リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

第三次世界大戦

2021年01月21日 11時01分29秒 | 日々のこと
昨年の4月にバロック音楽の旅14を、第三波到来を予想して一年延期決定をしましたが、今になって思うと全く正しい決断だったと思います。もし本年度実施ということで進んでいたら、今頃は大変なことになっていたはずです。先週の日曜日が第5回コンサートの開催予定日、そして来月始めに最終回となっていましたが、これら2つのコンサートは東京や大阪から演奏家に来ていただく予定でしたから、演奏者が桑名に来れないという事態になりコンサートは中止を余儀なくされていました。

本番そのものだけでなく、リハーサルもできない状態になっていましたでしょうし、そもそも受講生の皆さんの参加率も相当落ち込んでいたでしょう。そうなると、例年第5回講座、最終回の講座で次年度の講座先行予約を受け付けていましたのでこれもできなくなっていました。この方式は事業の安定継続にとても有効な方法ですが、先行予約が取れないとなると、バロック音楽の旅事業そのものが崩壊とまではいかないまでも立て直しに2,3年かかる可能性がありました。

今はこの事業はいわば冬眠状態で今年の10月に目覚めます。この頃までにワクチン接種が多くの国民に行きわたっているのでしょうか。恐らく1年延期をしたと言っても実際は結構綱渡りなのかも知れません。会場はソーシャルディスタンスを取った席配置にして、入場前には検温、手指消毒液の設置も必要でしょう。恐らく来年もまだ同様の対策が必要でしょう。なんとかかつての状況が取り戻せるのは再来年あたりではないでしょうか。

100年前のいわゆるスペイン風邪も終息するまでに足掛け4年を要したといいます。誰かがコロナ禍は第三次世界大戦だと言ったそうですが、まさしくその通り。人類敗戦の色は濃厚で、これから停戦協定を結ぶといったあたりでしょう。これだけ沢山の人が亡くなり、政治も経済もずたずたになっているわけですから、人類はすでにコロナとの戦いに負けているのは明らかです。コロナに打ち勝って勝利宣言!オリンピックだー!なんて見当違いも甚だしいです。

カラヴァッジョの絵に描かれている曲を演奏する(1)

2021年01月20日 14時47分03秒 | 音楽系
以前カラヴァッジョの「リュートを弾く若者」に描かれている楽譜の曲を特定いたしました。


2019年11月07日のエントリー

赤い下線の曲、Arcadelt 作曲Perche non date voi donna crudele(マドリガル集第1巻、1539)を2月20日のコンサートで演奏することにしていますので、これをリュートとソプラノで演奏できるように楽譜を清書し編曲しました。オリジナルはパート譜しかありませんので、まずこれをスコアにすることから始めます。

Sibeliusはほとんどの記譜に対応していますが、小節線のないこの時代の楽譜には完全に対応していないようで(私が知らないだけなのかも知れませんが)スコアを作るのには少し工夫が必要です。

小節線のない楽譜自体は作ることができるのですが、小節線をまたいだ全音符とか倍全音符は記譜することができませんので、タイで繋ぐしか方法がありません。小節線は消えていますが小節の概念は残っているわけです。でもSibeliusは柔軟性が高いので少々面倒ですが一工夫すれば、当時の記譜法に対応できます。



赤い矢印が入っている箇所を注目してください。ここはもともとは薄い色で表示されている音符やスラーが書かれていた箇所で、それを非表示にしたり消去したりしています。画面上では「非表示」であることがわかるように薄いグレーになっていますが、印刷したときはこの部分は印字されません。

ほとんど白玉ばかりの楽譜でSibeliusで対応できていないところもあるので、手書きでスコアにするという方法も考えられますが、書き間違えた時の修正はやはりSibelius の方がはるかに柔軟にできるし、そこからリュートタブもすぐに作れますのでやはりSibeliusですね。

