について、小泉総理が韓国で語っていた。
参拝は、平和を祈念するため、そして、今の日本の繁栄のために犠牲になった人たちに感謝するためだという。
一番目の目的は大いにけっこうなことだが、二番目には疑問を感じる。あの戦争で戦死した人たちは、だれと戦って死んだのか。彼らは果たして、日米同盟とその下での繁栄を容認しただろうか。「今の日本の繁栄のため」、という言い方は、彼らの死を冒瀆するものではないだろうか。二つのベクトルは全く反対なのだ。
彼らは確かに国のために死んだのだろうが、当時の日本と今の日本は別の国だ。「あの戦争」という言い方があるように、もはや当時の日本は、「あの国」になってしまったのだ。
何と言っても、今の日本には神がいない。いるとすればそれは、「数字」だろう。日経平均株価がいくらになったか、とか、楽天がTBSの株を何パーセント取得したか、とか、一人の女が死ぬまでに何人の子を産むのか、とか、公立校の何割が卒業式で君が代を歌ったか、とか、内閣支持率はどのくらいか、とか、さまざまな数字が人々の心をとらえ、動かしている。
数字は絶対的なものではなく、変化するものだ。靖国神社一つに日本人の心を集約することはできないだろう。人生いろいろ、総理もいろいろ、追悼のしかたもいろいろ、ということになる。
参拝は、平和を祈念するため、そして、今の日本の繁栄のために犠牲になった人たちに感謝するためだという。
一番目の目的は大いにけっこうなことだが、二番目には疑問を感じる。あの戦争で戦死した人たちは、だれと戦って死んだのか。彼らは果たして、日米同盟とその下での繁栄を容認しただろうか。「今の日本の繁栄のため」、という言い方は、彼らの死を冒瀆するものではないだろうか。二つのベクトルは全く反対なのだ。
彼らは確かに国のために死んだのだろうが、当時の日本と今の日本は別の国だ。「あの戦争」という言い方があるように、もはや当時の日本は、「あの国」になってしまったのだ。
何と言っても、今の日本には神がいない。いるとすればそれは、「数字」だろう。日経平均株価がいくらになったか、とか、楽天がTBSの株を何パーセント取得したか、とか、一人の女が死ぬまでに何人の子を産むのか、とか、公立校の何割が卒業式で君が代を歌ったか、とか、内閣支持率はどのくらいか、とか、さまざまな数字が人々の心をとらえ、動かしている。
数字は絶対的なものではなく、変化するものだ。靖国神社一つに日本人の心を集約することはできないだろう。人生いろいろ、総理もいろいろ、追悼のしかたもいろいろ、ということになる。