松平康隆氏が死去。
新聞はどれも彼への賛辞オンリーだが、忘れてはいけないことがいくつかある。
まず、彼がミュンヘン五輪の時、バレーを積極的にテレビ局に売り込んだこと。これが、バレーがテレビ局に支配される始まりになった。現在の倒錯した両者の関係は、どうか。主要大会の恒久的な日本開催。日本中心の試合開始時間。世界のバレー全体が日本のテレビ局に従属していて、そこからの脱却、さらなる成長というものがまったくストップしてしまっている。
次に、80年代から90年代にかけて、全日本監督のポストをミュンヘンの教え子たちの間でたらいまわしにしたこと。能力の伴わない監督人事。これが現在に至るまで尾を引いている。そうそう、男子だけでなく、確か94年には横田氏を全日本女子監督に起用したが、幸か不幸か1年で彼はクビになったのだった。
そして、「白紙の領収書」問題。金額欄が白紙の領収書を大量に発行して、全日本の選手たちに名前だけ書かせていたことが発覚して大騒ぎになり、これがもとで松平氏はバレー協会の会長を辞任。後を追う形で、全日本男子監督を務めていた大古氏も、アトランタ五輪予選の真っ最中だったのに、辞任。おかげで男子バレーは予選落ちしたのだった。
ミュンヘンの金。それが彼の、人生のピークだった。