リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

新日本紀行の音楽

2021年12月21日 18時47分50秒 | 音楽系
昔NHKで新日本紀行という番組をやっていました。テーマミュージックは冨田勲が担当していましたが、ふるさとの香りがする懐かしい感じの音楽でした。

お昼過ぎになにげにテレビのチャンネルをNHKに合わせてみましたら、1970年頃放送の新日本紀行の再放送をやっていました。京都の北山の杉を切って床柱に仕上げている人たちのお話でしたが、途中からでしたのですこしついていけないところもありました。カラーもきれいで画面もワイドになっていたので、コンピュータで処理したのだと思います。

しばらく見ていてというか聴いてもいましたが、そのBGMが驚きでした。今なら当たり障りのない音楽になるところでしょうが、使われていた音楽の半分くらいがいわゆる現代音楽風の音楽です。もちろん地方の情景に少し寄せているところもありましたが、これでいいのかな?番組を見た人からは苦情は来ないのかな、というような曲想もありました。

1970年頃と言えば、まだいわゆる現代音楽の時代?でした。武満も晩年の口当たりのいい作風には変わっていない時代、テレビのBGMでもこういうのがつかわれていたのだなと少し感慨にふけりました。テーマは冨田勲ですが、多分作風が異なるので別の方が書いていたのだろうと思いましたが、最後の「エンドロール」はカットされていて音楽担当者はわかりませんでした。

ワクチン接種証明アプリ

2021年12月20日 12時21分17秒 | 日々のこと
新型コロナワクチン接種証明アプリが今日からダウンロードできるということで早速インストールしてみました。



検索は「接種証明アプリ」だと他のアプリがいろいろ出てきてどれなのかわかりませんでしたので、「厚労省」を付け加えましたらちゃんと目的のものが見つかりました。厚労省の代わりに「デジタル庁」でもよかったかも。

マイナンバーカードを読み取らせて、パスポートの写真を撮って(海外用も申請した場合)いざ発行というところまでものの1分、えらいスムーズに行ったもんだと確認画面をみましたら、名前の確認はできていますが、あとは接種データが反映されていません。



そこで市役所に電話しましたら、市役所の方ではきちんと接種データの確認ができました。国のサーバーとうまくつながってないみたいで、また何らかの技術的なミスがあったのではないかと思い、市の担当の方に調査をお願いしておきました。

デスクトップの方でもいろいろ調べてみましたが、特に気になる情報はありませんでした。20分くらいして再度スマホのアプリで市町村の選択からやり直してみましたら、今度はちゃんと接種データが反映されていました。まぁ、多分ちょっと混みあっていたということなんでしょう。市役所の担当して頂いた方にもデータの取得が出来た旨伝えておきました。とりあえずめでたし、めでたし!

Windows 11 に!

2021年12月19日 17時10分17秒 | 日々のこと
昨夜パソコンを立ち上げましたら、「Windows 11 を早くインスールしろよ」みたいなメッセージが出ていましてどうしようか迷いましたが、一応見送るつもりで画面を消しました。

Windows 11 をインストールする前に今のWindows 10のシステムのバックアップを購入予定のM.2のSSDに作ろうと考えていましたが、まだそのM.2のPCIe接続のSSDが届いていないので、Windows 11への以降は見送ったつもりでした。

それが今日になってコンピュータを立ち上げましたら、画面に「Windows の更新中で、電源を抜かないように」という旨のメッセージが表示され、それがかなり長く続きいつもの更新とはちょっと違う感じで、ひょっとしたら昨夜のうちにWindows 11に更新されていた?と思いましたが、ピンポーンでした。

ウチのシステムはハードウェア的には問題なくWindows 11 がインストールできるし、インストール後の不具合も解決済みだという報告がマイクロソフトのHPに出ていましたので、まさかウチのシステムで不具合が出ることはないだろうなと思いましたが、やはりなんともありませんでした。昨日のメッセージで「今回は見送る」をチェックせずに画面を消しただけでしたので、夜中に自動更新されたのだと思いますが、マイクロソフトもなかなか強引にやってくるものです。

