ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

宮本常一『日本文化の形成』

2016-01-29 11:54:30 | Book
夫に習って3ヶ月毎のテーマ読書をしようと思い、1から3月は歴史、と思った時に寝室にあった夫の本。宮本常一の本はほとんど初めて読んだ。宮本常一について書いている本は何度か読んだけど。

日本文化の形成、というテーマで書いたものではなく、主に縄文から弥生の時代に移るところを考察したもの。例えば、「倭国」と表現されていたものは何だったのか。焼き畑農業の広がりや、朝鮮半島(百済)から「侵略」された形跡がないことなどから、倭国は朝鮮半島から九州、西日本にかけて広がっていた民族ではないのかという仮説。だから、百済が新羅の侵攻で窮地に陥った時に助けに行った)白村江の戦い)。そして、百済、倭国ルートで稲作や大陸文化、交易をつないでいたが、百済の滅亡により難しくなった。そうして初めて日本の南方に目を向け、種子島、沖縄から文化文明を輸入するようになっていったのではないか。

倭国が国名を変えて日本になったわけではない。…では日本という国家主体はどこから来たのか?それはよくわからなかった。(本書で述べていたかもしれないけれど)

おととし、北海道を旅行した際、アイヌ博物館に行き、縄文文化にほとんど初めて興味を持った。7800年続き、それゆえに日本列島じゅうに広がったと思われるひとつの文化が、弥生の時期に、それまでに比べれば急激に、まだらに文化が変化していく。わたしのような素人には、地図の多い本の方がよさそう。少しいろんなことをおさらいしてから、梅原猛 にも挑みたい。

赤子の「ひよこ時期」

2016-01-28 16:48:32 | Private・雑感
写真データはGoogledriveで管理している。スマホで撮るものが多いから、それをアプリで月に一回程度アップロード。月別にフォルダを作っている。管理し始めたのは、長女が生まれてから。

今日、なんとはなしに、もしかしたら産後始めて職場に顔を出しに行っていろいろ話しをしたからかもしれないけど、長女はどんなふうに成長したのだっけ、次女は長女に似てるのかしら、と思って写真を見返してみた。

うぅ、かわいい。やはり表情が豊かになってくる生後三ヶ月あたりから、歩き始めるころまで。走るようになると、今の長女(2歳3ヶ月)とだいぶ同じ雰囲気になる。それ以前は、人間とはちがう、例えばニワトリではなくひよこのような、別次元の生命としての可愛らしさがある。
…こういう感動、忘れていた自分にも驚いた。

次女について、4月から保育園に預けるとなると、こういう時期を見逃す、とまでは言わないけど見届ける時間が少なくなるのかあ、と胸に迫るものがあった。いやまてよ、長女のときも、夫は夜と休日だけの関わりではあったのだ。だからどうしたというわけではないが、たいそうに考えすぎることもないのか?

週4回6時間よりは、週3回8時間のほうがはたらきやすい気もする。職場へのあいさつでは復帰の話は何一つしなかったけれど、少し考え巡らす機会になった。

夫の異動内示を控えた共働き妻の心境

2016-01-26 12:15:02 | Private・雑感
もうすぐやってくる。3年に一度の夫の転勤内示。3年きっかりではないのだけど、今回は堅いらしい。おそらく2月5日あたりではないか。

3年半前は、私はベトナムにいて、彼は金沢。私はベトナムの会社を辞めて、彼の転勤先を拠点に就職活動するつもりでいたから、内示が明らかになったらいろいろ(主に仕事、住まいについて)考えようと思っていた。
今回は、なんと子どもが2人もいる。私は産休中だが、仕事がある。
仕事の継続、住まい、子ども2人の保育園、家族4人用の住まい、夫の仕事スタイルへの対応、育休復帰の時期、、変数が多すぎる。最適解を見つけるつもりではあるけど、考える時間が欲しいので、早く教えてくれ!というのが今の心境。