上の楽譜はに現代人になじみやすいように、1小節分の長さごとにティックという短い縦線が第1線に入っています。昔の人はスコアも使わず、ティックもないパート譜だけで合わせていたんですね。

ナウムブルクのオルガン

2021年01月19日 15時46分14秒 | 音楽系
ドイツの大都市ライプチヒから南西に50kmほどのところにある小都市ナウムブルクに、バッハゆかりのとても立派なオルガンがあります。今から20年程前に出版された「バッハへの旅」(東京書籍、加藤浩子、若月伸一著)という本に紹介されていました。



この本が出版された当時はまだ再建途中で、同書の掲載写真からは修理中の様子が伺われます。昨日のエントリーで紹介しました、NHKの「らららクラシック」の後半ではドイツのオルガンを鈴木雅明さんが訪ねて演奏していました。そのうちの一つがナウムブルクの聖ヴェンツェル教会のオルガンでした。

オルガンの修理は2004年に終了し、8月に終了記念の演奏会が同教会で行われました。演奏は鈴木雅明さんです。教会には必ず専属のオルガニストがいるのですが、その人ではなく雅明さんが演奏するのはすごいことだなと思い、のこのことバーゼルからナウムブルクまで聴きに出かけました。

ナウムブルクの中央駅から地図をたよりに歩いて教会に向かいました。


駅前にある地図の看板です。これをデジカメで見ながら道を歩きました。

通りの表示をたよりなんとか教会にたどり着くことができましたが、途中の街並みは経済復興はまだこれからという感じがしました。古い時代のトラム(たぶん戦前でしょうか)の線路が道にはありましたが、もうトラムは走っておらず線路の隙間は砂でうまっていました。昔は綺麗だったと思わせる建物や街並みはありましたが、すでにそうとう老朽化しているのに修理はされず荒れ果てた感じがしました。さすがに教会の前の広場は綺麗な建物が並んでいましたが、一歩中心部を外れるとまだかつての戦争、東西冷戦時代の尾を引いている印象を強く受けました。これは14年前の話しですが、今は昔の街並みが戻りトラムも走っているのでしょうか。


聖ヴェンツェル教会


見事に修復されたオルガン

演奏会には沢山の方が詰めかけていて、歴史的オルガンによるバッハの演奏をたっぷり楽しむことができました。



名声と実力

2021年01月18日 12時55分30秒 | 音楽系
100mを9秒58で走ったウサイン・ボルトは世界一の実力者でありその名声をほしいままにしています。69連勝を果たした横綱の双葉山も角界史随一の実力者であり没後50年以上経った今でもその名声に陰りはありません。その実力は数値でも示すことができ、少なくともその部分に関しては誰でもわかります。

時計で計測できたり、勝った負けたできまるスポーツではその実力は非常に明確に提示できます。ただフィギュア・スケートやアーティスティックスイミング(シンクロ)、ボクシングの判定などだと主観的要素が入り若干微妙なところも出てきます。でも明確かつ厳格に評価基準が定められており大幅にぶれてしまうということはほとんどないようです。この場合もやはり実力が何らかの数値的尺度が示され、多くの人がその実力を認識することができ名声が確立されていきます。

では音楽などの芸術分野ではどうでしょうか。日本を代表する演奏家だと言われている人の演奏を聴くと「確かにそうだ」と納得してしまうことが多いでしょうが、その納得は単に人の言説に左右された結果にすぎないのかも知れません。速く指が動くということで絶賛されるというケースもあります。それは音楽の世界では数少ない定量的な指標となる事柄でしょうが、芸術性と結びつくものではありません。そういうのは曲芸の世界です。

音楽以外の美術や文芸でも実際のところどこがいいのかよくわからないけど、みんながそう言っているからあの作品はすばらしい、と思うのが実際のところでしょうし、真の評価ができる人はその芸術家と近いレベルかそれ以上の力を持っている人に限られるでしょう。そういう事実があるので時として名声と実力がかなり乖離している芸術家が出てくるのは想像に難くありません。

