ファンクションコードのインタビューを読む。
この記事の中の、演劇(特に、J・A・シィザーの音楽を含む寺山演劇)を知らないであろう音楽関係者の発言は、むしろ微笑ましい。問題なのは、声優業や音楽活動を裏切り行為だとする演劇関係者の方だ。彼らが月蝕歌劇団の源流である寺山修司の演劇を知らないはずはない。
「どんな平凡な人の生活にもドラマはある」。「生きている限り、人はそれぞれの役を演じ続ける」。このような主張の下、寺山は現実と虚構の境界線を限りなくあいまいにしていき、一般市民を巻き込んでの大規模な市街劇を展開したのだった。
つまり寺山によれば、プロの役者であれ一般人であれ、「演劇を裏切る」などということは原理的に不可能、ということになる。
「演劇を裏切る」。それもまた、ひとつの劇である。
アニメ関係者からの批判がない、というのは象徴的だ。今や音楽、演劇よりも元気があって、外の世界を向くだけのゆとりがある、ということか。「クール・ジャパン」がたとえ逆差別だとしても、差別の対象になるくらいの存在感が日本のアニメにはある、ともいえる。