ヨハネによる福音書の特異性。ギリシア的で、反ユダヤ的だ。
まず、ギリシア的な要素。「初めに言葉があった」というもったいぶった書き出し。ギリシア哲学風だ。さらに・・・。
「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。・・・その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま・・・」(13、23、25)。
「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。・・・ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい』。それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった」(21、20~23)。
・・・モロにBLにゃう。しかも、かなり「肉体的な愛」だ。ペトロに指摘されたイエスも、キレ気味なのにゃ。
BLの元祖は古代ギリシア。旧約聖書は男色を禁じている(レビ記18、22)し、他の福音書にこのような記述はない。ヨハネって、いったい・・・。
「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」(21、24)。ヨハネがその弟子だということになるが、果たして・・・。
ヨハネに限らず、弟子たちの足をイエスが洗う場面がある(13、5~11)。これも、BL的だ。たとえばギリシア神話に出てくる、父親を殺して母親と寝るオイディプース。この名の意味は「腫れた足」で、バハオーフェンによると「勃起した男性器」を暗示しているという。つまり、「足を洗う」というコトの意味は・・・。