もちろん名声も実力も備えている人はいます。昨日NHKのらららクラシックという番組に出演していた鈴木雅明さんはまさしくそういう人でしょう。彼は間違いなく日本の古楽界のトップランナーですし、ヨーロッパでの名声は日本におけるそれ以上に高いです。バーゼルのCDショップには大々的に「SUZUKIコーナー」があったくらいでしたから。

10何年か前、シュツットガルトで2日に渡る彼の講習会に参加させていただき、そのあとの打ち上げで一緒にお食事をする機会がありました。初対面でかつ私の方が少し年上ということもあってか、向こうもいろいろ気を使ってことばを選んで話している感じがしましたが、そのことがかえってなんかオーラみたいなものを私に感じさせました。

彼みたいに名声と実力を兼ね備えている人は実はそんなに多くはないというのが私の見立てです。残念ながらリュート界にもギター界にもヴァイオリン界にも指揮者界にも(美術や文芸の世界はよくわからないので何とも言えません)「乖離人」がいます。まぁ名声はなく実力も中途半端な私が言うことですから全くアテにはなりませんが。

大学入試共通テスト問題評価【ごく一部です】

2021年01月17日 12時54分57秒 | 日々のこと
新聞に昨日実施された大学入試共通テスト問題が出ていましたので、久しぶりに少しやってみました。ついでに問題の評価もしてみましょう。昔この手の問題作成を国立教育政策研究所で携わっていたことがありました。(学習指導要領実施状況調査の問題作成です)私が作っていた中学生と高校1年生向きのテストで、内容もレベルも違いますが、作成に携わった方のご苦労をしのんでみましょう。

さて、ざっと見て一番やさしそうな第2問Aを選んでみました。かつての作成メンバーの中には当時のセンター試験問題作成に携わっていた先生方もいらっしゃったので、それらの先生なら全部やるでしょうけど、私はちょっと・・・ええ、時間もありませんし。

第2問のAはバンドのコンテストの点数評価と文章評価および審査員の順位決定のための共通認識に関する英文を見て、設問に答えるという問題です。(新聞の字が小さいので苦労しました)

ざーっと読んで、まずバンドの順位をつけてみました。3つの資料、すなわち点数評価、文章評価および順位決定のための共通認識からの情報をまんべんなく正確に内容を読み取らないと判断できないようになっています。(順位を答えるのは問5です)読み取りの問題で、できの悪いのだと、ひとつのパラグラフとかひどいのになると1文読んだだけで答えがわかってしまうのがありますが、その点この問題は良問だと言えます。

少しトリッキーなのが問3と問4です。問3は fact は何かを問う問題、問4は opinion を問う問題です。例えば問4の中に正しいfactとしての記述がありますが、この問いは opinionを問うているので、その選択肢は排除しなくてはなりません。というようなことがあるのである種のひっかけ問題です。こういうのは作る方としてはいろいろひっかけラインをめぐらすのが楽しいでしょうが、受験生としてはメンドクサイものです。でもまぁある種の必要悪かも知れません。

ただ問4の選択肢3番(正解)にある "connect with the audience"という語句 使った文が審査員のコメントにありますので、これは少し別の表現にして欲しかったところです。これを見て当てずっぽうで正解になる受験生もいたかも知れません。一応構文は少し変えてあるのですが、肝心の "connect with the audience"を別の表現に変えないとしっかりと読み取ったことにはなりません。問題作成のときはこういうマグレ当たりになる確率を少しでも排除することが重要です。

問1と問2は軽いジャブのような問題。これをはずすようでは入試の合格はおぼつかないかも。まぁ他の教科でかせげばいいでしょうけど。問1は "sing the best" の別の表現を読み取る問題、問2は'positive and critical comment" って具体的にはどういう言い方になるの?ということを問う問題、いずれも良問だと思います。

