ユダヤ人の人身供犠についてのあれこれ。ほとんど備忘録。前に書いたのと違う。
旧約聖書にはいくつか人身供犠の実例が出てくる。ユダヤ人の指導者エフタは、アンモン人との戦いに勝った後、主との約束通りに自分の娘を「焼き尽くす献げ物」にする(士師記11)。
ダビデ王は、主の怒りを鎮めるために、サウル王の子孫をギブオン人(カナン地方の先住民の生き残り)に引き渡して処刑させた(サムエル記下21)。間接的な人身供犠と言えるだろう。
これはユダヤ人の例ではないが、イスラエル、ユダ、エドムの連合軍に攻められたモアブ王は、長男を焼き尽くすいけにえとしてささげた。するとモアブの神ケモシュの怒りが起こり、連合軍は撤退した(列王記下3)。
ユダ王アハズは、カナン人の慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせた(列王記下16.3)。
イスラエルの人々はカナンの神バアルに仕え、息子や娘に火の中を通らせた。その結果、主の加護を失い、イスラエルはアッシリアに征服された(列王記下17)。
人身供犠は、レビ記18.21、申命記12.31、同18.10によって禁じられている。にもかかわらず、このはやりっぷりはどういうわけなのか。
仮説1。謎を解くカギは、モアブ人にあるのではないか。モアブ人は、アブラハムの甥ロトの子孫で、ユダヤ人とは血縁的に近い。一般にセム族というが、モアブ人とユダヤ人はもっと近くて、テラ族(テラはアブラハムの父親)と呼んだ方が適切だ。そのモアブ人は、人身供犠を行っていた。ということは、「カナン人の慣習」とは関係なく、そもそもユダヤ人も人身供犠を行っていた可能性があるのではないか。
また、ロトの子孫にはモアブ人の他にアンモン人もいるが、アンモン人の神モレク(ミルコム?)も人身供犠で知られている。果たしてユダヤ人の主=エホバの神は、どうだったのか。
さらに言うなら、人身供犠を禁じる規定は、実はバビロン捕囚後に書かれたのではないか。ユダヤ人は、自分たちの没落の原因を探し求めた。その結果、人身供犠が悪かった、ということになった。だから、「主がレビ記や申命記で禁じていたのに、それに逆らって人身供犠を行ったユダヤ人が悪い」、という体裁を後からこしらえたのだ。
「儀典は神話に先行する」(ロバートソン・スミス)。だが・・・。
もうひとつの仮説。先に挙げた5つの例のうち、最初の3つは人身供犠に至るまでの事情が詳しく書いてある。だが、後の2つは記述があまりにも大雑把だ。どうして子供に火の中を通らせたのかがわからない。イスラエルとユダの分裂王国時代に、本当に人身供犠が行われたのかは不明だ。動機は第一の仮説と同じになるが、自分たちの没落を説明するために、後からユダヤ人が人身供犠の記述を書き加えたのではないか。実際のユダヤ人の人身供犠は、エフタやダビデ王の場合のように、あくまでも例外的なものだったのではないか。いや、もしかしたら、同じことはモアブ人やアンモン人にも言えるかもしれない。