いまできることは?
…冷蔵庫の中身を徐々に綺麗にしていくこと。冷凍食品を片付けていく。
できれば本の整理。
あとは、羽島市内転居となった場合の住むエリアのイメージ作り?賃貸物件の予算額なども考えておきたい。

ロシアとアメリカの大国意識

2016-01-24 06:20:41 | Private・雑感
NHKスペシャルの、「激動の世界」を、ロシアとアメリカの回だけ観た。アメリカ一極体制は終わり、「アメリカは世界の警察ではない」と宣言せざるをえない時代。新しい世界秩序はできておらず、lシリア内戦、難民問題を解決できない。

アメリカは、イラク戦争の失敗がトラウマになっている。イラクに地上軍を大量投入し、フセインを倒したが、その後「権力に空白」が生まれ、混乱が生まれ、その制圧のために長年軍を投入し続けなければいけなかった。その「フセイン後」に兵士3万5000人が死んだ。シリアに本格介入してしまうと、同じ事態になりかねない。地上では、アメリカ軍が訓練した反政府勢力の人間を投入しようと400億円以上費やしたが、失敗。新しい策は見つけられていない。

ロシアは、ソ連時代の大国意識そのままに、周辺に新ロシア政府をつくろうと注力する。どうやら、民間の人たちもそれを自然な選択肢と受け止めて支持しているようだ。

アメリカのトランプ支持者を見ても、great america! を叫んでいる。大国意識なんて、日本人からすれば恥ずかしい、時代遅れのものというのが一般的な感覚だと思っていたけど、この二国ではそうではないらしいということが驚きだった。

このシリーズでは、処方箋は出さないのだ。イアン・ブレマーにインタビューしておきながら。いくつかのアイデアを出して欲しい。外交の素人である私が、考える材料を。

新生児期のベビーグッズ

2016-01-21 12:20:07 | Private・雑感
先ほど、初めて赤子と2人きりでお出かけしてきた!銀行で出産に伴う入院費を支払い、パン屋でパンを購入。ベビービョルンのベビーキャリアで難なく行けました。自信がついた!

赤子と一緒に、上の子の保育園のお迎えに行くこともそのうち出てくるだろうし(現在は夫が担当)、気分転換に外出したくなった時にも2人で出かけられたら嬉しい。

ベビーグッズは進化している。新生児期に重宝しているのは、

ベビービョルンのベビーキャリア
ディディモスのベビーラップ
コンビの電動ベビーラック

ディディモスのやつは、今回の出産直後に存在を知り、衝動買いならぬ、衝動的おねだり?で、弟に出産祝いとしてもらいました。赤ちゃんを幅の広い丈夫な布で体に巻きつける形なのだが、これをやると本当によく寝てくれる!お腹空いてないはずなのにぐずっている時など、1日2回くらい使って、そこからベビーラックにのせる。

ただ、布がながーいので、床に垂れさせながらでないと巻き付けられないため、外出先、例えば車で出かけてそこから使おうと思っても難しい。外出時は基本、ベビーキャリアかな。便利グッズよありがとう!

母乳育児について

2016-01-21 06:03:25 | Private・雑感
これ、ほんとにそう。
http://s.ameblo.jp/son-mihyon/entry-11715260552.html

先週、夫の両親が夕方に来て、ごはんを食べて帰ったのだけど、赤子が機嫌悪く泣いて、2人の前で授乳し続けるのも気がひけるので、疲れていたし、さっきも授乳したとこだしということでミルクをあげたんですよ。そしたら、お義父さん。
「もう出ないってこと?」
と、なんと無邪気に言うんです。責めてるわけでもなんでもないことは分かるんですが、じゃあなんで聞くんだ、と。その後2日くらい腹立たしかった。

ここが田舎だからかもしれないけど、喫茶店で会った知り合いでもないおばさんが、「母乳で育ててるの?」と聞いてくる(上の子のときに何度も経験)。だったらなんなの?

