最初は会社の昼休みだった。休む暇なく仕事が詰まっており、予定と予定の間に電話があり、気合を入れて作ってきたスタミナ弁当をお昼休みに食べられず。受け取った電話の内容にもストレスが溜まった。ひと段落した夕方に、駅まで歩いて本屋に立ち寄り、手に取った小説の書き出しがほどよく現実逃避になった。それが島本理生『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』。食べ物が美味しそうに登場する恋愛小説で、海外ドラマにハマるように1日で読了。まだ恋愛小説に心躍らせている自分に驚いた。著者は私と同い年だ。
小説の現実逃避感がいいなと思って、次に家にあった『女のいない男たち』(村上春樹)を読んだ。この中のドライブ・マイ・カーという短編の映画化が話題になっているが、それはぜひ観たい。それにしても、村上春樹の小説は数年ぶりに読んだが、昔ほど癖のない文章になった気がする。前は、村上春樹の小説を読むと、頭の中の思考ツールとしての言葉が、全部村上春樹風になってしまうので困ったものだった。
そして。夏休みの連休前半で、西加奈子の『サラバ!』文庫版の上、中、下を読破。1日1冊。小説だと全然いけるなー。面白かったのだ。サラバ。
器用に生きてきたと思っていた主人公が陥った大きな穴。それは奇しくも今の私と同じ37歳のときに入り込んだ。これまで器用に立ち振る舞っていたと思っていた自分は、何も決めないこと、選ばないこと、中庸でいることを信念のようにしていたけど、それは信念でもなんでもなく、やはり空白だった。そう言ってしまうと誰もがそれに当てはまるように感じるのではないか。私はそうだ。
自分の信じるものは何なのか。理念。小説の最後の部分は、どんな解釈が正しいのかわからないが、首尾一貫を求めるだけが素晴らしいのではなく、思い出やその時々に信じたものを受け止めて、「サラバ」を告げて進んでいくこともまた一つの信念と言えるのではないか、というような…自信はないがそのようにこの言葉を受け止めた。真面目に仕事をし、子どもを育てているように思っていても、ただただ「真面目風にそれらを流している」自分がいる。そう自覚せざるを得ない。セカンドハウスなぞ買って、悠々自適にしている場合か?と突っ込む自分もいる。まあ、セカンドハウスはツールであって、必要なエネルギー補給兼、子育ての省エネ化の一策だというのが私の解釈だが…。
面白い小説体験でした。菰野の中古本屋でたまたま見つけたのがきっかけだったのだが、連日の雨模様の中で集中して読めて楽しかった。