ようやく、ポスティングも終わり近くになりました。
伺えなかった方に郵送する作業が残っています。
畑仕事はペチャ豆の鞘取りが始まりました。
これは私の分担・・・・・お客様感謝祭ができた頃は、このお豆でおこわを蒸かしてお客様に食べていただいていました。
だから私がやらなくてはと。
今は感謝祭ができないので、今年はいつもの半分だけ作ってもらいました。
確かに半分は半分ですが、3日に1度は採りに行かねばなりません。
でも凄い不作。
昨日はそれを採りに行ったあと、ローゼルを採ってみました。
姪に採りにおいでといったので、その前の様子見。
作り始めて2年目。
昨年、枝が広がって大変だったので、夫が杭と棒で工夫してくれました。今年は高さが2m以上になっています。
採り始めた私、夫に「中の方に実が付いていないのだけど」、と。
「木作りの実とらず」なんでしょうか、それとも今年の酷暑が影響しているのでしょうか。
1年かけて読んでいた「東村誌」を読み終えました。
というか一応読みました(笑)
実にためになりました。まさに郷土の歴史です。
近代になると、知っている方のお名前が出てきてなんとも興味ふかかったです。
それにしても知らなかったことばかりでした。
400年前はチャンバラやっていたんですね。
この先400年経ったらどうなっているでしょうね。
20年もしないうちに、車が空を飛んでいるかもですね。
そのチャンバラの世界から、今や兵器は格段に凶悪になりました。
この調子でいがみ合っていたら、400年後に人類が生き残っているでしょうかと思います。
その前に気候変動で食糧難かもしれません。
明治・大正・昭和になっても、庶民の生活は厳しかったですね。
食べて生きていくことに・・・・・。
戦後生まれの私でも、まだその厳しさの一旦を垣間見ることがありました。
それがあっという間に、飽食なんていう時代になったのですもの。
良かったと言えばよかったでしょうが、何かを置き去りにしてきてしまった思いもしています。
東村は昭和35年に佐久市に合併しました。
これから「佐久市誌」に入ります。
何冊もあるのです、何年もかかるかも(笑)
なんせ厚いのでベットの中で読めないから。
新しい目標がまたひとつできました。
読みいただきありがとうございました。
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郷土誌は身近な場所の昔の様子が分かって楽しめることでしょう。読み終わっての感想をまたお聞かせください。
佐久という地名を初めて知ったのは中学生の頃、藤村の一節「歌かなし佐久の草笛」でしたか。まだ見ぬ土地へあこがれを募らせたものでした。
街の本屋さん、3軒が、今は1軒です^^
大手スーパーの本屋さんも、すいてます
通勤電車で本を読む時代、昔になりました
雑誌社にいた親友は
今思えば、早期退職して
すごくラッキーだったと思います^^
夜の読書、目の手術されましたから
良く見えるのでしょうね^^
クマは、夜は目が疲れます^^
冬は寒いけれど、住みやすいとこだったのでしょうね。
どこも住めば都ですね。
私は、活字がないと生きていられないタイプです。
それにしても読まない人増えていますよね。
この楽しみを知らない人がかわいそうだと思うのですが・・・・・。