何事もなかったかのように同じ壁紙で動いていますが、細かいところはいろいろ変わっていました。でも概ね使いやすくわかりやすい方向になっているので、好感度は高いです。Windows 10 では二つ目のエクスプローラーを立ち上げるときなんかワンテンポ遅れてもさっと立ち上がるのが普通にさっと立ち上がるようになりました。全体的に気持ちきびきび感が上がっている印象です。これでSSDをM.2に交換したら立ち上がりも相当速くなると思われます。

Windows 11 を使っていて少し迷ったのはフォルダに入っている写真を印刷しようとするとき、前のシステムでは「共有」から印刷することになっていましたが、選択した写真を右クリックしてそこから出てくるメニューから印刷を選ぶ式に変わりました。前々からどうして印刷が共有から選ぶのかとその非常識感覚を疑っていましたが(それってアップルの影響?)今回、普通の感覚になって良かったです。DAWを含めたアプリも動作確認をしましたが問題なく動いています。

バッハ「マルコ受難曲」と「カンタータ198番」(3)

2021年12月18日 11時03分27秒 | 音楽系
日本でもマルコ受難曲の復元が行われていますが、その嚆矢となるのは1972年に静岡県の御殿場市で開催された古楽講習会およびそのすぐ後に行われた品川教会でのコンサートでしょう。

この古楽講習会ではマルコ受難曲の復元演奏がテーマで、リュートを演奏する人も参加していました。私はこの講習会のことをたまたま新聞の小さな欄で見つけ参加させていただきました。ただリュートのコースはなかったので、ヴィオラ・ダ・ガンバの大橋敏成先生のクラスの聴講をすることにしました。このご縁がきっかけでその後大橋先生のご指導を受けることになります。



当時のパンフの案内文です。

御殿場スプリング・ミュージック・キャンプ、バッハコンソート’72

早秋の一週間を美しい自然の環境のなかで音楽に浸る。ひたすら音楽を学び、音楽を作りあげる、こんなひと時もあってはいいのではありませんか。1972に第3回目を迎える御殿場スプリング・ミュージック・キャンプはさらに充実した内容をもつ計画のもとに皆様方のご参加をお待ちしています。

期間:1972年3月21日(火)~27日(月)
会場:御殿場市東山 日本YMCA同盟国際青少年センター東山荘


もうかれこれ50年前です。この講習会は第3回ということですが、その前の2回は小規模で限られた人の参加でしたが、第3回は一般に宣伝もして大規模に行われたそうです。この講習会には日本の古楽界第1世代と第2世代にあたる、現在では大家と言われている人の多くが参加されており、今から見るとさながら古楽の梁山泊という感があります。


バッハ「マルコ受難曲」と「カンタータ198番」(2)

2021年12月17日 23時13分54秒 | 音楽系
バーゼル市は人口が17万人あまりと桑名市より少し多い程度ですが、プロのオケが複数あり古楽オケまで複数あります。そのひとつカプリッチォ・バロックオーケストラが2015年にマルコ受難曲の復元版のCDを出しました。

この録音は1744年演奏の後期版ということで、残念ながら198番では使われているリュートは入っていません。初版ではリュートが入っていたマタイ受難曲も、一般的な版ではリュートが入っているヨハネ受難曲も、バッハ晩年の版ではいずれもリュートはフィーチャリングされていません。恐らくその頃の(1740年代)のライプチヒにはいいリュート奏者がもういなかったということなのかも知れません。

マルコ受難曲の初演は第1回で書きましたように1727年ですが、この1744年版で録音したというのは、実は新資料の再発見があったからです。この資料が「再」発見だったのは多分資料自体の存在は知られていたのですが、マルコ受難曲の後期版とは結びつけられて考えられてはいなかったからでしょう。BWV1025のケースと一緒ですね。


