武富士が全日本選手権で敗退し、前身のイトーヨーカドー以来のチームの歴史にピリオドを打った。 今思うのは、ヨーカドー時代の確か1997年に、当時のエースの斎藤真由美がダイエーに移籍した時点で、今日の廃部は決まっていたのではないか、ということだ。
移籍の理由は、若手選手の中から「あの人がいるからいつまでたっても自分はレギュラーになれない」、という声が出ていたから、というものだった。具体的にその若手選手がだれだったのかはわからないが、自分が当時の斎藤と同じ25、6歳になった時に、果たして彼女は後進のために現役を引退したのだろうか。それはともかく斎藤は、よりによってヨーカドーと激しいビジネス戦争を繰り広げていたダイエーに移籍してしまった。当時このニュースをマスコミが大きく取り上げることはなかったが、ヨーカドーの社内に大きな波紋を広げたであろうことは、想像に難くない。
全日本女子が2000年のシドニー五輪の出場権を逃したのを機に、ヨーカドーはバレーからの撤退を決断するわけだが、その時発表された理由は、「バレー人気には一般的な広がりがない(マニアしか試合を見に来ない)」、「社内のバレーに対する関心が低下した」、というものだった。斎藤は結局パイオニアで2004年3月に現役を終えたが、もしもヨーカドーに残っていたら、少なくともその時までヨーカドーバレー部は存続していたのではないか。数多くの試練を乗り越えてプレーし続けた彼女の姿は、現代の神話のようなものだった。彼女がいる限り、「社内の関心が低下する」ことなどなかったはずだし、廃部など考えられなかっただろう。また、その頃は経済状況も持ち直していたし、武富士と違って例の「法改正」の影響をヨーカドーが受けることもなかった。
もしかしたら、パイオニアでそうしたように、斎藤はアリー・セリンジャー氏を監督としてヨーカドーに迎え入れようとしたかもしれない。それが実現していれば、有力な若手選手が次々にヨーカドーを目指して、斎藤が引退した後も強豪チームであり続けたかも。
すべては空想だ。だが、ヨーカドーバレー部の人脈はまだ生きている。ちょうどパイオニアの吉田監督の退任が報じられたが、後任は未定だという。武富士の石原監督(元ヨーカドーのコーチだ)が起用されても、能力的に見ておかしくはない。だが・・・。私は「斎藤監督」に期待している。「バレーの精」のような彼女がチームを率いたら、何が起こるのか。単純にそれが見たいのだ。