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時々、ゆるーい小説、それも「女性の人生」がテーマと思われる小説を読みたくなる。おそらく、働き始めてからだったと思う。結婚を意識したり、出産、子育て、仕事・・・というようないくつかの柱ができて、「ようわからん!」と思ったりすることがあったからかな。
日経新聞の夕刊で、ちらっと紹介されていたのがこの本。著者と同じ1959年生まれの女性3人が、大学を出て(出たのに)専業主婦になり、悶々としながら子育てをして、その時々を語り合う。
決して面白い本でも、うまく書かれた本でもないと思う。ただ、1959年生まれで、1977年に東京の私立大に入学、1981年ごろに就職活動をした、団塊の世代よりもひと回り若い女性の生き方を勉強するには、良い気づきをもたらしてくれる。
・求人票「自宅通い」が条件
地方から出てきた彼女たち。当時は女性の大学進学が当たり前というほどにはなっていなかった。文学部系で、それなりーに、遊びながら、バイトしながら、教職は取らずに4年生を迎え、いざ就職しようと求人票を見ると、「自宅通い」が条件となっている。実際、東京に地元のある女性の先輩たちは、有名企業に(お茶汲みスタッフとして)就職が決まったが、彼女たちは苦戦し、電気店の販売スタッフなどに収まる。「地方から来た女の子はどんだけ遊んでるかわからん」「男性従業員と社内結婚する相手なら、都内の方が何かとよいのでは」みたいな理由で「自宅通い」が条件になっているのでは・・・と彼女たちは話していた。こんな就職活動があったということを知らなかったので、興味深く読んだ。
・彼女たちの母親は、自営業で働き者→彼女たちの罪悪感に
専業主婦になるのが当たり前の時代。四大を出ていながらも、結婚を機に退職、妊娠・出産・子育てで、家に収まっていく。それを、「当たり前」と思えない、もどかしく思う気持ちもあったのだ。それは、自分の母親たちは、牧場で牛の世話を休むことなくしていたり、町の乾物店の店番を毎日していたり、と、働く姿を見て育ったから。「専業主婦モデル」が今でも話題になることもあり、経済学の分析でもよく出てくるが、彼女たちのリアルは、「働いた方がいいのでは」「働かなくてよいのかな」という葛藤があった、ある人の方が多かった、と思い至った。これも新しい気づきをだった。
基本的に、彼女たちは家に収まって子育てや家計のやりくり、姑との付き合いなどばかりに費やしてきた時間に、「これでよいのだろうか」と悩みながら過ごしている。それをどうにか、自己肯定しながら、「子育てを卒業」する50代までを生きる。あまり羨ましくないし、今の時代に生きていたら「働けばいいじゃん」とツッコミを入れてしまうだろう。でもまあ、よい社会勉強になりました。