CDの解説には次のようにあります。

2009年に素晴らしい発見が世界中の興味を駆り立てた。それはヨハン・セバスチャン・バッハの失われたマルコ受難曲の後期バージョンを含む印刷テキストがサンクト・ペテルブルクで発見されたことである。日付は1744年とあり、その印刷冊子には今までに知られていない2つの新しいアリアが含まれていた。その発見は偉大なトマスカントール(バッハのこと)の作品の中でも特に重要なことである。ハープシコード奏者のアレクサンダー・グリクトリックはこのCDのために初めてとなる後期版の復元を行った。

横浜コンサート

2021年12月16日 23時25分22秒 | 音楽系
横浜でのコンサートが終了しました。横浜でコンサートをするのは実に30数年ぶりでした。そのときは大倉山というところで開催する予定でしたが、昭和天皇の大喪の礼と日程が重なってしまい延期をして別の会場で開催しました。

今回の会場は席数は100でこぢんまりしたところですが、とても素晴らしい設備と音響のところで、さすが横浜にはいい会場があるものだと思いました。この100というキャパがいいところをついています。


リハーサルの様子です。

リハーサルがデッドなところで行っていたので、この会場ではとても気持ちよく演奏することができました。会場には久しぶりにお目にかかる懐かしい方々、名古屋からわざわざお越しいただいた方、私の昔のリュート教室の生徒さん、古楽関係のプロの方たちをはじめたくさんの方にお越しいただきました。スイスで一緒に留学していたギタリストのお母様にもいらしていただきました。中にはどうしても私が思い出せない方、向こう様も多分勘違いだろうということになりましたが、何はともあれお越しいただきありがとうございました。

プログラムは次の通りでした。

オーボエとリュートで巡るヨーロッパの旅

オトテール 組曲第3番ハ長調
作者不良  キャッコネ イ短調(リュートソロ)
ドライエル オーボエ・ソナタ第5番ト短調
ヴァイス  シャコンヌ ト短調(リュートソロ、中川による補筆再構成版)
テレマン  パルティータ第2番ト長調TWV41:G2

アンコールにはド・ヴィゼーのロンド「モンフェルメイユ」を演奏しました。

コンサート必携品

2021年12月15日 15時19分10秒 | 音楽系
コンサートをするときに持って行くのを忘れてはならないものがいくつかあります。まず楽器。(笑)まぁこれは当然として、楽譜も忘れてはなりません。最近はforscoreというアプリで楽譜を見るのでiPad Proも忘れてはなりません。iPad Proは2枚使いますので(こうするとA3見開きと同じサイズになります)、普通の譜面台では不安定になります。そこで専用のがっしりした譜面台も忘れてはいけません。明日のコンサートでは使いませんが、ページ送りのペダルも使うときがあります。iPad Proの電池については、リハーサルからコンサート終了まで電源入れっぱなしでも心配はありません。しかし以前は紙っぺら何枚かと軽量譜面台で済んだわけで、電子化によって持ち物が増えかえって不便になったような感じもしますが。

あと最近は立演奏なので足台は不要ですが、楽器の滑り止めは忘れると結構大変です。忘れたときの備えにいつも楽器のケースには予備を入れています。メガネも重要。15年くらい前でしたか、アメリカの大学でコンサートをする際、移動の飛行機の中でメガネのレンズがポロッととれてしましました。フレームレスメガネだったのでレンズを支えている細いナイロンの糸がレンズから外れてしまったのです。そもそも細かい物が見にくいのでメガネをしているのに、メガネにはレンズがありませんから、裸眼で糸をはめる作業を強いられることになり、きちんとはめるのに1時間くらいかかってしまいました。以来コンサート用のバッグには予備のメガネを入れてあります。衣装や靴も忘れると困ることが多いですが、なんとかなる率は高いです。