おっぱいという部位がデリケートな部分であり、母乳育児中はそんなに頻繁に口にしない単語であることや、私と赤子の静かなコミュニケーションの時間を口出しされたり邪魔されたくないという気持ちがある。生後2ヶ月くらいまでは、なんとか頑張って(意地の部分もある)母乳育児をやってるのに軽々しく文句(言ってる方はそんなつもりないと思うが)つけないで、という気持ちも。

そこのところ、世の中のおじさんおばさんにはわかってほしい。放っておいて。

映画「秋日和」など

2016-01-20 14:16:03 | Movie
この1週間で観た映画

「ソロモンの偽証」前編・後編
模擬裁判は思考力を鍛える訓練になる。ディベートより準備が積みやすい分、ハードルが低い。

「岳」
冬山に行きたい。きっと行くぞ。(連れて行ってもらうぞ) 山へ復帰するという気持ちを強く持とう。

「ビューティフル・マインド」
統合失調症にもいろんな症状がある。段階がある。長い人生の中で根気強く付き合えば、新しい段階を踏むこともできる。

「秋日和」
小津安二郎映画。同じ監督の「秋刀魚の味」にえらく似た展開というかテーマだったような。若い女が家族を慮り、本音で動けない辛さ、あきらめ、憧れ、みたいなものを描くのが好きだったのだろうか。


仕事復帰の時期

2016-01-20 13:32:33 | Private・雑感
赤子はもうすぐ、この世に生まれて1ヶ月。1ヶ月前は、予定日直前なのに出産の兆候もなく、焦ったり疲れたりしていたんだっけ。遠い昔のことのよう。不安定に泣き眠りを繰り返す赤子との時間は疲れるけど、臨月の頃よりは楽かな。寝ても疲れるという妊婦はやっっぱりそれなりにしんどかった。

今回、夫は正月休みを含めて3週間弱休みを取り、その休みが終わる日に実家の母が来てくれて、1週間、まさに「ヘルパー」をやって帰って行きました。なので、日中赤子と2人きり、夫の仕事次第で夜対応も1人で、という生活はおとといの午後から。上の子の存在により、非常にびくびくしてます。上の子の機嫌、赤子の機嫌、そして夫の仕事、と、変数が多すぎる。それらに合わせて意図的に動かせるのは私だけ。特に上の子が保育園から帰ってきてからが大変なので、日中にできることはやっておこう、もう昼過ぎから、夕飯のことを考えたり、私だけシャワー浴びておいたほうがいいかしら、と考えてみたりしています。

早く外に出たいなあ。

4月から仕事復帰できるかなあ。

4月というと、生後3ヶ月、やっぱりちょっと早いかな。パート復帰がいいかも。週3日を1カ月、週4日を1ヶ月、そのあとは短時間勤務復帰、半年ほどしたらフルタイム復帰。ただ保育料は、週3日でも、定額の1ヶ月料金取られるのだろうな…でも、子どもが2人利用していれば2人目は半額なはず。それも考えれば…

下の子の育休復帰に伴う計算

週3日のパート勤務
850円*6時間*3日*4週=61200円

追加的保育料
48000/2=24000

※機会費用として、育休給付金 124000円
※最初から週5日6時間だと
185000*3/4=138750

一応プラスにはなるか。でも育休給付金の方が倍もある、というのはショックだな。最初の2ヶ月はボランティアにしてもらうという手もある。

そんなに早く復帰しなくてもいいのではないか、子どもとの時間を楽しめばいいのではないか、と思う部分もある。でも、一緒に遊ぶことのできない赤子と時間を過ごすのってけっこう大変だし…とうじうじしたり。そんなとき、この言葉に少し救われました。

「周りには自分たちの両親が近くに住んでいて家事・育児をお願いして、自分は会社から帰ってきてから寝るまで子どもと気持ちよく遊んで充電するという家庭もありますし、親と同居している家庭もあります。あるいは家事代行やベビーシッターを利用しまくる家庭もあるし、わが家のように収入が多少下がってでも妻は仕事をやめ夫も家事・育児を優先する家庭もある。いずれにしても、一番重要なのは自分の心身を健康に保つこと。そのために仕事が必要なら仕事をしたほうがいいし、逆なら仕事をしないほうがいいでしょう。」
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7745&page=4