全体として見ると、問4の正解となる選択肢の表現が気にはなりましたが、情報を整理して読み取り総合的に判断する力を見る問題として、平易でバランスがとれたとてもいい問題だと思いました。今は国研で作っているのか、民間に委託しているのかわかりませんが、問題作成の先生方、グッジョブ!です。


Easy Baroque Pieces (7)

2021年01月16日 15時48分09秒 | 音楽系
今回取り上げる写本はクレムスミュンスターのL.78写本です。クレムスミュンスターはウィーンの西150kmくらいにあるオーストリアの町です。プラハ(チェコ)とニュルンベルク(ドイツ)とクレムスミュンスターを地図で結ぶと1辺が200kmくらいの正三角形になります。この町のベネディクト会修道院にはL.**という整理番号がついているバロック・リュートのタブを収めた写本があります。全体的に難易度の高い曲を収めたものが多いのですが、L.78は初心者を対象にした曲もあり、すでに私のバロック・リュート教本の名曲集で使わさせてもらっています。



写本の冒頭は簡単な曲で始まりますが、それ以降は少しレベルが上がり★2つから3つクラスの曲が並んでいます。P.61(PDFのページです)のパッサガリア ト短調はちょっと手ごわいですがなかなかの佳曲です。★3つレベルを松竹梅にわけると松くらいですね。P.71のジグ イ短調は個性的なテーマで始まる曲です。この前後にゴーティエの曲があるので、このジグもゴーティエの曲といいたいところですが、ゴーティエの作風ではありません。この写本の曲の多くは作曲名が書かれていませんが、一部の曲にゴーティエとロジー伯の名前が見られます。件のジグはロジー伯の曲にありがちなスタイルではあります。★3つの竹か、あるいは速いテンポで弾かなくてはならないので松でしょうか。


P.72のジグ

P.37-41の曲をアリア、メヌエット、サラバンド、ジグと組んでヘ長調の組曲にしてみました。通して弾くと6,7分くらいですが、技術的には★3つの竹梅レベルです。音楽的にとても美しい曲ばかりで、こんなレベルの高い曲なら作曲者はロジー伯でしょうか。でもロジー伯ならそうと書いてあるでしょうし、いった誰が?


P.38 メヌエット 簡素ながらとてもよくまとまった佳曲です。

あと同じヘ長調の曲ですがP.82~86にありますメヌエットとクーラント、これもいい曲です。メヌエットとクーラントの2曲にしては5ページにもわたっているのは、それぞれに流れるようなドゥブルがついているからです。レベルは★3つの松です。先ほど「ヘ長調組曲」と組み合わせたら大パルティターになりもう立派なコンサートピースです。曲はいいですよー。

蛍の光

2021年01月15日 14時17分01秒 | ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】
まだまだ続きそうな新型コロナ禍。といいますか、よく考えてみると悪化しそうなファクターは一杯あるのに終息に向かうファクターはひとつもありません。まぁアビガンは効くらしいですけど、まだ治療薬として承認されていませんし、ワクチンもまだまだです。

ウチに引きこもっているのが最善でしょうが、運動不足にならないよう一応ジムには行っています。大体閉店40分くらい前に入ることにしています。もうこの時間帯だとほとんど貸し切り状態です。プールはときに各レーン一杯になるときもありますが、マシンは多くても2,3人、私ひとりのときも結構あります。運動が終わったらシャワーして着替えますが、ちょうどこの頃に、「もう終わりですよー」という音楽=蛍の光が流れてきます。日本の定番ですね。(笑)これを聴きながら服を着て荷物をまとめるのですが、そのアレンジが気になって仕方がありません。一部ですがちょっと聴いてみてください。