あとは滅多にないのですが、弦やフレットの予備も必ず携行します。



弦とフレットは1セット、あと工具(ニッパー、ペンチ、ピンセット、半田ごて)と手袋です。滅多に使うことはないのですが、過去には実際に弦やフレットが切れたことはありましたので、やはり手放せません。絶対に大丈夫だと思っていても何が起こるか分かりませんので備えは必要です。


名古屋名物納屋橋饅頭が

2021年12月14日 16時23分21秒 | 日々のこと
お昼に立ち寄った某食堂で読んだ新聞に、名古屋名物納屋橋饅頭が製造中止になるという記事が出ていました。製造中止というのは一時的なものなのか、それともブランドがなくなるということでしょうか。

納屋橋饅頭は酒蒸し饅頭ですが、名古屋で納屋橋饅頭を名乗るのは3店あるようで、新聞に出ていたのは納屋橋饅頭万松庵です。他の2店(本店、平田町店)はすでに休業、営業取りやめをしています。

この3店のうち一番古いのは本店で、1886年開業です。他2店は暖簾分けした分店です。WIKIで調べて見ますと、桑名出身の三輪伊三郎という人が納屋橋のそばに伊勢屋という店を開業して饅頭を売り始めたそうです。そしてその後屋号を納屋橋饅頭に変えて今に至っています。納屋橋饅頭の本家(本店)はすでに2016年に休業していますので、万松庵が廃業したら納屋橋饅頭が消滅してしまうことになります。なんとか再開をしてもらいたいところです。

しかしこの納屋橋饅頭、実は桑名の老舗とらや饅頭で働いていた職人さんが関わっているということをとらや饅頭の大将から伺ったことがあります。とらや饅頭は宝永元年(1704)創業で、今も酒蒸し饅頭をメインに製造販売しています。WIKIに出ていた三輪伊三郎さんがとらや饅頭の職人さんその人なのか、とらや饅頭で働いていた職人さんを三輪さんが連れていって立ち上げたのかは分かりませんが、とらや饅頭と同じような饅頭を名古屋で製造販売をし始めたわけです。

屋号を引き継いでいないので、正式な形の暖簾分けだったのかどうかは知りませんが、納屋橋饅頭が桑名のとらや饅頭のDNAを引き継いでいることは間違いありません。とらや饅頭は朝製造したものでも夜になると皮が少し固くなり始めるくらい「旬の期間」が短いですが(翌日以降は蒸かすかチンすればいただけます)、万松庵の納屋橋饅頭は日持ちするように表皮は薄いスポンジ状のものになっています。そのかわり残念ながらオリジナル製法の物と比べると風味は落ちます。

もし納屋橋饅頭が消滅しても一番の大元の桑名とらや饅頭は健在です。納屋橋饅頭の元祖の味がします。

90年代の作品(21)

2021年12月13日 15時41分50秒 | 音楽系
桑名市内の某中学校の校歌の伴奏です。この地区は平成の大合併で桑名市と合併しましたが、まだ合併していない時代で80年代の終わり頃に作ったと記憶しています。学校の校歌はまぁこういってはナンですが、ダサいメロディとダサい伴奏というのが定番ですが、件の某中学校校歌のメロディはなかなか均整が取れていていいメロディでした。それもそのはず、メロディメーカーとして世に知られている米山正夫※作曲です。その辺の方が作ったのと比べるとデキが違います。桑名市内の学校の校歌の中では抜きん出てスジのいいメロディでした。

せっかくのいいメロディなのに伴奏は「普通」のダサ系でしたので、こんなのがあったらいいなぁと思い当時のはやりのスタイル(80's + テクノ+シティポップ風)の伴奏を作ってみました。さすがに卒業式や入学式では使ってもらえませんでしたが、結構いろんな場面でこの伴奏が使われました。作曲者の米山正夫さんにこの伴奏を聞いてもらおうかなと思いましたが、伴奏が作られた少し前にお亡くなりになっていてかないませんでした。もっとも聴いて頂いていたら大層お叱りを受けたに違いありませんが。