そう、私には仕事が必要だから、仕事するんだ、それでいいじゃないか!と思えた。いつまでもこの土地に居られるかわからないからこそ、この環境で積める経験はなるべくたくさんしておきたいし。
今の段階では、そう思っています。さて、3週間後に夫の異動が内示されると思われるのだが、この最大の変数を処理することができるか。

映画『クレイマー・クレイマー』

2016-01-10 07:08:40 | Movie
働く父親たち、とくに日本の働く父親たちにはあまねく見てほしい映画。子どもの存在がいかに尊いか
離婚が子どもに与える具体的な影響がどれほど辛いものか、子どもと一緒に「生活を作っていく」苦労と喜びが詰まっている。
子どもの親権を争う調停の場で、父親を演じるダスティン・ホフマンが言う。
「僕は褒められた父親ではない。一緒にご飯を食べ、学校に行き、また帰ってきて一緒にご飯を食べ、本を読んで寝る。僕たちが作ってきた生活が僕の家にはある。それは、一度壊れたら元には戻らない」。
2人が黙々と朝食の皿を並べたり飲み物をマグカップに入れたりして過ごす朝や、フレンチトーストを互いの役割に沿って流れ作業で作っていく場面に、2人の生活の喜びがにじみ出ている。

親権者として父親が適格か、母親が適格かというのとは別に、いまの生活を壊し、また作らせる。そのことが子どもに与える負担は大きい。「神が2人を分かつまで」子どもにとって父親と母親は変らない。

学生時代に観たはずの映画だけど、全然印象に残っていなかった。親になってから観るとこんなにも違うものか。とくに、夫と観るのがオススメです。

『されどわれらが日々―』

2016-01-09 04:51:02 | Book

今年の目標のひとつなので、早速書評を書いてみる。年末に退院後、すぐに読み出した本。小説を手に取ったのは本当にひさしぶり。著者、柴田翔のインタビュー記事@朝日新聞夕刊を入院中に読み、ポチッと買ったもの。

題材は、1955年の日本共産党第6回全国協議会でなされた武力闘争からの方針転換。それまで、(ウィキペディアによると)「農村から都市を包囲する」と掲げて大学生らを地方の田舎に潜伏させ、武力訓練を行わせていたものを、解体して、議会闘争を方針の中心に据えたというもの。小説では、この方針転換そのものではなく、共産党員であった東大生たちが地方に潜伏した後に転換を知らされ、無力感のままにどのように人生を送ろうとしたか、けりをつけようとしたのか、というところが焦点にある。

高校生から党員で、党を疑わずに地方へ潜った者は、「出世を望む資格などないのだ」と言い聞かせながら地味な鉄道会社に就職し、それでも自身にけりをつけられずに自殺する。主人公も東大の大学院生だが、卒業後は地方の英語講師として生きることを決めており、幼なじみとの婚約を含めて「あきらめ」の漂う静かな人生を送ろうとしている。「これでいいのだ、幸せの道なのだ」と考えようとしていた婚約者の彼女の方も、「私は死ぬときに、何を成したと思うだろう。何もない」と思い悩み始め、これまでの人生を否定することもいとわないことを決め、婚約破棄を願い出る。

紹介文に必ずあるように、「青春群像劇」であり、骨格のストーリーがシンプルにあるわけではない。ただ、当時の空気感みたいなものがある。発刊は1964年、で著者は29歳のときだったというから、著者が当事者として体感したものなのだろう。

こういう小説は、山本七平ではないが「空気の研究」というような意味合いで、特に当時を経験していない人に示唆を与えるものだと思う。空気に意思や理由があるとは限らないが、こういう多感で考え込みやすい東大生はなぜ、どうして、ということを自分の方向に向かって煮詰めて考えてくれる。正月早々に読む小説としては暗すぎた、出版の年は芥川賞受賞。