マクロビオティックな歯医者さんの食と暮らし                   食養塾 無何有庵の日々

無(む)と空(くう)の癒しの時間の中で、心食動息の一つ一つを共に考えていきたいマクロビオティックなスペース。

そろそろ社会復帰しています。

2016年09月14日 18時51分29秒 | 庵主の日記
12日は母の月命日でした。
母が亡くなりもう半年になりました…。
母の葬儀にはたくさんのご厚情を頂きまして、ありがとうございました。
遅くなりましたが、心からお礼申し上げます。

私は、相変わらず実家暮らしではありますが、先月末から松見歯科の受付嬢をやってます(笑)
ご主人の転勤などでスタッフの退職が続き、ピンチヒッターというところでしょうか。
母の病気療養のため始めた実家暮らしですから、もう半年以上も高松の家を空けてしまいましたその間に、家も診療室もいろいろ大変なことになってます!!!
片付けや整理に、エンジン全開、ネジを締め直さねばな我が家ですが、こうして、少しづつ母の死を乗り越えて行くのかなと思っています。

実家は、33歳の時、母と一緒に暮らすために購入した小さな家ですが、私の結婚後は母が一人で暮らすことになり、寂しい思いをさせてしまいました。
でも、高台の緑豊かで静かな環境にあり、母はこの家をこよなく愛していたようで、亡くなる前には、手放さないで欲しいと何度も申していました。 母にとってこの家はまさに終の棲家となってくれました。私は母への返しきれない恩返し…少しは親孝行ができたでしょうか。

母が他界して半年。実家の暮らしは、母が生きていたという再確認の毎日でした。

娘に負担をかけまいと節約をしていた暮らしぶりはそこかしこに…
慎ましく、爪に灯りを灯すようにして、残さなくてもいい蓄えをしてくれていました。

一番好きだった椿の花を道連れに、まさに落椿の如く次の世界に旅立った母。
実生の種から芽を出した小さな樹々を屋根の高さほどに育てたり、挿し木をして大きくした数々の花々など、母が手入れをしてきた庭には、この半年、一度も絶えることなく季節、季節の花が咲きほころび、毎日が驚きと喜びにあふれていて、私を慰め守ってくれているかのように、母の温もりと面影を感じます。
花のひと…春の花を独り占めにして最期を選んだ母は本当に花が好きだったんだなぁと、庭に咲きほころぶ花の数々に、母と会話しているかのように話しかける毎日です。

遺品の整理は、物寂しい作業でしたが、ほぼ片付けが終わり、後は、庭に残された鉢植えの樹々を、高松の畑に移植する大作業が残っています。高松と丸亀を毎日、水やりに通うことは無理ですので、悲しいですが、プランターの花々はどこかで諦めなくてはなりません。私も鉢植えと共に、もう少し陽射しが和らぐ季節を待って、高松の家に帰る予定です。なので、今しばらくは高松の家に通勤ということになります。

来月には、食改善のお話「理のコース」も再開いたします。
少しづつこれまでの仕事を見直しながら
活動を始めたいと思います。

そして、離れ難い丸亀の家は松見歯科の《食養塾 無何有庵》の活動の一部を移して《養生塾 はーとりーと》というホリスティックリトリートの拠点となるべく活用して行きたいと考えています。

母の病気療養は、昨年4月末に末期ガンと告知されはじまりました。本人が医療介入を望まず、自宅でセルフケアと自然な手当てにより対応致しました。最期の2週間はベッドの上で過ごすことになりましたが、完全に寝たきりの介護は4、5日でした。骨転移による痛みはありましたが、手当てにより、比較的軽く済んだように思います。
母の看取りの経験は、もしかしたらどなたかのお役に立てるのかもしれません。きっと母は自分の療養の始終をオープンにすることを誇らしげに天国から見守ってくれることでしょう。そして、《養生塾 はーとリーと》としてこの家を活用することを喜んでくれると思います。
ここでは、自然のお手当法や、療養食の作り方、医療や介護施設、自治体の利用法や、介護技術の体験など、プロの方などのレクチャーなども頂き、そして介護や看護だけではなく、日々の暮らしの中で役立つセルフケア、予防、食改善のアドバイスができればと思っています。

また、具体的な計画が立ちましたらご案内いたしますね。

これからも、よろしくお願いいたしますヾ(@⌒ー⌒@)ノ




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