シンセはおもにRolandのJX-10を使っています。あとKorgのM1も使っていたかもしれません。コンピュータはもちろんまだPC-9801、アプリはレコンポーザーです。まぁそういう時代でした。リズムが今風(というか80年代風)になっていますし、少しわかりにくかもしれませんが沢山リハーモニーをして結構複雑なベースラインになっているところも聴き所です。伴奏は3コーラス分あります。

KOUKA


※米山正夫(1912年(大正元年)10月3日 - 1985年(昭和60年)2月22日):森の水車、リンゴ追分、三百六十五歩のマーチ、ヤン坊マー坊の唄、花はおそかったなど作品多数。平成大合併前の桑名市市歌も氏の作曲です。(〽むらさきけむる太平洋の、潮風香る伊勢の海・・・)

バッハ「マルコ受難曲」と「カンタータ198番」(1)

2021年12月12日 13時35分20秒 | 音楽系
受難曲というのはイエス・キリストの受難物語を題材とした音楽で四つの福音書、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの受難曲があります。バッハの伝記を書いたヨハン・ニコラウス・フォルケルによれば、バッハは5つ受難曲を作曲したとされています。(バッハの生涯と芸術:フォルケル著、柴田治三郎訳、岩波文庫)ひとつ多いのは二重合唱のためのものを数に入れているからです。(同書)

現在完全な形で残っているのはマタイとヨハネだけで、マルコは歌詞のみを残して音楽は消失しました。(バッハ作品総目録:角倉一郎著、白水社)マルコ受難曲はパロディ関係にあるカンタータ(198番、54番、7番など)が知られています。特に198番は対応関係がわかっている曲が多く(同書)これを元に復元を試みた例があります。カンタータ198番はザクセン選帝侯妃クリスティアーネ・エーバーハルディーネ(1671-1727)崩御の際に作曲された追悼のための音楽で、1727年10月15日にライプツィヒのパウロ教会で演奏されました。

WIKIによればここでいう「ザクセン選帝侯」というのはアウグスト2世モツヌィ(1670-1733)のことでポーランド王とザクセン選帝侯であった人です。ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世です。彼は「おそらく芸術と建築のパトロンとして記憶されている。彼はザクセン選帝侯国の首都ドレスデンを主要な文化的中心地に変え、ヨーロッパ中から芸術家や音楽家を宮廷に招聘した」(WIKI)この招聘された音楽家のひとりが知る人ぞ知るシルヴィウス・レオポルド・ヴァイスです。

ちなみにこの王様は女好きで知られていて、愛人が20人近くいて生涯にもうけた子供が350人を超えていた(WIKI)と言います。クリスティアーネ妃とは結婚して早い段階で別居状態で、王は政治と不倫に明け暮れていたようです。

クリスティアーネが56歳でなくなった時の葬儀も王ばかりか息子も葬儀に参列しなかったそうです。そのお妃を不憫に思ったライプチヒの貴族学生カール・フォン・キルヒバッハという人が追悼行事を開催しようと、バッハに作曲を依頼しライプツィヒで執り行われた追悼行事のための音楽が「BWV198侯妃よ、なお一条の光を」です。BWV198の初演がドレスデンではなくライプチヒだったのもそういった事情があったからです。(バッハカンタータの森を歩む3:磯山雅、東京書籍)

BWV198には2台のリュートが指定されていますが、ドレスデンに宮殿があった王様のお妃の追悼音楽だから当然ヴァイスが演奏に参加したはずだとおっしゃる方もいるようですが、それは間違いでしょう。「初演」はドレスデンではなくライプチヒですので、あの有名なドレスデンの宮廷オケがライプチヒまで出張演奏に行くわけはありません。組織的にも無理でしょうし、お妃をほとんど無視して葬儀にもいかないような王様に頼んでも許可を出すわけがありません。演奏は当然ライプチヒのミュージシャンで行ったはずです。それに198番のリュートパートはとても地味な感じで、もしそれがヴァイスが弾くことを前提として書いていたら、「泣きのリュートフレーズ」にしてたかもしれません。