実はこの絵は何年か前に同紙の別のシリーズのコラムでも扱われていて、描かれている楽器を4コースのルネサンス・ギターだと書いてありました。これは明らかに間違いなので日経新聞編集部を通じて著者である美術関係の先生に問い合わせをしてもらいました。編集部を通じて返答をいただきましたが、描かれている楽器は4コースのギターであり、オランダのこの時代でもまだ4コースの楽器が使われていた可能性は大であるという内容でした。このくだりに関しては以前の当ブログでも書きました。
今回のコラム、まさか金澤先生が以前のコラムの著者のような間違いをするわけはないと思って読んでいきましたら、どう読んでも描かれているギターは4コースの楽器であるとしか読めません。
正確に言うと、この絵の楽器が4コースのギターだとは書いてありません。5コースのギターだとも書いてありません。1550年代の4コースギターについての解説が書かれているだけです。でも普通の読み方をするとフェルメールの絵のギターもやはり4コースだというふうに読めます。4コースギターの時代から100年くらい経ってギターは5コースになってオランダでも大流行している、ということを書かないでどうしますか!
前回は音楽史に関しては素人の美術史家の先生だったですから仕方がないと言えば変ですが、まぁそんなところでした。でも今回は音楽史に精通されているはずの金澤先生です。大先生がおっしゃったことに対してわかっている人がいくら反論してもそれが極少数の場合だと、何も分かっていない多数の方にどれだけ言っても大先生が正しいとなってしまうかも知れません。そうなるとまさに衆愚の様相です。
秀吉の御前演奏曲が「皇帝の歌」だと結果的に定着させてしまった皆川達夫説とともにまた日本の古楽界隈におけるレベルの低い話がまたひとつ増えてしまうかも。他にもまだその手の話しはいくつもありますが、ここでは日本の古楽界はレベルが低いとだけ言っておきましょう。