ジムで流れている蛍の光

ベルトの金属音やごそごそいう音が入っていますがそこはご容赦を。

このアレンジと同じものはよそでも聴いたことがあるので、結構ポピュラーなアレンジのようですが、途中からでてくるピアノのオブリガートが和音と合っていません。

合っていないところは、38秒~40秒と53秒~56秒あたりです。初めはF durで進行しますが、途中からB durに転調して(34秒あたり)、そのすぐあとです。

歌詞でいうと、ホタールノー、ヒカーーリー、・・・・フミーーヨムーツキーーヒー・・の「カーーリー」と「キーーヒー」にあたる部分、ハ長調でいうと両方とも「レードレー」です。ここにCまたはC6の和音になるピアノのオブリガート入っています。もちろんハイテンションノートとしてとらえることは可能ですが、ここだけそういう風にとらえるわけには行きません。

この部分が聞こえてくるると「その音ちゃうやろ!」なんて一人で突っ込みをついつい入れてしまいます。声には出しませんが。



こりゃだめだわ。

2021年01月14日 10時08分09秒 | ローカルネタ
Wena3を装着して近所のアピ〇に買い物に行きました。決済はカッコよく左手首を機器においてSuicaで決済です。桑名の成城石井たるカ〇ヤ〇でも2ケ月くらい前から電子マネーが使えるようになっています。ア〇タのセルフレジはバーコード読み取りの反応が悪くちょっとイラっとさせられますが、一応電子マネーは使用可能です。でも先日行ったときは一部のレジで使えなくなるという表示がありました。

今日の買い物はSBのカレー粉とおねぎとあと少々で大した量はありません。品をカゴに入れてセルフレジに向かうと、アレレ、9つあるセルフレジは全部majica以外の電子マネーダメになっています。majicaって?ユニ〇が出してるやつ?マジカよ。



Suicaが使えなくなるのはてっきりセルフレジの一部だと思っていました。有人レジだと前にてんこ盛りのかごを持ったばあぁちゃんがならんでいて、お金を払うときも分厚いブタ財布を取り出して、指に唾をつけて札を数え、そのあとコインを探すもなかなかお目当てのコインがつかめず、タイミングが悪いと下にポロっと落としたりして、次になんとか割引券を財布の別のところから探し始め・・・というような光景が展開するのはまれではありません。

有人レジで電子マネーは使えるみたいですが、それでも全部ではありません。使えるレジを選んで並びましたが、今回もてんこ盛りのカゴ3つ分しっかり待たされました。私の分は少ないので、後ろの人はラッキーでしょう。



しかしDXデジタル・トランスフォーメーションが叫ばれるこのご時世に使える電子マネーを自社関連のものだけに限定してしまうなんて、時代に逆行しています。買い物客は年寄りばかりで電子マネーなんてもともと使わないし、電子マネーはmajicaに囲い込もうというと考えたのかも知れませんが、経営センスは大丈夫でしょうか。

ちょうど同じ日にスタバは交通系電子マネー(Suicaもそのうちのひとつですね)が使えるようになったと発表しました。Suicaで支払ったらコーヒーの2杯目は特別に安くなるキャンペーンもあるようです。冒頭で書きましたように、イオ〇もカキヤ〇も郵便局も全てのコンビニもいまや電子マネーが使えるようになっています。

冒頭にも書きましたように〇ピタのセルフレジは反応が悪く商品をかざしてもなかなか読み取ろうとしません。読み取る速度も遅いし、読み取り確認音が普通は「ぴっ」でしょうが、「にゃー」とか「わん」の台もあります。ちょっとふざけています。そこへ今回の施策。その他にも無駄な英語のDJを店内に流したり、商品の陳列方法がわかりにくい(例えば塩麹がお塩のところにあったり。確かに塩の字がありますが、調味料のところにも置いてほしいです。野菜の置き場所がしょっちゅう変わる。もう慣れましたが)、通路に平気で商品を並べるので歩きにくいなど・・・もうこりゃだめですね。

13800円

2021年01月13日 12時58分39秒 | 日々のこと
ジャパネットのTV宣伝番組を見ていましたら、MCの男性が「な、なんとイチマンサンゼンハッピャクエーン」と絶叫していました。

