出掛けていたそうだ。

家を見て、二つ似た情景が思い浮かんだ。
ひとつは、上海にあるという「地下の家」。
昔BSドキュメンタリーで見たのだが、核戦争に備えてかなんかで
上海に張り巡らされた地下壕に、地方都市から出てきた人たちが
住んでいるというもの。
これも家賃が5000円くらいだった気がする。
上海の人たちほどの凄絶さはないが、景色は若干似ている。

あとは、あだち充の『虹色とうがらし』。
江戸時代の長屋を舞台に描かれていて、井戸だし、冷蔵庫はないし、
プライバシーもない。
江戸時代と思えばいいのか?確かに、これが木で出来ていて、
床が上がっていて、ベッドではなく布団だったら、結構ありかも。
それにしても窓にガラスがないから、冬は寒いんじゃないのといったら
そうでもないと言う。

次の関心は、彼らはこの生活を「給料が低くて、普通の家が高すぎるから」続けているのか、
「貯金をするために、切り詰めるためにしているのか」あたりだろうか。
もっといろんな家に行ってみたい。

戦争で男をなくした女たち

2012-05-19 13:59:24 | Private・雑感
金曜の夜にベトナム語授業を入れると、1週間分の疲れと相まって
土曜日の午前中まで不調だ。
昨日は、つたないベトナム語で「ベトナム戦争後の女性たち」の話を
一生懸命聞き取ろうとしたものだからなおさら。
先生は、戦争終了時(1975年)16歳で大学生。
話してくれたのは、ベトナム戦争で夫や、恋人、「若い・年頃の男性」を 亡くし、
一方でとてつもなく家族を欲した多くの女性たちの話だ。

ベトナム全土が戦場となり、軍人だけでなく民間人もが戦闘に参加したこの戦争で、
200万人を超えると言われるベトナム人が死んだ。
女性も分け隔てなく参加したとはいえ、後方支援や軍需工場で働いた
人が多く、死に至ったのはやはり男性が多かっただろう。
北ベトナム軍がサイゴンに入り、「解放」した。
戦争が終わったが、女性のみが残ったのでは「幸福(hanh phuc)」を
誰にも求められない。

女性たちは男性を、子供を持つことを求めて男性を探した。
たとえば、ベトナム南部から北部へ戻る北ベトナム軍の車などには 女性が群がり
わき目も振らずに体を求めたという。
「運転手たちは、『お金をあげるから許して』と言ったけど、
『お金なんていらないのよ』と運転手の服をはぎ取った」 ・・・らしい。

野外映画場などでも同じようなことが起こり、そして男性たちは去っていったから
父親のいない子供がたくさん生まれた。
今の60歳代、70歳代の女性たちは、苦労して、授かった子供を育てた。
だから「今の30歳代で父親がいないと聞いても驚かない」のだという。

ベトナムの人口ピラミッドを見てみると、確かに男女比率は
60歳(2012年)(終戦時23歳)で女100に対し男は80.
70歳(2012年)(終戦時33歳)では女100に対し男64.

平均寿命75歳ほどの長寿の国で、あまりにも差がある。
当時は、年頃の男性がいなくなってしまって、すごく年の離れた結婚を
しなければならなくなるケースも多かったのだそうだ。

人間の生命力が、戦中と戦後の社会をかろうじてつないだ。
ふと、沖縄はそういう意味でどのような戦後を生きたのか関心が飛んだ。

死因

2012-05-17 21:31:53 | Private・雑感
ベトナムの死因を調べようとネットサーチしていたら、
「ベトナムにおける子供の死因の第2位は溺死だ」
という記述が、子供支援団体のHPにあった。
http://www.saigonchildren.com/drowning-is-the-second-leading-cause-of-injury-death-in-vietnam.aspx

確かに、高校生や小さい子が川や池でおぼれて死んだ、という記事を
ときどき見かける。
ベトナムの学校には校庭がない場合が多く、ましてやプールなどない。
水泳の授業はないから、みな泳げない。
もちろん川は、特にハノイやサイゴンの川は濁っていて汚くて
入れそうにもない。


