日本文化の形成、というテーマで書いたものではなく、主に縄文から弥生の時代に移るところを考察したもの。例えば、「倭国」と表現されていたものは何だったのか。焼き畑農業の広がりや、朝鮮半島(百済)から「侵略」された形跡がないことなどから、倭国は朝鮮半島から九州、西日本にかけて広がっていた民族ではないのかという仮説。だから、百済が新羅の侵攻で窮地に陥った時に助けに行った)白村江の戦い)。そして、百済、倭国ルートで稲作や大陸文化、交易をつないでいたが、百済の滅亡により難しくなった。そうして初めて日本の南方に目を向け、種子島、沖縄から文化文明を輸入するようになっていったのではないか。
倭国が国名を変えて日本になったわけではない。…では日本という国家主体はどこから来たのか?それはよくわからなかった。(本書で述べていたかもしれないけれど)
おととし、北海道を旅行した際、アイヌ博物館に行き、縄文文化にほとんど初めて興味を持った。7800年続き、それゆえに日本列島じゅうに広がったと思われるひとつの文化が、弥生の時期に、それまでに比べれば急激に、まだらに文化が変化していく。わたしのような素人には、地図の多い本の方がよさそう。少しいろんなことをおさらいしてから、梅原猛 にも挑みたい。