13800円といえば子供(幼児?)の頃、ラジオから「イチマンサンゼンハッピャクエーン」という歌が流れていたのを覚えています。まだテレビがウチになかった時代でした。ラジオは常時ついていて、流れていた流行歌のメロディは今でも覚えているのがあります。でもなぜか「イチマンサンゼンハッピャクエーン」はこの部分しか記憶にありません。

早速Wikiで調べてみますと1957年に発表された歌で、フランク永井が歌っていたそうです。

最初の歌詞が「もっこかつげや、つるっぱしふるえ、歌え陽気に炭坑節、黒いダイヤに惚れたのさ・・・」です。

なるほどこれは高度成長期を支えた炭鉱夫の歌なんですね。「イチマンサンゼンハッピャクエーン」前後の歌詞は難しすぎて幼児には理解できるはずがありません。

13800円の月給で多いとは言わないけど、これだけあればお嫁さんももらえるしなんとか楽しくやっていけるだろう、というような内容の歌詞で、希望に満ちていますねぇ。

Wikiによると歌の発表当時の大卒の初任給平均が13800円だったそうですが、当時の大卒というのは相当なエリートだったはずで、それと同じ額を貰っていた炭鉱夫は高給取りだったと言えます。(1957年の4年生大学進学率は9%です。【文部統計要覧】)

思い出すのは、中学校を卒業した年の3月の終わりころ、担任の先生に会いに学校に押し掛けたとき、どういう話の流れかは忘れましたが、先生の給料が1万円台だったことを知り驚いたことです。先生はしきりに安いと嘆いていました。その後学校の先生の給料は田名角栄が1974年に立案した教員人材確保法で一気に25%もあがりました。

実はその翌年に私は教員に採用されたのですが、手取りが低かったのにガッカリした覚えがあります。(何をぜいたくなと叱られそうですが)というのも学生時代の後半はキター関係の仕事でそこそこ稼いでいましたので、一日の大半を働きその結果が半分くらいしかない手取りだということに愕然としたわけです。でもギター関係の仕事に戻らかったのはそもそもオイルショックでそういうおいしい仕事がぱったりとなくなってしまったからでした。

炭鉱も現在は細々と続いている程度で最盛期に比べれば見る影もありません。20歳前半の若者が、ギターがちょっと弾けるだけで大卒より沢山稼げる仕事が名古屋市内にあったという時代もとっくになくなりました。学校も、校内暴力はなく保護者も協力的で部活の問題もない時代はとうの昔に過ぎ去りました。今も探せばきっといいところは一杯あると思いますが、年のせいか昔はよかったとつい言ってしまいます。

オリンピックは必ずやり切る!

2021年01月12日 14時12分18秒 | 日々のこと
菅首相は「オリンピックは必ずやり切る!」とおっしゃったそうですが、前回の非常事態宣言のときもそうですが、新型コロナ対策が後手後手に回るのはこのオリンピックがぶら下がっているのが原因のように思えます。

ネットニュースによるとあのビル・ゲイツと会談して、ビルは「東京五輪・パラリンピックの開催が世界に対して大きなメッセージになる」と言ったのに対し総理は「やり切る」おっしゃったそうですが、ビルのそのことばはある種のリップサービスですよ。だって、一国の首相に「オリンピックは止めた方がいいんじゃなーい?」なんて言えないでしょう。

そもそも昨年1年延期と決めた判断が間違っていました。オリンピックを延期するかどうかを議論していた頃、おにぎり頭の某スポーツ評論家の方が、私は2022年延期説ですとおっしゃっていました。周りは全然同調しませんでしたが、今になってみるとそのおにぎり頭氏はいいところを言っていたと思います。来年2022年のそれも秋ならなんとかなると思いますが、いったん今年に延期と決定した以上二回目の延期はいろいろ混乱を招き難しいでしょう。恥も外聞も捨てて混乱も承知の上で二回目の延期をして「必ずやり切る!」ならアリかも知れません。それも夏ではなく秋です。でもそこまでしてオリンピックみたいなものやる必要はあるのかなぁ。