泳ぎを教わったことなく水の中に放り込まれたら恐怖だろうな。
肝心の死因は、なかなか出てきません。

Mさんのこと

2012-05-16 22:27:29 | Private・雑感
今日は、あの人の命日だったかもしれない。
よく覚えていないし、去年の手帳は手元にない。
四日市で、いつも鍵をかけていない、家賃3万5000円の家の畳で
寝転がっていた。
あの時は、もう起き上がれなかっただけだけど。
その1週間後、娘さんから電話があったんだっけ。

冬は寒いが、夏は風通しが良くて確かに寝転がっていたくなる。
年を取ったら、あんな家もいいかもしれない。

もしかして、忙しくとびの仕事をして、帰ってきたら老妻の介護をして、という
10年の後、急に仕事も、そして思いつめたのちに妻も亡くして、
のーんびりしたかったのかもしれない。
2年ほどのんびりして、妻の命日のある5月に彼も逝ってしまった。

もっと思い切って、ぶしつけにいろいろ聞けばよかった。
何を考えているのか。
できれば、聞かずにわかるほどそばに居てみたかった。

さつま揚げの入った炊き込みご飯がおいしかった。
もうちょっとのんびりしてればよかったのに。
私も、もうちょっとあの家でゆっくりすればよかった。

外資企業が経済の半分以上を占める国

2012-05-13 09:50:02 | Public
ベトナムの経済構造がよく分かる統計が発表された。
今年1-4月期の輸入額
・国内企業:160億USD(前年同期比▲12%、前期比+4.3%)
・外資企業:174億USD(前年同期比+26%、前期比+36.4%)

「外資系企業では加工用原材料や組立部品の輸入が増加している」

というのは、加工用原材料、組立部品は、ベトナム国内調達ではなく、輸入する部分が多いからだ。「すそ野産業が未発達」と言われ続けている。

理由の一つとして、「外資系企業が資金調達する場 合 の 金 利 は 年 12~14%が 一 般 的だが、地場企業に対する金利は 17~19%に上昇するという」とある。
つねに合併や出資の話には「ただ、財務状況に不透明な点があり」と記事に付け加えられるような土地で、ベトナム企業に外資企業が貸し付けるのは難しい。それは、保険業界でも同じ感覚がある。

これは輸入統計だが、輸出はもっと両者の差が大きいはず。私の感覚では、外資系企業が経済の半分以上を担っているのは異様に見えるのだけど、これは異様なのかそうではないのか。それは次回の課題とします。

(記事)
外資系企業の輸入は急増、地場企業は減少
 商工省によれば、外資系企業の1
~4 月 期 の 輸 入 額 が 174 億 米 ド ル
(約1兆 3,880 億円)強と前年同期に
比 べ 約 26%増 加 し て い る の と は 対
照的に、地場企業の輸入額は 160 億
米 ド ル 強 で 12%近 く も 減 少 し て い
る。8日付VNエクスプレスが報じ
た。
 商工省は、外資系企業では加工用
原材料や組立部品の輸入が増加して
いるのに対し、地場企業は原材料の
輸入が減少しているとし、地場企業
が生産で困難に直面しているとの認
識を示した。
  1~4 月 期 の 輸 入 超 過 額 は 1 億
7,600 万米ドル。しかし外資系企業
の 貿 易 収 支 は、原 油 を 除 け ば 8 億
4,000 万米ドルの黒字となっている。
輸 出 額 の 伸 び 率 も、外 資 系 企 業 の
36.4%に 対 し、地 場 企 業 は わ ず か
4.3%にすぎず、対照的な結果となっ
ている。
 国家金融監督委員会(NFSC)
は、外資系企業は地場企業に比べ多
くの強みがあると指摘。例えば、外
資系企業は外国の銀行のみならずベ
トナムで活動している外国銀行から
も、低い金利で融資を受けることが
できる。外資系企業が資金調達する
場 合 の 金 利 は 年 12~14%が 一 般 的
だが、地場企業に対する金利は 17~
19%に上昇するという。

