紀元前850年ころ、イスラエル、ユダ、エドムの連合軍が、モアブを攻めた(列王記下3、5~9)。
この戦争については、預言者エリシャがこんなことを言っている。「主はモアブをあなたたちの手にお渡しになる。」(同3,18)
にもかかわらず、結果はこうなった。モアブ王が長男をいけにえとしてささげると、イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルは自分の国に帰った(同3,27)。
エリシャが、うそをついたのだろうか。そうではない、と思う。「主」は、モアブ王のいけにえの方を喜んだのではないか。
そもそも、モアブ人はユダヤ人と近い。アブラハムの甥のロトが、彼らの始祖だ。このことは、アンモン人にも当てはまる。さらに言うと、エドム人は、アブラハムの孫であるヤコブの兄エサウの子孫だ。さらに、血縁は近い。
はっきり言おう。ユダヤ人の神エホバ、モアブ人の神ケモシュ、アンモン人の神モレク、聖書には名前が出てこないエドム人の神。これらは、実は同一の神だったのではないか。神は気まぐれで、その時の状況に応じてユダヤ人を勝たせたり、モアブ人を勝たせたりしたのではないか。
この神は、人間のいけにえを喜ぶ。ユダヤ人も、それに応えている。アブラハムとイサクのエピソードを振り返ってみよう。神に息子をいけにえとしてささげよと言われて、アブラハムは実に手際よく準備をしているではないか(創世記22、1~10)。いけにえの風習が一般的だった証拠だ。また・・・。
エフタは、自分の娘をいけにえとしてささげた(士師記11,39)。さらに時代が下ったイスラエル王国でも、この風習は続いた(列王記下17、17)。
「あなたの神、主に対しては彼ら(※カナンの先住民)と同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。」(申命記12,31)
だが、この規定は、実はバビロン捕囚時代に書かれたという説がある。ヴェーバーの「古代ユダヤ教」に、そう書いてあったにゃう。
※補足 モアブ人の神はケモシュしか出てこないし、アンモン人の神はモレクしか出てこない。つまり彼らの宗教は、ユダヤ人と同じ一神教だった、と考えるほかない。これは、「エホバ=ケモシュ=モレク説」の傍証となるのではないか。
エホバがケモシュに敗れたのではない。エホバは、ケモシュ(モレク)だったのだ。