「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」(ショーペンハウアー「読書について」岩波文庫)。だが・・・・・・。
実際は、違った。プラトン、エピクロス、セネカ、スピノザ、カント・・・・・・。そして、イギリス人によって翻訳された古代インドの聖典。これらの書物がなければ、ショーペンハウアーは「意志と表象としての世界」を完成させることができなかった。
「読書について」というタイトルも、不正確だ。実際は、文章の書き手に対する意見の方が多い。「新しい言葉(たとえば、『措定』)を勝手に作るな」、とか、「ジャーナリストという言葉は、ドイツ語では『日雇い仕事をする人』という意味である」、とか。
実際に読まないと、わからないのにゃ。