120428-0501ホーチミン2人旅

2012-05-06 17:57:11 | Private・雑感
金沢からやってきた、暑苦しい恰好の相方と、半袖シャツ、ビーチサンダルを
買うところから始まったホーチミン旅行。
書きたいことを書くにはいつも時間がかかるけど、
時間が経つと忘れてしまうというジレンマはありますが、
特に、今日手に取った『サイゴンの一番長い日』を読み終わってから
書きたい気もしますが、
おっくうになるのを恐れて書き始めます。

写真はこちら

・4月28日(土)
 ベトナムは極度に祝日が少ないと思う。旧正月らへんの1週間弱の休み以外は、年に5日しかない。そのうち2日が連なる4月30日と5月1日が、今年は土日につながって「ゴールデンウィーク」に。2度目のホーチミンで、相方と落ち合う。

 4月30日は「南部解放記念日」。すなわち、ベトナム戦争が終了した日。この日をホーチミンで過ごすことになった。大手タクシー会社の車両の上には小さな国旗がはためく。街角にもひらひら。

 サイゴン陥落、ベトナム戦争終結、というとアメリカが負けた日、という感じがするがそうではない。1973年1月のパリ協定で、アメリカ軍は撤退を決め、北爆を停止、3月末には撤退した。サイゴンは、北ベトナムが南ベトナムを制圧した日である。

 空港から市街地へのタクシーの中。空港のすぐ近くにマレーシア系百貨店パークソンが。空港からずっと「街」が続いている。ハノイは市街地から離れているのと、その間は水田、工業団地のほかに道の脇に見えるものはない。やるな、ホーチミン・・・。

 ホテルにチェックインして夕方4時ごろ。ショッピング街の並ぶドンコイ通りのすぐ近く。「観光のメイン場所」としても、確かにハノイよりずっときれいだし、「Organized」な雰囲気。ビールもおいしい気がしてきた。

 夕飯は、焼肉(@日本料理屋)に付き合ってもらう。そして、サイゴン川沿い、ベトナム戦争時のメディア基地となったマジェスティックホテルへ。屋上テラスのバーで一杯。暑さとうるささ、埃っぽさを避けようとと、人は空中へ文字通り「逃げる」。なんだか卑怯だなあと感じてしまうのは私だけだろうか。

・4月29日

 ツアーバスでカオダイ教総本山と、ベトナム戦争中に200キロものトンネル(地下壕)を掘ったというクチへ。バスは、晴天の中田舎へまっしぐら。カンボジアに続く道を進む。カンボジア国境のタイニン省へ。

 カオダイ教は、いわゆる新興宗教で、「新興宗教」という言葉からイメージする通り、とても怪しい。なんせ、(wikipdiaより)「孔子、老子、釈迦、観音菩薩、キリスト、ムハンマド、さらには李白、西遊記に登場する太上老君、ソクラテス、トルストイ、ヴィクトル・ユーゴーなどを聖人や使徒と仰ぐ」というのだから。代表する聖人が3人いて、掛けてあった表記を読むと中国の詩人と、ベトナム人の詩人と、ヴィクトル・ユーゴーだった。この信者は200万人いるといわれている。

 「どこから金が出ているのか」。そう思わずにいられない豪華絢爛、悪趣味な建物。この地域は昔から貧しいらしい、という情報をもとに相方とたてた仮説は、貧しいゆえにすがるものが欲しくて、誰かが唱えた宗教が発達した。その後は「村八分にされないため」に、「信じ続けている」というより「信者を続けている」。事実関係は未確認。
 なお、旅行中に読んでいた『ヴェトナムの歴史』によると、このカオダイ教には日本軍が絡んでいたことがある。日本軍が進駐し、フランスと保護権を交渉していたころ。当時から数百万の信者があり、フランス保護下の政権から抑圧を受けていた。これゆえか、もともとなのか、抗仏組織として政治色も濃い団体だったらしい。日本軍が目を付け、打倒フランスの下に協力関係を結んだという。

