そして、「烈女伝」。
ペルシアの女たちのエピソード。メディアとの戦いに敗れたペルシアの兵士たちが逃げ帰ってきたその前に、女たちが立ちふさがった。彼女たちは着物のすそをまくり上げ、女性器をあらわにして、兵士たちを罵った。「どこまで逃げるつもりなのか。おまえたちが生まれてきた、この中までか」。これを聞いた兵士たちは奮起し、戦場へ戻ってメディア軍を打ち破った、という。
同じ女性器なのに、この間取り上げたリュキアの女たちのケース(バッハオーフェン「母権論」)とは正反対にゃ。民族性というやつか。なお、リュキアの話も本書に収録されているのにゃ。
ちなみにタキトゥスの「ゲルマーニア」によると、古代ゲルマン人の女性は、男たちが戦いで劣勢に陥ると、おっぱいをあらわにして応援した、という。やはり、民族性にゃ。
そうそう。バッハオーフェンが論じた「大地と月と太陽の象徴的な意味」。その元ネタが、「愛をめぐる対話」の中に出てくるのにゃ。もっともプルタルコスは、プラトンの作品から引用しているらしい。やはり「西洋哲学は、プラトンの注釈に過ぎない」のかもにゃ。