リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ヴァイスからマッテゾンへの書簡(2)

2021年04月21日 12時07分39秒 | 音楽系
ヴァイスはマッテゾンのクリティカ・ムシカ第4部におけるフーガとカノンについての記述に敬意の意を表しながらも、同280ページにリュートの欠点を指摘されたことに対しては「苦しみさえ禁じえない」として反論しました。



これがクリティカ・ムシカ第4部280ページですが、ここによく引用される「80年生きたリュート奏者云々」が書かれているのでしょうか。このページはドイツ語の専門家に訳をしてもらわないといけませんね。

その反論ですが、まずクラヴィーア(チェンバロ)が完璧さにおいてはリュートに勝ると言うことを認めます。

「リュートが完璧さの点でクラヴィーアに比肩しうると主張するリュート奏者は、特に私も含め、皆無でありましょう」

しかしもし私の演奏を聞けば、おっしゃるような誤解は解けるはずだと自分の演奏に自信の程を見せます。

「私は実際のところ、常々この楽器で私が身につけた技を貴方の前で少しでもお見せできる幸運があったならと思っています」

そしてどの楽器にも欠点がありもちろんリュートの調弦際のの問題点を認めます。しかし自身の演奏を聴かせるときには弦を張り替えるというということはほとんどしないので、自分のの演奏では調弦する頻度が少ないのだと主張します。「ほとんど」というのは張り替える必要があるときはあるということですが、1コースが弦の不良で突然切れることがたまにはあったのでしょう。

もうひとつ言及しているのは、「非常に湿った天候の時は別ですが」というくだり。そのようなときはよく弦が狂うということです。これはガット弦を使っているどの弦楽器でも同じでしょう。当たり前ですが当時も雨は降ったわけです。

そしてヴァイスは、調弦がよく狂うのはリュートという楽器のせいではなく奏者のせいである。ただ「へったくそ」な人もいるのも事実なので、貴方(マッテゾン)がリュートというのは音が狂いまくると言っても驚くことはない、と続けます。そしてその「へったくそな」奏者の例としてハンブルクにいたことのある巨匠T氏とM氏をあげています。

そして、「彼らを軽蔑するつもりはありません。彼らはこの楽器を最大に活かす術を未だものにしていなかったと、私は証言することができます」として、リュートはそんなもんじゃない!ということを重ねて主張します。

このT氏とかM氏って誰なんでしょうね。ロストックの写本にTallmannという人の曲があるようですが、この人でしょうか。M氏はMaritinoかな?Martinoのトリオ(リュート、ヴァイオリンまたはフルート、バス)が6曲残されていますが、時代的にはヴァイスよりは少しあとの人です。