 バスはクチトンネルへ。

 戦跡公園として保存し、当時の南部:民衆兵士の服装や生活を紹介している。彼らが暮らしていたトンネルにも一部入ることができる。

 公園を回る前に、ビデオを見る。クチがいかに平和的な場所だったか、果物もたくさんなり、そんな生活を戦争が壊したのだ、というところから始まる。民衆が上半身裸&サンダル履きで銃を構え、アメリカ兵を待ち伏せする様子、落とし穴を作り竹やりを刺すところなどが映される。当時、プロパガンダのために撮られた映像を使っているのかもしれない。その後、中腰よりも低い姿勢で10分ほど歩き続けなければ「部屋」と呼べる場所に出られないほどの狭い洞窟を体験した。穴の中は意外とひんやりしていたが、虫が出たりしたのではないか。何より疲れて仕方がない。煙が出るため、料理は夜しかしなかったそうだ。

 なぜ、この平和的だったという町の住民が、武装し、しぶとく戦ったのか。
 たとえば日本でも防空壕は掘られたが、それを拡充して住めるようにし、爆弾作りを学んで空のB29に向かって撃った・・・わけではない。
 ベトナム素人の仮説だが、バスの両脇から見えた天然ゴムの農園がヒントかもしれない。ここらへんは、天然ゴム農園が多い。おそらく、フランス統治時代に多く作られたのだろう。そこでは、かなり過酷な労働条件で多くのベトナム人が駆り出され、搾取された。フランスの景気が悪くなるほど、植民地においては税率が上がり、労働は過酷さを増した。そこから労働条件の改善などを求めたり、また不合理な状況を作り出しているフランス政府へ抗ったりという「共産主義の土壌」ができたと述べる本があった。だとしたら、アメリカ軍に対するしぶとさ、粘り強さにもつながる気がする。帰ってきてから、そんなことを思った。

・4月30日

 それにしても暑い。泊まった「サイゴンホテル」(星は2つ半くらい?)のエアコンが、ついてはいるけど効いてない。ただ、朝ご飯を食べる9階のレストランはグッド。

 南ベトナムの大統領府に北ベトナムの戦車が入場し、「サイゴン解放」となったのは午前10時。それまでに当時の大統領府(公開されている)に入ろうと向かったら、チケット買うのに長い列!それも、ベトナム人特有の横入りあり。それでも、午前10時には入場できた。特にセレモニーや館内放送などもなく、それがかえって平和さを感じさせた。1975年から37年―――。75年以降にもカンボジア侵攻、中越戦争の歴史があるこの国は、本当に平和になってからそんなに長い時間は経ってないのだ。日々ハノイで暮らしていても、あまりにも若い人ばかりだし(平均年齢27.4歳!)、感じないのだけど、よく勉強しなくちゃいけない。

 喫茶店でビールを飲み、本を読んだりと休憩してから戦争証跡博物館へ。2回目だが、目にする写真に再度驚く。悲惨さと、それが(日本と違って)50年も昔、というわけではない新しいものだということ。特に枯葉剤の影響を受けた子供、大人の写真は2000年を超えてからもある。前回来た時より、少しベトナムの地名がわかるので、ハノイの近くでも村が消えたり、たとえば先日アフガンで米兵が民家の16人を乱射した事件があったが、それに似た事件も起こっていたことを知った。

 まさに「証跡」を並べることを意図した資料館だが、日本では何がそれにあたるのだろうか。広島、長崎、沖縄には、「証跡」博物館と言えるものがある。東京には?靖国神社の資料館くらいしか思いつかない。しかもあれは、結果と言うより経緯を、主観を交えてなぞっている印象だった。東京が、そのほかの大都市、地方都市、そして広島、長崎、沖縄が、後遺症なくきたわけがない。東南アジアの戦地で死んだ日本人、運営した収容所、捕虜たちの最後、シベリア抑留・・・。ちなみに、ベトナムには各地に戦争資料館がある。

 博物館を後にして、またビールで休憩。Bietaxco Finansial Towerへのぼり、ワインを飲んで、フォーを食べて相方を送り出した。2人の旅は、ビールをよりおいしく飲めるのと、元気回復が早くなるのと、またいろんな議論が楽しい旅になる。私の長い長い旅に必要不可欠な3日間が終わりました。